あぁ、そっか。じんさんが怖い の理由が分かった。

理性に対して感情が反発してる理由も。

 

 

いっつも父親は理性で解決させようとしたんだな。

これがこうだから、こうすればいいんだよ。どうしてしないの? できないの?って。

 

で、私はそれに対抗するためにというか

父親にまともに、気圧されずに、非難されずに話すために、

 

言いたい気持ちがあっても、これはこうだから、って

理性優位の考え方や言い方をするようになった。

 

あの人普通に話してるだけでも声大きいし、言葉の圧強いし、

ただ聞いてるだけでも尋問するような話し方するからさ。

なんでだよ!みたいな怒りの気持ちが言葉の外に漏れ出てるみたいな。

だから言葉のトーンでつい怯えちゃうんだよね、無意識に。

 

 

そうじゃないと、要するに何なんだ、要約して話せって言われるから。

あの人せっかちな上に怒りっぽくで、話聞いてもらえないから。

父親の前だと落ち着いて話せない。いつもうっすら緊張してる。

本音を素直になんてもってのほか。

 

そんなことしたら、言ったそばから理性でズバッと切られる。。。否定される。

受け止めてもらえない。

 

だからそれが染み込んでて、感情が出て来られないのか。。。

 

 

カウンセリングしてもらうときに、自分が自分に突きつけてるのは、

 

こうすればいいのに、どうして出来ないの?

さっさとやれよ、ほら! ってことだもんな。

 

そして、自分が読むブログも叱咤激励のズバッと系が多くて、

確かに、って思う反面、上手く実践できなかったり、書かれてることに

反発することも多い。

 

だから真逆の日常を書いてる心理ブログに癒されるという。

 

もっと自分の気持ちに寄り添ってあげればいいんだなぁ。。

カウンセリングで話してる最中も、日常でもさ。

 

カウンセラーに父親を見てるってのは分かってたけど、これで話せない謎が

また一つ分かった。

 

じんさんに怖さを感じるのもたぶん、ズバッと有無を言わさず

相手の感情を考えずに、しかも一番怖い中心をえぐって

自分の中に入ってくる感じが嫌なんだろうな。

 

私にとっての重大事を何とも思わず、たいして共感もせず理性的に話して、

有無を言わさず変化を迫るとこまでそっくりだから。そりゃあ怖くもなるか。。。