Carta Para -70ページ目

知ること

前回の、内容に、大好きな人のうちの1人の、

素敵な、エグゼクティブなニートをしている(いた?)、

お姉さまから、素敵なコメントをいただきました。



>わかろうとすること自体が、ことをややこしくしてるんじゃ?

>わかんなくていいことも
>この世にはいっぱいあるのだー
>と、思うことにしているヒス女でした。


たしかに。

自分の知ってることなんて、ウィルスくらいの、
ほんの、みみっちいサイズ。

それなのに、取捨選択をしなくては、大いに悩む。
なら、わかろうとする必要がないと、処理量の問題で、一理ある。


でも、たまに、全てのことを知りたくなる。

そんな欲求にかられます。


『真理』


その言葉に、無償に憧れる、気持ちがあります。
たぶん、中学生くらいのころから。


不変の理を知りたい。

なぜかは、わからない。

ただ、知りたいから。

その気持ちの反面、

知ることを止めてしまうと、

どうなってしまうのか・・・・

との恐怖もある。



姉さまのおっしゃる通り、知る必要も、わかる必要もないこともある。

それも、確か。

けれど、知ろうと、わかろうと、欲求が上がってくる。

それも、確か。

その反面、知的欲求がなくなったときの、恐怖にかられる。

それも、確か。


と、ああだ、こうだと考えながら、

知らなくてもいいであろうことの一つ。

彼女に、元彼の話を聞くのでした(笑)