知ること
前回の、内容に、大好きな人のうちの1人の、
素敵な、エグゼクティブなニートをしている(いた?)、
お姉さまから、素敵なコメントをいただきました。
>わかろうとすること自体が、ことをややこしくしてるんじゃ?
>わかんなくていいことも
>この世にはいっぱいあるのだー
>と、思うことにしているヒス女でした。
たしかに。
自分の知ってることなんて、ウィルスくらいの、
ほんの、みみっちいサイズ。
それなのに、取捨選択をしなくては、大いに悩む。
なら、わかろうとする必要がないと、処理量の問題で、一理ある。
でも、たまに、全てのことを知りたくなる。
そんな欲求にかられます。
『真理』
その言葉に、無償に憧れる、気持ちがあります。
たぶん、中学生くらいのころから。
不変の理を知りたい。
なぜかは、わからない。
ただ、知りたいから。
その気持ちの反面、
知ることを止めてしまうと、
どうなってしまうのか・・・・
との恐怖もある。
姉さまのおっしゃる通り、知る必要も、わかる必要もないこともある。
それも、確か。
けれど、知ろうと、わかろうと、欲求が上がってくる。
それも、確か。
その反面、知的欲求がなくなったときの、恐怖にかられる。
それも、確か。
と、ああだ、こうだと考えながら、
知らなくてもいいであろうことの一つ。
彼女に、元彼の話を聞くのでした(笑)