4月7日23時32分の地震でまたもや停電。
ピグスロットで儲かりまくってた時だったが、やめる間もなく停電になってしまった。
手探りで携帯と懐中電灯を手にし、電子辞書から取った電池でラジオオン。
3月11日の地震で落ちた食器が、別のとこに置いてあったのにまた落下。
出せずにいたゴミ袋がクッションになってくれて、割れることはなかった。良かった。
台所の電気が根元の釘ごと外れて、ブラブラ下がっている(現時点でまだ直してない)。
新しい電子レンジと洗濯用洗剤は床に置いていたので無事。
他の細々とした物は落下したが、11日以来、床に落ちっぱなしにしといた物はもちろん無事。
家具もずれっぱなしにしていたので、あまり変わらず。扉は開いたけど。
地震直後は体が震えっぱなし。
腹と腰も痛くなった。
わりとすぐに弟にメールできた。
弟から実家も無事との返信。
また着の身着のままでNHKへ。
途中にある職場は非常灯がついていた。
ところどころ、電気がついている建物あり。なんだこの差は。
NHKも停電中。玄関前で中継の準備をしていたが、発電がうまくいかないらしい。
街頭テレビもつかず、NHKが用意してくれたラジオに集まった人たちが聞きいった。
しばらくして、NHK内の一部の電気がついて、TVも見られるということで、係員に案内されて部屋の中へ。
急遽並べられたイスに座り、しばしTVを見ていたが、腹がまた痛くなり、家も心配になったので帰宅。
途中にある某学会の立派な会館で火事騒ぎ。
消防車が何台も来て、放水した結果、火事ではなく、地下にある自家発電設備が起動した際に発生した煙が地下に充満しただけだったらしい。
放水による被害の方が大きそうだ。
野次馬中に、母から電話があったが、携帯の電池残量が微妙だったので、ちょっと話してすぐ切った。
いつもは炊飯器でご飯を炊くが、こういう時に限って、弁当を買っていたので、翌朝はそれを食べた。
朝7時30分、電気復旧。思ったより早い。
風呂に入りそびれて汚い状態のまま出勤。
どうせ午前中だけで勤務解除になるだろうと思っていたら、電気が復旧したから普通に働けとのこと。
あのな、復旧したのは一部地域だけで、水もガスも止まったとこ、まだまだあるんですけど。
朝ごはん食べずに来た人もいるんですけど。
やっぱり冷たい職場だと思った。仕事できるのは幸せなことだけどさ。
残業もしろとのことだったが、みんな気力がなくなってしまったので、私を含め、ほとんどの人たちは残業せずに帰宅。
花粉症の処方薬が切れて、市販薬を飲んだら物凄い眠気だったので、処方薬を求めて病院に行ったら、16時で閉めましたとの貼り紙が。
帰宅後、弟から電話。お互い「まいったな」という言葉とため息しか出ない。
20時すぎには母からも電話。実家の電気は午後3時ごろに復旧したそうだ。
ピグのカジノドルは、地震当時に儲かっていた金額がちゃんと反映されていた。良かった。
土曜日の朝は、母方の祖母から電話。いろんな意味で、心配してくれる人がいる有難さが身に沁みる。
その後病院へ行き、処方薬無事ゲット。
コンビニに寄ってみたが、やっぱり空っぽの棚が目立つ。
雑誌は何故かジャンプだけ、2号まとめて発売中。他の雑誌は3月11日で止まったまま。
サンデーが読みたいのに。
これからも余震が心配。
余震どころか、30年に一度の宮城県沖地震はまだだという説が。
各地の火山活動も活発化してるというし、放射能も実際のところどうなってるのか分からない。
日本全国心配だらけだ。
政府もあてにならないし、これからどうなるのだろう。
3月最後の日になって、ようやくお世話になった方の無事が確認できた。
24日朝に病気で亡くなった元同僚の火葬の日にちが決まったとのことで、その詳しい情報を得るため、元同僚を看取った元上司に電話し、ダメ元で訊いてみたところ、お世話になった方本人と連絡が取れたんだそうな。
今はアパートを借りてるそうだ。
よくぞご無事で・・・。
ほとんど諦めかけていたが、本当に良かった。
この方にも不義理してしまってるので、2人とも亡くなっちゃったらどうしようかと。
元同僚の火葬でお会いできるといいのだけど。
元同僚は病気で亡くなったけど、この時期なので、普通に通夜や葬儀を出すこともできず、震災犠牲者と一緒に遺体安置所にしばらくいらっしゃったのだ。
火葬は亡くなって12日後の4月4日。
とても遅いけど、火葬できるだけでも良い方なのだ。
火葬すらできないご遺体がどれだけいらっしゃるのか・・・。
震災犠牲者の多くは通夜も葬儀もないのが現状。お金かからないからいいんじゃないかっていう人もいるかもしれないけど、ご遺族としては最後くらいちゃんと見送ってやりたいだろう。
亡くなったかどうかも知られずにひっそりと葬られてしまうことの哀しさを思うと胸が痛む。
それでもまだ見つかったのならいい。
まだ発見されずに、泥水の中や瓦礫の下に眠る人達がたくさんいる。
大人も子供もみんなだ。
生きていくのも辛いけど、死んでいくのも辛い。
仙台は中心部でもまだ復旧には遠い。
ガスは相変わらず修繕中だし、水が出ないとこもまだまだある。
私の最寄りのコンビニもまだ閉まってる。開いてるコンビニに行っても、品物がほとんどない。
雑誌・本類は地震前に入荷されたものがあるだけで、地震後の雑誌は一切買えない。
マンガの続きが読みたくても読めない。
飲み物の自販機は入荷した途端にすぐ売り切れる。
当たり前にあったものがない。
不便になった分、今までの無駄にも気づかされる。
豆電球付けたまま就寝するのはやめたし、トイレの水も極力流さないようにしている。
トイレの神様なんてどうでもいい。
髪は平日は毎日洗うけど、湯船にはほとんど入らない。
水がもったいないし、下水もパンク状態だからだ。
エアコンも停止時の自動クリーニングはやらずにすぐ切っている。設定温度も低くした。
本当はこうやって夜更かししてパソ使うのも良くないとは思っている。
休みなんか、ほとんど1日中つけっぱなしにしちゃってるし。
でも他で節電してるから、これだけは許してほしい。
先は長いな。
今日のズームインを見ていたら、私が地震ドキュメントに書いた釜石の主婦が出ていて驚いた。
高台にいる人達が「逃げてー!」と叫ぶ中、車に乗り込み、その直後に津波に襲われたあの主婦。
絶対助からなかったろうと思っていたが、津波に襲われた際、車の後ろのガラスが割れてそこから這い出し、波にもみくちゃにされて何度も沈みかけたものの「死ぬわけにはいかない!」と必死でもがき続ける内にガレキの山にしがみつけて助かったのだとか。
本当に良かった。家と工場はなくなってしまったそうだけど、家族は無事だったそうだし、本当に良かった。
みんなの祈りが通じたのかな。
私と仲の良い職場の方の旦那さんが、津波に飲まれて亡くなってしまった。
かなりショックだ。
旦那さんは、陸前高田の一番大きい郵便局の局長で、郵便局勤務で死亡が確認された2人の内の1人だった。
よりによって、なんで。
その職場の方は、子供がいず、確か親もいず、本人は病気でつい最近まで長期休暇を取っていた人で、家族は猫1匹になってしまった(猫が無事かどうかは聞いてないけど)。
私も旦那さんに一度だけ会ったことがある。
優しそうなおじさんだった。
宮城で一緒に住んでると思ってたのに。
定年退職した方で、とてもお世話になった方の安否も不明だ。
彼女は仙台市宮城野区の海岸沿いに住んでいたが、その地域はもう家が一つもない。
今年の年賀状で一緒にカラオケ行こうねって言われてたのに。
県警のリストで毎日探してるけど、見つからない。
身元不明の遺体のリストに、彼女っぽい感じの人が掲載されていて。
親族じゃないから照会できない。
でも親族が探してるだろうし、探してるならそのリストに気づくだろうから、いまだに身元不明ということは、きっと彼女じゃないんだ。
きっと親族か何処かのお家にお世話になってるんだ。
きっと無事なんだ。
仙台市青葉区と花巻市、同じ震度だと思っていたら、花巻の大部分は震度5強で、仙台と同じ6弱を観測したのは最近まで郡だったとこのようだ。
どおりで、被害に差があるわけだ。
実家との温度差の理由もこれで分かった。
5強と6弱って数字上は大した違いに見えないけど、全然違うもの。
まあ、あんな揺れ、体験してほしくないので、5強で済んで本当に良かった。
前にもちょろっと書きましたが、
大地震の際、本当に必要なものは。
懐中電灯
ラジオ
懐中電灯とラジオ用の予備電池
携帯電話(ワンセグだとなお良し)
携帯電話の充電器(電池式、あるいは自家発電できるもの)
上の5つは必須。
その他として、連絡したい人の電話番号を書いた紙。
これは、携帯に登録しただけで、番号を覚えていないという人が多数いて、携帯が壊れたり流されたりしたために、いざ連絡しようと思ってもできないという人がいたからです。
ただし、携帯がない状況ということは、その紙も紛失する可能性が大きいので、
保険証の写し(身分証明になります)、普段飲んでる薬数日分と一緒にお守り袋か何かに入れて、常に首からぶら下げる等した方がよいと思われます。
そんなの邪魔くさいという人は、思い切って、持ってる下着のシャツ全部に油性ペンで連絡先を書いてしまうというのもありかもしれません。洗濯で薄まったら、都度書きなおさなきゃいけませんが、何度も書いてる内に覚えるかもしれませんし。
特にお年寄りにはおすすめします。
食料は避難さえできれば何とかなります。
孤立してしまうと中々物資は届きませんので、3日分くらい用意しておくのが理想ですが、
今回のように津波で家ごとなくなってしまった場合、持って逃げられなかったら用意しても意味がありません。
財布もしかり。
結局、被災者であってもお金がなければ何もできません。
避難所に避難した場合は、その日に食べるものだけは何とかなりますが、自宅等で被災生活を送る場合は、配給がない限り、自分で買うしかありません。
避難所に避難してない人が、配給の時だけ避難所に行っても、断られる可能性があります。
買うと言っても、店が開いておらず、開いていたとしても、何時間も外に並び、中に入っても物がないという状況にはなると思いますが、それでも買わなければ食べていけませんので、現金は常に万単位で家に置いておくと良いです。
私は地震の前日に、偶然、ATMから下ろしていたので助かりました。
非常食もウィダインゼリー・エネルギーが大量にありましたし。これは1袋で大体おにぎり1個分です。
非常用ではなく、仕事中にお腹が空いた時用に買ってあったのですが、とても役に立ちました。
実際は1袋しか摂取しませんでしたが、あるだけで精神的に楽になります。
被災してしまうと、食欲もなくなりますので、カンパン等よりも流動食のようなものの方が良いような気がします。
ライフラインは、電気が初めに復旧します。私のところは翌日の夜でした。
水道とガスは地域によって差がありますが、いまだに復旧していないところもありますので、使えないものと思っていた方が良いです。
プロパンガスやオール電化の人は、ガスの心配はしなくてよいでしょう。
プロパンは基本料が高いですが、こういう時は強いです。
ガスがあっても水がなければお風呂に入れませんので、水がなくても使えるシャンプー等、用意しておくのも良いかもしれません。
洗濯もできませんので、普段から溜めずにこまめに洗っておきましょう。
水はあるがガスはないという場合は、ペットボトルの蓋に針か千枚通し等で穴を開け、それに水を入れると簡易シャワーになります。
ペットボトルシャワーというものも市販されているようです。
手製の場合、ちょろちょろとしか水が出ないので、冷たくても我慢できるそうです。
それから、普段、コンタクトレンズをしている人は、メガネを用意しておくべきです。
使い捨ての人はもちろんですが、洗うことができなくなる可能性がありますし、電気がない場合、懐中電灯の灯りだけで装着するのは難しいと思われます。
マスクもあると便利です。
私は普段からすっぴんですが、水がなくて化粧できない場合、顔を隠せます。
避難所に避難した場合も、感染症の予防になりますし、ほんの少しプライバシーが守られてる気分になります。
花粉症の人は、薬が手に入りにくくなりますので、薬以外の防衛手段を準備しておくと良いと思います。
非常用品を入れるものですが、トートバッグ等よりも断然リュックをお勧めします。
リュックはまず、両手が空きます。
給水所で水を貰うにしても、両手が空いてないと、重くて持ち帰るのに苦労します。
逃げるにしても何するにしても、両手が空いてるのと空いてないのとでは大きく違います。
手提げバッグは置き引き等に遭う可能性もありますし、うっかり手を放して混乱の内に何処かにやってしまう可能性もありますので、絶対リュックにすべきです。
冬場はカイロ、湯たんぽ、アルミ製毛布等の防寒グッズもあるとよいです。
反射式ストーブも大変便利です。
新聞紙も肌着の間に挟めると防寒になるそうです。
電気ポットは、ガスだけない場合は大変役に立ちます。
カセットコンロ、IHクッキングヒーター等も用意しておくと便利です。
炊飯器でお湯を作る方法もあるようです。
持ち運びできる軽くて小さい折り畳みイスなんかも、何かと重宝します。
行列に並ぶ際に使うのも手です。当然ですが、リュックに入るサイズのものが良いです。
あと、トイレットペーパー等、必ず使うものは、日ごろからこまめに補充しておきましょう。
大量に買う必要はありませんので、節度を持って用意しましょう。
思いつくままに書きました。
また何か思いつけば追加します。
お役に立てれば幸いです。
昨日(正確には今日)はカジノでチャレンジクリアしたと思ったら、
今日は初めてトライしたスペおさイベントで、1時間もしない内に5種類も釣れちゃったw
あと1種類だけだけど、☆つきが釣れたから、もういいっちゃいい。
きっとまたやるだろうし。
今日仕事帰りに、地震後初で、一番近いセイユーに行った。
今日から24時間営業再開なんだって。
やっぱり並んでたよ。大した人数ではなかったので、割と早く入店できたけど。
物はやっぱり少ないなあ。
制限もあったし。
仙台なのに、水のペットボトル大量買いしてる人が結構おった。
大丈夫だって言ってんのに。
福島とかに送るためならいいけれど。
仙台でも水が出ないところ、まだあるけれど、このセイユーの近所ではみんな出てるはず。
なんかなあ。
DASH村、思いっきり退避区域だな。
三瓶さん達、避難したのかしら。
北登(犬)やヤギたちはど うなったんだろう。