人は、なぜ、何度も何度も、生まれ変わるのか。
それは、何度も何度も生まれ変わって、この世でいろんな経験をして修行して、魂のステージ、霊格をあげていくんだ。そうやって、少しずつ霊格をあげていって、最終ステージに到達したら、その後、人間として生まれてくることはないんだよ。
だから、人生の成功っていうのは、ゴールに到達することじゃないんだよ。
到達ってことは、すごろくでいうところの、アガリだろ。もう終わっちゃってるんだよね。
人生の成功っていうのは、魂の最終ステージ、最上級の霊格になることを目指して、自分の人生をえっちらおっちら歩き続けてる、その道すがらのことだよ。その道すがら、花が咲き、鳥が歌い、風が舞い、いろんなことがあり、いろんな学びがあって、一歩一歩、上を目指していく。
そうやって自分の人生を歩いていくことが、どんなゲームに負けないぐらい、おもしろいの、楽しいんだよ。
オレの教えって、別に、悟りを開いて立派な人になるためのものではないんだよな。もちろん、なりたきゃ、立派になっていいんだけど。
でも、完璧になる必要って、本当はないんだよね。
完璧っていうのは、神の領域。あんまり神に近づこうとすると、人って、苦しくなっちゃう。火傷するからやめな。
だから、目指すんだったら『10年前の自分と比べてちょっとマシ』だよな。
それでさ、教えてるオレ自体、そんな立派な人間じゃないの(笑)。
謙遜して言ってんじゃないの、本当なの。だって、俺、死にたくないもん。
向こうから迎えがきても、俺は『やだ、まだ、こっちにいたい』って言うよ、絶対(笑)。
それでさ、俺たち、人間の成功って、常に『今、ここ』なんだよね。
俺たちは、今、この世、この場所にいる。それは、天の神様の御招待で、『今、ここ』にいるんだよ。
招待されたオレたちは、各自の『今、ここ』で、最高に幸せに生きる…。
ところでさ、最高に幸せに生きるって、どういうことか知ってるかい?
死にたくない、だよ(笑)。
もっと、いたい。もっと、ここにいたい。
それぐらい楽しく、この世で生きることなんだよ。
だから、道端で咲いている花を見て『綺麗だね』とか、人と会ったら『楽しいね』とか。
それと、人に親切にしよう、って。
人に自分ができる無償の愛を出す、人に親切にする、って、霊格うんぬんの以前に、楽しいよね。
だって、みんなに喜ばれるじゃない。
人に喜ばれる自分でいられる、それって、最高だよね。それでね、不思議なんだけど、親切にしようと思ってたら、神様がそういう場面を作ってくれるんだよ。
だから、俺は、今、恵美ちゃんに一生懸命、親切にしてるんだよ。
だけど、この電話を切って、誰かに会ったら、その人に親切にしてる。
そうやって、一日が終わるの。
で、また明日になったら、神様が親切にする人を出してくれるから、その人に対して自分ができる範囲の親切をする。
この世の修行で、それ以上のものって、ないの。そんなことをやりながら、『この世は、楽しい、楽しい』って。
精一杯、『今、ここ』で楽しむんだよ。
それを、自分は悟りを開いて、死んだら、もう、この世に生まれてきたくないです、とかって(笑)。
そんなのは、悟りとはいわない。
死にたくないって、言えなきゃ、悟りじゃない(笑)っていうのが、一人さん流なんだよ。
だって、死にたくないぐらい、この世を楽しんでいたら、招待した神様が喜ぶんだよね。
それを、この世にあるもの、あれを否定し、これを否定してね。『やがて肉体はなくなって、アストラル体になって、どうのこうの』とかっていうけど、それがなんなんだ(笑)。
そんなことばっかり考えて、本当に楽しいんですか?
自分は悟って、もう生まれてきません、って言ってる人、ホントに『今、ここ』を楽しんでるの?
この世は苦しいと思ってるから、死んだらこうなってああなって、霊格がどうのこうの、って。
この世にいるときは、向こうのことより、『今、ここ』なの。向こうに行ったときのステータスがどうだこうだ、そんなことより、『今、ここ』を精一杯、楽しんで、最高に幸せになりな。
天を喜ばしなよ、って。
人に親切にするのも楽しいよ。みんなの笑顔を見たり、好きな人と手をつないだって、楽しいよ。
そうやって、今、自分が持っているもの、周りにあるものを全部使って、『楽しいね、楽しいね』って。
そしたら、最高に幸せなんだよ。
ずっと、ここに居たい、なんだよ。
俺はね、死が怖くて、言ってるんじゃないの。あの世があることも知ってるの。だけど、今、オレたちが生きているこの星は、素晴らしい星なんだよ。
水があってね、緑があって、花があってさ。鳥が飛んでて、蝶が飛んで、って。こんな素晴らしい星、他にないんだよ。それに、オレ、ここで大切な仲間と出会った。友達もいるしね、人助けもできて、楽しいこと、いっぱいあるんだよ。そういうこの世に、神様の御招待で来てるんだよ、みんな。
それを、口を開けば、『アストラル体がどうのこうの』とか、って(笑)。
それより、今、自分が最高に幸せかどうか、それを語りな。ホントにね、オレたち、『今、ここ』で、最高に幸せにならなきゃいけない。
幸せとは、権利じゃなく、義務なの。
オレたちが生まれてくるとき、『しあわせになります』といって生まれてきてるんだよ。この環境でしあわせになります、この性格でしあわせになります、って、神様と約束してきてるの。
だから、この性格でね、あなたの人生の中で、しあわせにならなきゃいけない。
それで、しあわせというのは与えらるものじゃないの。勝ちとるものなの。
考え方で、自分の考えを好転させて、好転させて、好転させてね。
それと、人に親切にしよう、という思い。どんなに悟りを開いても、人に親切ができなかったら、しょうがないんだよ。滝に打たれようが、なにをしようが、そんなもん関係ないよ(笑)。
滝に打たれて、悟り開いたら何するんですか?人に無愛想にするんですか、不親切にするのかい。違うだろ、人に親切にするしかないんだよ。
別に、滝に打たれなくったって、自分にできる親切ってあるんだよ。
愛のある言葉をしゃべったり、困ってる人に宇宙エネルギー送ってあげたりね。そうやってたら、楽しい、しあわせな人たちに囲まれて、ずっと、ここにいたい、最高にしあわせなの。
オレ、みんなにも、そうなって欲しいの。『そうなって欲しいのは、なんでですか?』って、オレに聞いてちゃダメだよ。それより、自分がしあわせになることやんなきゃなんない。
『ずっと、ここにいたいぐらい、しあわせです』って、言えなきゃいけないんだよ。

【斎藤一人 大宇宙エネルギー療法感動物語 柴村恵美子著 より】

大宇宙エネルギー療法をやってると、自分の手やなんかがかってに動く。
動かしているのは、自分じゃない。あなたの守護霊さんなんだよ。その守護霊さんが、宇宙エネルギーが必要なとこに
エネルギーを入れてくれて、その結果、癒されるんだよね。だから、手が勝手に動いただけで「自分には守護霊さんがついているんだ」って、わかってくる。ちなみに、守護霊さんっていうのはね、昔、生きていた人。何回も生まれ変わりを遂げた人で、言ってみりゃ、俺たちの先輩だ。その、われわれの先輩が、亡くなった後、向こうの世界で修行を積んで、守護霊さんになってくれたんだよね。それで、性格が良くて愛があって。ま、一言で言えば、素晴らしい人なんだよ。
そういう守護霊さんを、人間一人ひとりに守護霊さんをつけてくれたのは誰かというと、天の神様なんだよ。
そうすると、「ああ、そうか。自分に守護霊さん、つけてくれたんだ。神様ってやさしいな」って。
やる前は「自分って、一個だ」と思っていた。それが、大宇宙エネルギー療法をやっていると、「自分には守護霊さんがいて、宇宙の一番大きい神様とつながっているんだ」ということがわかるんだよね。
こういうことがわかるとね、守護霊さん、50%くらい、力を出してくれる。
わかったうえに感謝までしだすと、80~100%の力を出してくれる。天も味方してくれるの。
だから、大宇宙エネルギー療法をやっていると、自分の実力以上の力が出せる、運がよくなるよ、って俺は言うのね。
だけど、守護霊さんがいて、天の神様がいる、ってことを知りさえすればいいわけではないんだよ。
なんでかって言うと、自力の後に他力あり、だから。
この世には、「自力の後に他力あり」という法則があるんだよ。
自力っていうのは、普段から、「困っている人がいたら助けてあげよう」って考えていて、遠隔療法の要請がきたら、やってあげたり。それから、会社に行っても、同僚やなんかに「大丈夫かい、それ、やってやろうか」って声かけたり、奉仕の気持ちで働いたり。こういう自力の後に他力ありで、守護霊さんや天の味方もくるようになっているんだよ。
この法則、覚えておくといいよ。自力の後に他力あり、ってのをね。それで、いいかい、これは法則なんだよ。
たとえば、包丁やなんかで指を切れば、誰でも血が出るよね。こういうのが法則なんだ。わかるかい?
法則ってのは、誰にでも同じ結果が出るの。だから、2階から飛び降りれば下に落っこちる、これも法則だよね。
それと同じで、自分が一つも自力を出さないで、「運よく」ってないの。これも法則なの。
たとえば、ボディビルをやっている人がいる。その人が選手権に出たら、優勝して、「僕、運よく、1位になったんです」とかいうけど、その「運よく」っていうのは、本当はこういうことなの。その選手権にでるまでの間に、病気したり、故障することがあるんだよ。そうすると、全力を出し切れないし、ひょったしたら、選手権に出られないかもわかんない。
大会当日、交通渋滞に巻き込まれて遅刻したって大会に出られないよね。そういうこともなく、「無事、選手権に出場できて、全力を出し切れた」ってことが、「運がいい」ということなんだよ。
だけど、その人間が筋骨たくましくあったら、その人の努力だよね。自力もなしで「なんとか、ここだけ筋肉モリモリで」って、腹は出るかもわかんないけど、筋肉モリモリにはならないでしょ、って(笑)
話が変なとこにいっちゃったけど、とにかく、自力の後に他力ありなんだよ。それで、これは、この世の中の道理なんだ。
だから、大宇宙エネルギー療法やってたら、いろんなとこから他力が出てきて、人生、なんでもうまく行くようになってる。
だから、自力の後に他力あり。大宇宙エネルギー療法をやって、「自分には守護霊さんがいて、宇宙の一番大きい神様と、愛の海と自分はつながっているんだ」他力に気づいたとき、人って、嬉しいの。
守護霊さんは無償の愛で自分を守ってくれてるんだ、自分は神様に愛されているんだ、って、単純にうれしいじゃないか。
こういう、単純にうれしい、ってことがさ、意外と大切なんだよね。

『斎藤一人 大宇宙エネルギー療法 感動物語 柴村恵美子 著 より抜粋』
斉藤一人さんの話より抜粋


これしか不幸から抜け出す道がないということで、この話をします。

人は何でこんなに何度も輪廻転生を繰り返すかというと、一つの修行があります。その修行というのが、実は劣等感の克服ということです。

この話の一番難しいところは、ほとんどの人は自分が劣等感を持っていることに気がついていないんです。それと、また親のほうも劣等感を与えてるとは思っていないんです。両方が気がついていないから、実は人は苦しむんです。
そのことに気づくと、「あーあ、なんだ、そういうことか」ということがわかります。この問題はわかると大体の謎が解けちゃうんです。だから、別にそんなにいろいろ解決しようとしなくて大丈夫なんです。

魂は親を選んで生まれてきます。そこでどんな修行をするんですかというと、実は親というのも非常に未熟な魂なんです。その未熟な魂で子どもを育てるんですけど、子どもは親が未熟だということがわからないんです。親は子どもにとって“絶対”だから、子どもの方は自分が未熟なんじゃないかと思ってしまうんです。

親の未熟さというのは、大体二通りパターンがあります。単純にキレて暴力を振るうとか、そういうパターンの親がいます。これは未熟過ぎますから、すごくよくわかります。けれど、大概の未熟な親は、こういうパターンは実はとらないんです。どういうふうなパターンをとるかというと、自分の劣等感をおまえのためだという形で出してくるんです。

まず、親が劣等感を持っていると、自分は世間や身内から、すごく不当に扱われていると思いだす。今、親の話をしてるんですよ。そうすると、なぜか自分だけ損をしているような、イライラして悔しいような気持ちになってくるんです。だから、よくお酒を飲んでも、あいつが悪くてこいつが悪くてと、自分以外はみんな悪いと思ってる人がいるんです。それは極端な劣等感があるんです。これは親の親から受けた問題だから仕方がないんです。

そういう劣等感を持った親が家に帰ってきて何をするかというと、二つのことをやりだすんです。
一つは、例えばお父さんで、右上がりの奇麗な字を書く人がいるとしますね。子どもが丸文字を書くと、そのことを異常に注意するんです。「これはおまえのためだから」と言ってるけど、実は丸文字を書いていても誰も困っていないんです。それなのに異常に注意をしているというのは、必ず親に劣等感があるんです。劣等感があるから、そのことを一生懸命やってうさ晴らしをしているんです。愛情という名の「うさ晴らし」をしてるんです。
それからもう一つ、こういううさ晴らしの仕方もあるんです。例えば、子どもがピアノを始めたとします。そうすると、やってみたら自分には向かないことが子どもはわかったからやめたいのに、「やったことは最後までやってほしいのよ」と、ずーっと子どもに対して、ものすごい威圧をかけるんです。それって、自分の劣等感を子どもで晴らそうとしてるの。
この前、とんでもないテレビを見ました。そこに出ているお母さんが、自分の得意で好きなことをやっているのに、「この子に、私は最後まで頑張る姿を見せたい」だって。あんた、自分が好きなことしてるんだよね。子どもはそれが嫌なんだよ。それと一緒にして、お母さんの偉さを見せようとしてるんだよね。それで劣等感を晴らそうとしてるんだよね。

「私は何も言ってない」と言いながら、明らかに顔や態度で不満を表している親。それが子どもにものすごい劣等感を与えるの。
劣等感をうんと与えられて育ったおとなしい子というのは、「お母さんは自分がいいことをしたときは喜んでくれる。気に入らないことをすると怒る。ということは、自分は何か常にいいことをしていないといけないんだ」という状態になってくるの。人が喜ぶことを常にしていないと、自分は無価値だと思ってしまうから、意外とそういう元気のない子に「あなた、何やりたいの?」ってきくと、「自分はボランティアとか福祉をしたい」って言うの。それで、必ずそういう人の特徴というのは、楽しそうにやっていないの、見るからに。自分のコンプレックスを補うためにボランティアをやっている人というのは、本当はやりたいわけではないから、「やりたいの」っていいながらなかなかやらないの。ボランティアをやったとすると、実はそんなことで劣等感は補えないから、今度やらない人に対して「あの人たちは何でやらないんだろう」って、不平不満をぶつけ出す。だって、自分はやりたくてやっているんではないんだもん。「やりたくないのに私はやっているんだ。何であなたたちはやらないんだ」って理論になってくる。

それから上司で、のべつ怒鳴ってる人っているよね。「ああ、嫌だな。俺は何でまた怒られるんだろう」ではなくて、怒っている人に、「この人は相当劣等感がある人なんだ、気の毒な人なんだな」という顔で見ててみな。怒る人もやめちゃうの。だってバレているんだもん。劣等感を持っている人というのは、自分が劣等感を持っているということがバレるのが一番嫌なの。だからもっと自分より弱そうな人を探して怒ってるの。「俺は疲れて帰ってきてるのに、こんなお前の態度じゃしょうがない。俺は家庭を大事にしてるんだよ」ってふりをするときに、「あんた、何でそんな劣等感持っちゃったの」って言ってみな。一発で直っちゃうの。

「どんなふうにして劣等感を植えつけられたんですか」というと、親の「がっかりした顔」なの。がっかりしてから立ち直ったように、「でも大丈夫よ、お母さんがついてるから」って。そのがっかりした顔が傷つけるの。ちょっと昔勉強ができたとか成績が良かった、というほうが落ち込みが激しいのね。期待してあげることが愛だと思ってる。でも愛とはそういうものじゃない。
「あなたが運動会で一着になろうがペケだろうが、私にとってそんな細かいことは関係ないんだ。神様があなたを授けてくれただけで私は最高だから」
これが愛なの。
それを「うちの子はいい子なのよ、うちの子は何なのよ」と、いい子のときしかほめない。
だから、あなたが劣等感を持ったのは、あなたのせいじゃないんだよ。周りが未熟なの。

それで未熟な人というのは、例えば夫婦、恋人同士でもそうなの。自分以外の世界で奥さんが楽しい思いをしてくるとすると、劣等感のない人は「ああ、良かったね」と言う。
ところが劣等感を持っているダンナは、なぜか「俺のいないところで、どうやって楽しんだんだ」とそのことをすごく嫌がって怒る。奥さんでもいる。「あなたばかり楽しくていいわね」とか。人が楽しかったのを「良かったね」と言えばいいのに、それを言えない雰囲気をつくる。それは何でですかといったら、あなたの中に劣等感があるの。この劣等感を与える方法は巧妙に隠されているの。

親とか育てた人は「あなたのためよ」とうまい具合に言いながら劣等感を与えているんだよ。だって、本当に周りがあなたのためを考えていたら、あなたは今幸せなはずなんだよ。それが幸せじゃないというのは、親のほうも子どもから気力を奪っているということに気がついていないんだよ。それで、なぜお母さんがそうなったかというと、自分の親にやられてきたんだよ。だから、悪いとも何とも思っていないんだ。本当にあなたのためだと思っているからわかりづらいんだよ。でも、本当にあなたのことだけを考えてくれている人が何人もいるのに、なぜあなたは不幸なの。おかしいよね。あなたは本当は「うさ晴らし」をしているんだよ。そのお母さんのお母さんはそれをまたやられていた、ずっとなんだよ。どこかでこれを断ち切ればいいんだよ。

子どもを一生懸命育てているのに、子どもに暴力を振るわれたりする人って、特徴があるの。それは、そういう親はすごく劣等感がありながら、自分はいいお母さんになってやらなきゃいけないと思って、義務でやってる。だから顔に楽しさが出てないの。すると、心とやってることがちぐはぐなの。それを見ていると周りは絶対イライラする。子どもやなんかはワーッと暴れ出して、親のことをバカバカッとやっちゃうの。何でだかわからない。もし一生懸命やっててうまくいかない人は、楽しそうにやってるかどうか考えてみて。劣等感があると楽しそうにできないの。なんでそこまで威張るんだという人を見たとき、この人は劣等感があるんだ、と思いな。そして、その劣等感が外に攻撃的になったり、逆に自分を攻撃したときに、うつ病になったりするの。攻撃的なやつが劣等感を持ったか、優しいやつが劣等感を持ったかで、起きる行動が違ってくるの。ただそれだけなの。原因は根拠のない劣等感なの。

この劣等感という呪縛からどうやったら解き放されるのか。気がつけばいいんだ。「ああ、ただそうなんだ。自分は未熟な親を選んで生まれてきてる」と。それで、この劣等感をなくす、やめる。これが今世の修行なの。何回生まれても、最終的にこの劣等感を持ったまま幸せになることはできないの。できるだけ人に劣等感を与えない。それができるようになるのが、今世の修行なの。

劣等感のある人は、人に認められようと努力をいっぱいするけど、よしな。あなたのことは神様が認めているんだから。神が認めているからあなたを地球に生ませたの。
だから、周りの人間が何を言ったって関係ない。「私のことは神様が認めてくれているんだ」、そう思えばいいの。

長くなりましたけど、一応、終わります。

「初めに言葉ありき」





キリストさんも「初めに言葉ありき」と言っているように、言葉ってとても大切なんだよ。


この言葉には「言霊の法則」があって、お釈迦様も愚痴や悪口、泣き言を言ってはダメですよと言っているけど、


なぜかというと、たとえば泣き言を言うと、もう一度泣き言を言わなければならない事が起きるんだよ。


逆にウチの会社だと「ツイてる」ってみんな言うようにしてるんだけど、「ツイてる」って言っていると、もう一回「ツイてる」って言いたくなるような現象が必ず起きるんだよ。





でもそうやって言っていても、たまに「ツイてない」と言いたくなるような現象が起きるけど、これが神様からの試験なんだよ。


そこで正しい答えを出して「ツイてる」って言うと、とんでもなく、ツイてるいい現象が起きるんだよ。


松下幸之助さんが昔、船に乗っていたときに、揺れたはずみで船員さんにつかまれて一緒に海に落っこちたことがあって、普通なら「ツイてない」と言うところを幸之助さんは、「私のように泳げない人間が海に落ちても助かったのは本当にツイてる」って言ったんだよ。


そしたらその後で、ツイてることがどんどんどんどん起きて、その事が起きる度にまた「ツイてる」って言うから、幸之助さんの会社は日本一になったんだよ。


この「ツイてる」という言葉が次を生むんだよ。「感謝してます」って言うと、また「感謝してます」って言いたくなることが起きる。言霊の凄さは、それを言うと、もう一回言いたくなることが起きるということ。


だから、いつだってどんな言葉を使うかがとても大切なんだよ。



【斎藤一人さんのお話より】
【斎藤一人さんのお話より一部抜粋】

ほとんどの人が不幸になるのは…病気もそうだよ、用心深過ぎるんだよ…それから心配事…この2つなんだよ。
用心し過ぎなの。心配し過ぎなんだよ。
これで病気になるんだよ。

それで、気元(機嫌)がいい状態っていうのがあるんだよ。気元がいいっていうのは、例えば「私、不安なんです」「恐れがあるんです」っていうけど、恐れとか不安というのは感情なんだよ。
要するに、人間は頭を使わないで感情にまかせていると、恐れるようにできているんだよ…ハナっから。
だから、「私は心配なことばっかり考えちゃっているんです」っていうけど、心配事を考えちゃうのは考えてないからなんだよ。
それって自動的に湧き上がってきているだけで、あんたが考えているんじゃないんだよ。わかるかい?人間はそういう構造になっているんだよ。
ところが、幸せというのは、意志なんだよ。
自分の意志と知恵みたいなものなんだよ。
だから、朝起きたら、「朝、目が覚めて幸せだなぁ」とか「ご飯食べれて幸せだ~」とかね。
黙って食ってりゃ、ただのご飯なんだよ。
だから、黙って食ってると、「なんでこんなもんしか食えないんだろう」とか「俺は貧しいな…」とか、不安になるようにできているんだよ、元々が。
ところがね、「美味しい鯵の開きだなぁ」とかって言うと、美味しい鯵の開きになるんだよ。「今日のランチは楽しいなぁ」って言うと、楽しいランチになるんだよ。
で、楽しいとかそういうことは、自分で意図的にやらないかぎり、無いんだよ。
楽しいことっていうのは、楽しいことを考えて、楽しい何かの行動をしないかぎり、無いんだよ。だから、「待っていたら誰かが幸せにしてくれるんですか…」って言っても、待ってても何にも来ないんだよ。
せいぜい来るのは税務署とか病気とかね。

いいものは行かなきゃならないんだよ。ディズニーランドが来てくれることもないの。ミッキーマウスがあんたの家に来ることもないの。
ミッキーマウスに会いたかったら出掛けて行くの。わかるかい?
それで、もっと幸せになりたかったら、ミッキーマウスの着ぐるみでも着て、養老院を廻って歩くとか、孤児院に行って、みんなを喜ばせるとか…
自分が自発的にならないかぎり幸せって無いんだよ。
誰かに幸せにしてもらおう…って、そんなことはできないんだよ。
あんたが幸せになるには、あんたが幸せと思うことなんだよ。
幸せとは、自分の意志で作り出すものなんだよ。