人間のストレスの原因は

 

そのほとんどが対人関係によるものだそうです。

 

どんなに仲がいい人でも

 

血が繋がった人でも

 

ずっと一緒にいたら

 

必ず衝突する場合があります。

 

人はそれぞれ考え方、感じ方が違うから

 

意見が食い違うのは当たり前ですよね。

 

小さなことなら

 

どちらかが譲れば問題は表面化しません。

 

でも、譲る人が決まっていて

 

もう一方は常に譲らない、という関係性は

 

不均衡ですね。

 

譲らされる方は徐々に不満を溜め込み

 

譲らせる側は、現状を維持したいと考えます。

 

健全な関係性ならば

 

譲ったり、譲ってもらったり

 

お互いに相手に配慮して

 

一方的な力関係にならないように

 

バランスをとるでしょう。

 

でも、それって現実には

 

そんなに簡単じゃないんですよね。

 

自分も相手もそういう考え方じゃないと

 

実現しないことだからです。

 

世の中には

 

相手にばかり譲らせて

 

自分は譲らない人がたくさんいます。

 

これは「その相手との関係を大切だと思うか」

 

「その相手との関係を継続したいか」

 

にもよると思います。

 

相手との関係が大切で継続の必要性があるほど

 

相手への遠慮は大きくなり

 

自分が譲る、という選択をする確率が

 

高くなります。

 

反対に、相手との関係はどうでも良くて

 

関係が切れるなら切れるで構わない

 

というのであれば

 

自分が譲る必要はない

 

と考える傾向にあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

武田邦彦さんの

 

「まともな人ほど ぼっち になる理由」

 

というYoutube動画を観ました。

 

日本人は特に

 

なのかもしれませんが

 

群を作りたがり

 

群の掟を守らせたがります。

 

日本人は弥生時代から農耕民族でしたし

 

日本は昔から災害多発国ですから

 

一人ぼっちになることは

 

すなわち死ぬことでした。

 

(昔)稲作は多くの人手を必要としました。

 

大勢の人たちが集落で協力しあい

 

農耕を営みました。

 

災害時には、助け合って生き延びてきました。

 

「群を作る」のは

 

生存戦略だったのです。

 

集落の掟に背く者は

 

村八分

 

にされました。

 

集落の構成員たちが、同じ掟に従うように

 

強制する為の制裁でした。

 

これによって日本社会は

 

全員どこかの群に属すること

 

群を作って協働して生きること

 

他者と協力し、助け合うこと

 

群のルールに従うこと

 

を暗黙のルールとしてきたのです。

 

これは長い間それなりに機能してきました

 

災害が多発し、農耕地も限られた日本で

 

二千年以上もの間

 

人々は安定した社会を営み続けてきたのです。

 

※日本は古代から現代まで

 

王朝が途切れることなく続いている

 

世界最古の古代国家です。

 

もちろん長い日本の歴史の中で

 

戦国時代もありました。

 

時の権力者の力による交代もありました。

 

天災や飢饉も何度もありました。

 

負の歴史があることは事実です。

 

それでも、とにかく

 

日本という国が、二千年以上の長きに渡り

 

他国から侵略されたり、滅ぼされたりせずに

 

今日まで続いてきたのは事実です。

 

これは、世界的に見ても稀有なことです。

 

生存戦略

 

という視点で見れば

 

これまでの日本のあり方が

 

兎にも角にも一定の成果(国を継続する)

 

をあげてきた事は

 

疑いのない事実です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だから・・・・

 

日本人としてのアイデンティティーを持つ人たちには

 

無自覚のうちにこの生存戦略の掟を

 

自分も守り、他者にも守らせようとする

 

力が働きます。

 

この事は、人間関係におけるストレスとも関係しています。

 

会社なり、家庭なり、習い事のグループなり

 

二人以上の人間が集まれば

 

そこには「群の掟」ができます。

 

「そこでしか通用しない暗黙のルール」

 

が出来上がるのです。

 

最初に書いたように、複数の人の間の

 

パワーバランスが不均衡になった時

 

「暗黙のルール」という「群の掟」

 

を作るのは、力学の頂点にいる人

 

ということになります。

 

それ以外の人たちは

 

その人が決めた掟を

 

守らされることになります。

 

そして、自分が守るだけでなく

 

自分以外の仲間にも守らせるように

 

お互いに働きかけます。

 

守ら(れ)ない人がいれば

 

村八分

 

です。

 

これが日本独特のいじめの原理です。

 

最近、学校の先生の間でのいじめが

 

問題視されていますが

 

(私もこれは大きな問題だと思っていますが)

 

別に学校の先生の世界だけにある話では

 

ありません。

 

家庭内でも、会社内でも、友達同士でさえも

 

いじめはいつでも起こっています。

 

お互いに頼り合う関係ならなおさらです。

 

いざという時に助けてもらうために

 

生き残るために

 

ぼっちが何よりも怖い

 

と無意識のうちに刷り込まれているのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

テクノロジーが発達して

 

日本も世界も大きく変貌して

 

現代の日本社会では

 

かつてほど「群」を作る必要性が

 

なくなりました。

 

「群」にはメリット(生存戦略、安全保障)もありましたが

 

デメリット(人間関係のストレス)もあります。

 

メリットが「群」以外では得られない場合は

 

どれほどデメリットが大きくても

 

「群」を選ばないという道はなくなります。

 

でも、「群」以外でも得られるのならば

 

自然に人は、「群」から離れていくのではないでしょうか?

 

だってデメリットはあるんだから。

 

一昔前に比べて

 

未婚率が高まっているのも

 

核家族化が進んでいるのも

 

会社に通って、皆んなで協力して

 

仕事をするよりも

 

収入が不安定でもいいから

 

フリーランスで働いたり

 

在宅でできる仕事をしたりする人が

 

増えてきたのも

 

熟年離婚が増えているのも

 

「群」の人数を減らす(究極は自分一人になる)ことで

 

人間関係のストレスを軽減しようとしている

 

ということなんじゃないでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

まともな人ほど ぼっち になるのは

 

よく考えれば当たり前のことだと思います。

 

どんなに仲良い人であっても

 

他人は自分の思い通りに動きません。

 

自分の思い通りにならない生き物が

 

終始、目の前にいるというストレスを

 

抱え続けるのは嫌ですよね。

 

だから、究極のところ

 

人は、自分一人で不自由なく生きられるのなら

 

基本的に ぼっち でいるのが幸せなんじゃないかなぁ

 

と思うのです。

 

お互いに群れていた方が楽しい時とか

 

協力した方がお互いにメリットがある場合とか

 

そういう場合だけ群れていれば良いのです。

 

それを

 

「家族(夫婦)だから当然協力すべき」

 

「会社のために尽くすべき」

 

「友達なら〜〜すべき」

 

という掟ありき

 

で自分や相手を拘束しようとするから

 

がんじがらめで息苦しい人間関係に

 

なるのではないでしょうか?