江戸時代の庶民(町民、農民)の間では

 

嫁取り式婚姻が一般化しました。

 

当時の庶民の婚姻は恋愛ではなく

 

かといって武家や公家のような

 

家督を継承するための政略結婚でもなく

 

ビジネスパートナー契約のようなものだったらしいのです。

 

時期や地域による差はもちろんあったでしょうが

 

妻の地位は明治期ほどには低くなくて

 

子孫を産み、働いて家族を支える

 

重要な労働力だったようです。

 

家計は「共働き」と言うよりむしろ「銘々働き」に近く

 

財産や財布は夫婦それぞれ別で

 

お互いに生活費を出し合って暮らしていたようです。

 

離婚率はかなり高くて

 

現在世界で最も離婚率が高いロシアよりも

 

当時の庶民たちは離婚していました。

 

夫婦の間にできた子供は夫が引き取るケースも今より多かったとか。

 

三行半は夫から妻へ書いて渡す離縁状でしたが

 

夫がこれを書くのは権利ではなくむしろ義務でした。

 

これを手にした妻は

 

さっさと再婚するものも多かったといいます。

 

半数以上の離婚者たちは再婚していたし

 

3度、4度と離婚、再婚を繰り返すことも

 

珍しくなかったようです。

 

またそれは恥だとも思われていませんでした。

 

夫が妻を離縁したいと思えば

 

妻の持参金を全て返却しなければならず

 

それができない場合は

 

妻側から離縁を申し出てもらうように

 

仕向けたのだそう。

 

女性たちは経済的に夫から独立しており

 

離婚が恥ずべきことでも、躊躇すべきことでもなかったのだとしたら

 

そりゃ離婚する人は多いでしょうね。

 

当時は現代と違って

 

合コンもマッチングアプリも結婚紹介所もありません。

 

基本的に生まれた町村という狭いコミュニティで

 

一生を終えました。

 

出会える婚姻適齢期の異性の数も

 

今より限られていたでしょう。

 

親や親戚やご近所の人から

 

結婚の世話をしてもらったケースも多かったでしょう。

 

そんな限られた選択肢の中から

 

江戸庶民たちは結婚相手を選び

 

とりあえず結婚生活をしてみて

 

無理だったらさっさと離婚して

 

次の人を見つけて新しい人生を歩んだのです。

 

今よりも平均寿命が短かかったのに

 

何度も結婚、離婚を繰り返すなんて

 

随分と忙しい人生ですよね。

 

それでも世間はそれをおおらかに許容していたし

 

逞しく生き抜くために

 

江戸庶民たちは今ほど我慢しなかったようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明治初期になっても

 

日本は離婚大国でした。

 

それが大きく変わったのは

 

明治31年の旧民法が施行された時でした。

 

家父長制が色濃く反映された明治民法では

 

男は主な稼ぎ手である一家の大黒柱(世帯主)、

 

女は子を産み、夫の両親の面倒(介護を含む)と

 

家事一切を引き受けるものとされ

 

家庭を支える無償の労働力と位置付けられました。

 

性別による役割分担が、国家の基本方針となったのです。

 

当然ですが、このように決めたのは

 

明治の元勲たち(ほぼ全員江戸時代生まれの男性たち)

 

でした。

 

これには富国強兵、殖産興業を国是とした

 

当時の時代背景や世界情勢があります。

 

さまざまな制度や法律は

 

国家としての生き残り戦略なのです。

 

明治後半の日本は

 

日清戦争、日露戦争という

 

当時の大帝国相手の戦争をしました。

 

しかも両方とも勝利しています。

 

これは対戦相手国の国内事情(ロシア革命など)もありますから

 

純粋に日本が強かったことだけが勝因

 

というわけではなかったのですが

 

とにかく大帝国を相手に戦い、勝ちました。

 

でもそのために払った犠牲も大きかったのです。

 

国家は国民を大戦争に動員し、国家が生き延びるために

 

家族制度を活用しました。

 

(というよりもそのための制度設計だったのでしょう。)

 

若い男たちが戦争に行き、戦死したとしても

 

安定的に家や子孫を残せる制度が必須だったと考えられます。

 

そうでなければ

 

兵士たちの士気が高まらず

 

戦いを忌避する者が続出し(実際続出したようですが)

 

強国相手に戦い抜くことができなかったでしょう。

 

当時の男性も女性も

 

性別による役割分担を引き受けなければ

 

明日を生き抜くことができない状況に

 

置かれていたといえます。

 

明治民法が施行されて以来

 

日本人の離婚率は激減していきます。

 

婚姻率は9割以上になり

 

その後二度の世界大戦を経て

 

時代によって多少の変動はありながらも

 

1980年代までは

 

概ね国民皆婚時代が続きました。

 

1960年代半ばまでは離婚率も比較的低かったようですが

 

1960年代後半からはっきりと上昇します。

 

直近の15年間の離婚率は減少していますが

 

そもそも結婚する人たちが減っているということも

 

考慮しなければなりません。

 

医療が発達し、食糧事情が良くなり、医学健康情報が広まり

 

日本人は世界でも最も長寿になりました。

 

過去50年というスパンで眺めれば

 

婚姻率は減少し

 

離婚率は上昇し

 

今や単身世帯率はかなりの割合にのぼっています。

 

在宅ひとり死(いわゆる孤独死)は

 

今後増えていくのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

こうして過去400年を振り返ってみると

 

日本は明治31年から昭和末期までの間

 

かなり特異な期間だったことがわかります。

 

人間の自然な性分よりも国家の都合を優先して

 

家族というユニットを規定し

 

福祉(子育て、介護)や家事労働を

 

女性の無償労働と決めることで

 

(それこそが女性のあるべき姿と礼賛することで)

 

国民に不自然で持続不可能な価値観を植え付けました。

 

それが徐々に崩れてきています。

 

少子化問題も

 

高齢者の介護問題も

 

LGBTQの問題も

 

その発端は明治民法による家族制度の設定にある

 

のではないかと私は思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

江戸時代は戦がない平和な時代であり

 

成人男性の方が女性よりも多かったので

 

男余り状態でした。

 

経済力がある男性は

 

子孫を残すために妾を持つこともよくありましたし

 

結婚、離婚、再婚を繰り返す人(時間差重婚)もいましたから

 

当然ですが、妻をもらえず、あぶれる男性たちが多くいました。

 

だから男色も今より許容されていたようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

明治31年当時

 

日本人の平均寿命は42〜3歳程度で

 

現在の約半分の短さでした。

 

当時の女性たちの平均結婚年齢は20歳頃で

 

平均寿命まで生きたとしたら

 

20年あまりの結婚生活が想定されていました。

 

明治民法制定前までは

 

20年あまりの期間に何度も結婚、離婚、再婚を

 

繰り返していたということになります。

 

それが民法制定とともにとてもしにくくなりました。

 

二夫にまみえず

 

を文字通り実践しなくてはならなくなったのです。

 

男尊女卑の風潮が瞬く間に広がり

 

当時の女性たちの地位がいかに低くなったのかがわかります。

 

戦争で命をかけて国(故郷、家族)を守る男性に

 

当時の女性が自己の権利を強く主張できなかったのかもしれませんね。

 

男も女も我慢しあって

 

命のリレーを続けてきたのでしょう。

 

それは二度の世界大戦中も同じでした。

 

男性と女性の性的非対称性が故に

 

性別による役割分担という

 

自然に逆らうような制度でも

 

一定の合理性を認めて

 

受け入れて生きるしかなかったのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

戦争が終わり

 

日本に平和な時代が訪れました。

 

新憲法が導入され

 

それに伴って種々の法律が改正されました。

 

それでもこの性別による役割分担を是とする

 

さまざまな制度や人々の価値観は

 

なかなか変更されずに継承されました。

 

やがてベビーブームが起こり

 

男性の方が女性よりも(自然に)数が多くなりました。

 

女性(という資源)を男性たちが平等に、均等に分け合うために

 

一夫一婦制は維持され、女性は安定した家族関係の中で

 

子供を産んで育てられるようになりました。

 

1960年代まではそれで良かったのです。

 

男性の平均寿命は60代、女性は70代であり

 

子供は一家に2人程度生まれていました。

 

これが永続的に続けば問題はなかったでしょう。

 

しかし時代は変化していきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

戦争の記憶が徐々に薄れ

 

男性が兵隊として出征する可能性に現実味がなくなった時

 

平均寿命がどんどん伸びて

 

親の介護が深刻な問題になってきた時

 

女性たちは、明治民法をベースとした家族のあり方が

 

一方的に女性に不利であることに気がつきます。

 

明治時代にはほとんど皆んなが結婚していました。

 

そして離婚率は急速に下がっていました。

 

戦争で夫を亡くした女性たちも多く

 

結婚して子孫を残せたことをありがたく思ったでしょう。

 

夫の両親の介護があったとしても

 

それは現代に比べれば短期間でした。

 

何しろ平均寿命は42〜3歳だったのです。

(あくまで平均ですけどね)

 

令和の時代の女性たちは

 

明治時代に国家から植え付けられた家族に対する価値観と

 

家族の実態との乖離の中で

 

今の時代、最も割を食っているのではないかと思います。

 

両親だけでなく、将来的には夫の介護まで期待され

 

子育てはもちろん母親の責任も

 

家事全般も妻が担っており

 

夫は「お手伝い」程度しかしません。

 

96%の夫婦は夫の姓を名乗っています。

 

つまり妻が姓を変えているということですね。

 

離婚する際には旧姓に戻ることが基本で

 

婚姻性を名乗り続けたければ届け出をしなければなりません。

 

世帯主の9割は男性です。

 

新型コロナ給付金は世帯主に一括して払われましたから

 

妻や子供の分まで夫がもらってしまった

 

というケースがありました。

 

女性が外で働いて経済的に自立しようにも

 

男女の賃金格差は大きく

 

女性が男性と同等に働いたとしても

 

6〜7割程度しか稼げない社会構造です。

 

家事労働、家庭の福祉(子育て、介護)は

 

女なら誰でもできる(しなくてはならない)無償労働とされ

 

その価値はとても低く見積もられてきました。

 

戦争に行かなくなった男性たちは

 

極論を言えば、命が保障された状態で

 

働いて稼いでさえいればよく

 

妻のことを、自分が自由に使える召使い程度にしか

 

考えない輩もたくさん出てきたのです。

 

しかも男性の性として

 

より多くの女性たちと遺伝子を残したい

 

というふうに考えますから

 

不倫をする人たちもかなりの割合にのぼるようです。

 

昔のように堂々と

 

お妾さん

 

を囲える時代ではなくなりましたしね。

 

 

 

 

 

 

 

 

こんなふうに婚姻制度という国家が定めた制度を

 

長尺で眺めてみれば

 

私が夫と別居して、完全に自立し

 

でも離婚せずに「妻」でい続けることが

 

生存戦略として正しいことが再確認できました。

 

結婚にはメリットもデメリットもあります。

 

私には同居婚のデメリットが大きかったので

 

別居婚にしました。(夫は納得していないけど調停で合意しています。)

 

同居だろうが、別居だろうが、婚姻関係にあることは

 

変わりがありません。

 

男女共生センターに夫のDV相談をしていたことが幸いして

 

私と子供達の新型コロナ給付金を受け取ることができました。

(子供達にちゃんと渡しました)

 

離婚して姓を変えたり、離婚を職場に届けなくてはならなかったり

 

免許証やら銀行口座やら住民票やら印鑑登録やら

 

全てを届け出し直す物理的、精神的労力は大きいので

 

やりたくありません。

 

国家は、女性にこんなハードルを課すことで

 

離婚したがる女性を男性の元から逃がさないように

 

しているのでしょうか?

 

国家は、個人の幸せのためではなく

 

国としての生存戦略という視点で制度設計をしますから。

 

女性たちが不満を溜めながらも我慢をし続けてくれさえすれば

 

現状が維持できると考えているとしか思えません。

 

明治の元勲たち(たくさん妾を持っていた人たちを含む)が

 

男尊女卑の価値観をもとに

 

家父長制度を法律に落とし込み

 

家族(特に女性)に国家が担うべき福祉政策の

 

責任を女性たちに負わせ

 

男性たちに戦争で戦わせるための制度を

 

がっちりと創りました。

 

それが100年以上経った今も

 

連綿と続いています。

 

戦争さえなければ

 

基本的に男性にとって有利な制度なので

 

社会の中心にいる男性たちが

 

これを変更しようというインセンティブが

 

働かないのは当然です。

 

少子化の原因はいろいろありますが

 

女性たちが結婚しなくなったり

 

子供をたくさん産まなくなったりしているのは

 

決して「産む機械(←と言った政治家がいましたよね)の性能が劣るから」

 

ではなく

 

男性中心社会と明治民法の不自然な価値観への

 

個人でできる精一杯の反抗なのかもしれませんね。