いつものように

いつものように

I start from December 8, 2011

新型コロナウィルスワクチンの全ての犠牲者に、
心からお悔やみ申し上げます。

1月20日までに本日の面接結果を待つものの、4月1日から新しいお仕事がほぼ確定したようなので。

 

ブログは暫くお休みの予定。

 

たまに当たり障りの無いブログ記事を書くかもしれませんが、仕事の特性に鑑み、SNSをしない方が事なかれかなと考えています。

 

 

念のために注意書き。

風評被害はいけません。

 

事なかれ。

 

 

以下は、過去のブログ記事を思い出したとき、気になる事についてのメモを備忘録。

 

追記1:メモ

1月19日、面接結果が来ない。不採用の場合は連絡なしの為、1月20日に来なければ不採用確定。

日当の高い方が不採用のようなのですが、不採用の場合、正式に採用通知が来ている方に4月1日からの業務を受ける旨の返答を1月20日17時以降にメールで連絡することに。

なお、内定が取り消されない限り4月1日からお仕事なのですが、お仕事をしているか否かも含めて「秘密」の予定。

1月20日はメール連絡してから即電車に乗って出勤し夜勤開始、1月21日は有休休暇にしているので、1月20日夜勤の夜勤明けの帰り道に糖尿病の検査(1月21日9:30から)。

忙しい。

 

追記2:メモ(2026/01/22)

現時点では、支持政党なし。何やら、老衰が激しそうな人達のトラブルネタがインターネットという巷に。

概ね、感情のコントロールがしにくくなると、老化を感じることとなると思われます。

ガラが悪いのも人格の成れの果て。人格権から表現の自由まで、事件性のない違法性のないことは大切であり、証明力が足りない程度の証拠があるぐらいが自由の限界ともいえなくもないね。いろいろなバランスの成れの果てで崩れた時、司法が動くとなるのでしょう。まあ、無罪推定の原則もあるし、不起訴処分から起訴猶予までいろいろなハードルもあるので。それは民事事件でもいろいろなハードルがある。穏やかな人生であるならば、毅然とした態度も大切ですし、同時に、なるべくなら、事なかれがいいね。

 

なお、違法収集証拠に証拠価値がそれほどない。

警察は民事不介入。

生活給がなくなる場合、社会的責任を取ったということも。

いろいろなバランスの成れの果て。

 

その中で、自由を謳歌し、バランスよく、穏やかに人生を生きていく。

意外と気を付けないと奈落の落とし穴というのは、近くに空いていることも。

 

どちらにしても、人は自由すぎることが多いのかもしれません。それを高齢者になってから気が付くとき、さて、どうなることやら。人生は有限なので。

 

「志」と現実の狭間をゆらりゆらりと漂流しているような感じになるとアレかなと。

 

老害という言葉を思い出しつつ。