大学生はまだ何も知らない。

中途半端に社会を知って、そこそここなれた毎日の中で、夢とか希望が本当に叶うのだと信じている。

忙しい、という一言にしたって、こちらからしたら「へぇ、」と頬杖をつきたくなるけど、当事者としてはそれが本当に「忙しい」と感じているわけで、別に間違っている訳じゃない。

私だって、大学生の時はそれなりに自分が忙しいと感じていた。

その時の自分を今の自分が眺めたら「ふぅん、大変だね」という感じ。

だって、大学生の時は自分でどうにかする毎日で、周りに制約されることの方が少なくて、できないのも大変なのも実は自分に原因があったりする。

仕事を始めると、理不尽なことが増えて、自分の力量をふるっても敵わない現実がある。



私だって、一頃は夢とか希望とか自信とかに溢れて、勝手だった。

子供だった。



でも、それは幸福なことだった。


もちろん今でも私は十分幸福で、贅沢を言わなければ何不自由ない。


年を重ねるごとに我慢や諦めを知り、純粋だった自分を見つけられなくなった。


冷めたのとも違う。
私はただ、当たり前に普通の大人になろうとしているだけだ。

そして、それにささやかながらも抗う自分が、軸をぶらす。


現実的な自分が凝り固まっていく。



小さなことだって、そうだ。



素敵だと思う人がいたとして、その人の長所だけで恋ができたのは学生の頃だけ。

短所なんて、と目をつむって恋愛を一番に考えていたのは昔。

いつからだろう。

大事なことの優先順位が変わったのは。



贅沢で打算的な価値基準の上に成り立つ正論を並べた、嫌な生き方だと思う。


渇いた人生だとも思う。



一度通りすぎた岐路にたち戻ることなど到底できない。

でも、次の岐路にも立てない私は、ただただ歩くしかなくて、それもまた虚しくて味気ない道に思う。




しかも、これを休憩時間につらつら打ってる私も私で、本当に、つまらない人間だと、自分でも思う。



安心という幸福の上にあぐらをかいて、またひとつ不平がもれる。


たまらない。