ドラッカーがなぜマネジメントを説いたかというと、それは企業を全体主義への防波堤とするためだった。国家が全体主義主義化していくものを食い止めるのが企業家の社会であると。全体主義とは国家社会主義にことであり、国が生産資本の全てを掌握し管理する社会である。そこにあるのは計画的な生産と配給。しかし、ソ連の全体主義の壮大な実験の結果は、一時的に生産性が上がったように見えたが、最終的には限りなき生産性の低下が起きた。生産性の向上は自発的な工夫の中にしか出てこない。何が売れるかなどということは、事前の計画では正確に予測することはできない。大きな失敗もあれば、予期せぬ成功もある。ある生活必需品が社会で飽和状態になっても、新しい用途の提案によりさらなる需要を生み出すこともできるし、生産側が意図していたのとは全く違った用途のために、現場では使われていることもある。生産側は刻々と変わる現場の状況に常に対応していかなければならない。これをマーケティングというが、一部の特権階級によって生産財が独占される全体主義国家に柔軟なマーケティングもイノベーションもありえない。なぜならば、マーケティングもイノベーションも、消費者の気まぐれ、消費者の選択の自由を前提としているからだ。生産手段や資本を企業に委ねる社会を資本主義社会というが、資本主義の最大の長所は国民の自由に基づいた社会を形成でき、生産性が高くなるということである。そして、企業が赤字となるのではなく、黒字を生み出すことが、この資本主義社会が存続する要件でもある。社会主義者は資本家を悪として扱うが、資本家=企業家が利益を生み出し、それが国民の賃金となり、税金となり、社会保障の原資となる。またその利益を次の生産のために効果的に再投資していくことができる。企業が利益を生み出しその利益を未来の発展のために使うことによって資本主義社会は拡大再生産をする。これらが企業の社会的責任である。そして、この社会的責任を果たすための理論がマネジメントである。企業は社会の中で責任を果たすための公器である。このような倫理観を持ち、その責任を果たすために、第一義的には正しい利潤を生み出しながら、現在だけでなく未来社会をより良きものにしていく。そういう理想のためにドラッカーはマネジメントを説いたのであった。