- 「靖国」問題一考察 (摂津守)
- http://blog.goo.ne.jp/pontaka_001/e/2f8240755d041ba7352ac599092322a0
- 2005-02-14 22:46:20
- 「靖国問題」混乱の根本は、靖国神社のあまりにも矛盾した多面性と、戦後日本人の不完全な国家意識にあるように思います。
欧米諸国(及び現代国民国家)の戦没者追悼施設は慰霊碑、戦死者墓地と「無名兵士の墓」であり、特に「無名戦士の墓」は国内に於いては国民崇敬の霊域とし尊重され、国際儀礼上も重要な国家的要素として世界各国に認識されています。
この施設(無名戦士の墓)は意識的に被葬者=戦没者の「匿名性」を強調することにより国家全体の英霊を象徴する墓としての機能を有します。
日本に於いては、明治以来靖国神社が「無名戦士の墓」のもつ機能を担っていましたが、靖国神社の成立過程に於いて日本古来の宗教思想、明治の復古思想(伝統の創造)、西洋思想の混合がなされたため、複雑な形態をとることになりました。
その結果、靖国神社は戦死者の顕彰(政治=政府)、戦死者の認定事務(行政=陸海軍省)、戦没者の慰霊(宗教=宗教組織)の混合がなされ、その総体を国家機関として請け負うことになりました。
つまり靖国神社は「無名戦士の墓」の機能を持っているが、対象者が具体的に特定されている。戦死者墓地の機能を持っているが、遺骨、位牌がない。戦死者認定をするが行政機構ではないという一種独特な追悼施設になりました。
戦前は国家機構の一部として靖国神社が機能していたために、三つの機能の混合にそれほど矛盾は露れませんでしたが、戦後、軍隊の解体と靖国神社の国家からの分離に伴い、矛盾は拡大しました。
主権国家としては不自然な軍隊否定による戦死者顕彰の禁止のために、国家が戦死者を顕彰できず、一宗教法人にその役割を担わせるという歪な形態が成立し、戦死者認定業務も軍隊廃止のために、その実質(勲功認定、遺族年金など)が失われたままその形だけ(祭神認定)が靖国神社に残りました。宗教的な矛盾としては、神社本体が祭神を決定することが出来ず、行政(旧陸軍・海軍省、つまり現在の厚生省)が戦死扱い者を決定し祭神と為し、行政的矛盾としては、祭神の扱い(分祀など)に関しては行政(旧陸軍海軍省・厚生省)は関与できず、宗教(神社)が決定する権限を持ちました。
そのため一宗教法人といいながら、形式的に国家機能を代行し、かつ、軍隊不保持との建前によりその内実を伴わないという矛盾した存在となりました。
その矛盾を解消するために戦後日本でも靖国神社に代わる欧米型「無名戦士の墓」を設立しようとの構想のもと千鳥ヶ淵が創られましたが、匿名性を持った象徴的「英霊」というものが国民に受け入れられず、また「軍備放棄」との建前故に国家による戦死者顕彰を否定したために、その存在意義が失われ、結局無縁墓地的なものに矮小化されました。
結果として戦後の「平和主義」故に靖国神社は宗教的にも政治的にも行政的にも矛盾した追悼施設ながらも存続することができました。
以上の理由により靖国神社の是非を問うには宗教的、政治的、行政的に矛盾無く説明できねばならず、靖国神社肯定派、否定派ともに万人が納得できる答えを提示できていないのが現況だと思います。
(宗教的に説明すれば政治的に矛盾をきたし、政治的に説明すれば他に矛盾が現れる。例えば一宗教施設と主張するならば国家(総理)による参拝の必要性が説明が出来ないし、戦没者慰霊のための政治的に必要な国家的施設とするならば「神社」であることが問題となる。行政的判断での戦犯合祀は政治的、宗教的に意味づけできないし、平和主義で戦死者顕彰を否定すれば、政治的(国際儀礼)に通用しない、などなど。)
追記 戦犯の靖国合祀問題に関しては、戦争犯罪人遺族に対する年金問題から法務死を戦死扱いにする行政的措置がとられたのだと思います。これは宗教的と言うよりも行政的な判断です。そのために政治的または宗教的に戦犯合祀を説明することが困難です。
以上のことはあくまでも一個人の考察です。
- 「靖国問題」に於ける戦犯合祀問題(「戦犯」と「戦争責任」についての一考察) (摂津守)
- http://blog.goo.ne.jp/pontaka_001/e/c481ecdafcb380c7cb374ec93cfe0d2c
- 2005-02-22 22:18:08
- 「靖国問題」の重要な論点である戦犯合祀問題を検討するためにまずは「戦犯」(戦争犯罪人)と「戦争責任」の意味を正確に理解することが必要です。一般に流布する印象では戦犯=戦争加害者・戦争責任者です。以下に簡単ながら「戦犯」と「戦争責任」について考察してみます。(第二次世界大戦後の戦犯処罰の適正については論究しません。)
1.戦犯(戦争犯罪人)とは
もともと戦争犯罪人とは戦時、敵側に捕縛された戦争法規(及び戦時慣習)違反者のことを指し、戦争犯罪人は敵国によって処罰されました。しかし、戦争法規に違反したとしても敵の手中にない者は処罰の対象にならなかったし、戦争終了後はすべての戦争法規違反者は免罪され、講和条約にはその旨(アムネスティ条項=戦争法規違反者の免責規定)が明記されました。(明記されなくても慣習として認められていました。)
例えば、ナポレオン戦争の総括たる1814年のパリ平和条約(英仏条約)でもその第16条をアムネスティ条項として、戦勝国のみならず敗戦国フランスの戦時中の戦争法規違反者の免罪を規定しています。(「両締結国は、欧州を震動させた不和軋轢を完全な忘却の中に埋没させようと願望して、いかなる個人も、その地位や身分にかかわりなく、(中略)その行為、政治的意見、またはいずれかの締結国への帰属の故をもって、訴追されたり、権利を侵害されたり、あるいは虐待されたりすることがないと、宣言しかつ約束する。」)
ナポレオン自身も(普通エルバ島へ流刑されたと言われますが)「戦争犯罪人」として「戦争責任」を問われたわけではなく、「フランス皇帝」退位後に対仏戦勝国から「皇帝」の称号とエルバ島の主権を認められて200万フランの年金を受けてエルバ島を統治する事を許されました。 百日天下後も「戦争犯罪人」としてではなく、イギリス軍の「戦争捕虜」としてセントヘレナ島に監禁されました。
第一次世界大戦後に今までの慣例を無視して国家元首の開戦・戦争遂行責任を問うヴェルサイユ条約第227条によって前独帝ウィルヘルム二世を審理する特別裁判所の設置を決定しましたが、明確な裁判規定をもつことなくオランダ亡命中の前独帝は訴追されず、勿論国際慣習により大戦中のドイツ側戦争法規違反者も免責されました。(もちろん戦時中は両国とも捕らえた敵国戦争法規違反者を戦争犯罪人として処罰しました。)
第二次世界大戦後に戦争終了後に於ける戦争法規違反者免責の慣習を無視する形でいわゆる「戦犯裁判」が行われました。日本、ドイツ、フィンランドなど枢軸国側では戦勝国監督下で戦争法規違反者が戦犯として処罰され、フランス、イギリスなどでは「戦犯裁判」の名の下に自国の対独協力者が処罰されました。ただし、連合国側の戦時戦争法規違反者は免責されました。第二時世界大戦後の対フィンランド、対ブルガリア、対ハンガリー平和条約には連合国側対象のアムニスティ条項が明記されています。
2.軍法会議と軍律裁判
つぎに戦争犯罪者をどのように処罰するかを検討します。
軍法会議は国内法で自国の兵士、軍属、捕虜を対象として軍規違反者を処刑する司法機関であり、一方、軍律裁判(旧日本軍では軍律会議、軍罰処分会議など)は占領地で占領軍司令官(その代行者)などの制定する軍律(布告、法令、規則)の違反者を処罰する行政機関です。両者の概念をあわせて軍事裁判といいます。
戦時国際法違反の戦争犯罪人や軍律違反の戦時重罪人はこの軍律裁判で処罰されます。たとえば捕獲されたB29搭乗員は戦争法規違反のかどで戦争犯罪人として日本軍軍律裁判で処刑されています。(正確に言えば処刑ではなく処罰。)
B・C級裁判はこの軍律裁判に該当するものであり、占領国軍司令部の制定した規則に従って戦争犯罪人を処罰した軍事行政上の機関です。A級裁判も実質的には司法裁判ではなく、軍律裁判です。(ただし政治上の理由により名目的に司法裁判の体裁をとろうとしたために複雑な様相を持つ。)本来ならば戦犯はその戦争法規違反の是非を問わず戦争終結とともに免責されます。
3.A級戦犯とは
もともと戦争は合法手段として認知され、戦争の計画・遂行が戦争法規違反となることはありませんでした。第一次世界大戦までは誰も「戦争責任」を問われることはなく、第一次世界大戦後に戦争被害の責任を開戦したドイツに求め、独帝個人の開戦・戦争遂行責任を審理する特別裁判所の設置を決めましたが、実現しませんでした。戦争計画、戦争遂行の責任を個人に問うのは無理があり、領土割譲、賠償金などの形で敗戦した国家がその責任を負いました。
第二次世界大戦後ナチス幹部の処分が問題となり、イギリスは行政処分を主張しましたが、アメリカは対独戦の大義名分を明らかにするために司法裁判を主張、結果軍事法廷で裁くことに決定しました。ただ軍事法廷の管轄は戦争法規違反者、軍律違反者を戦争犯罪人として裁くものであり、ドイツ国籍ユダヤ人などの自国民被害者については責任を問うことは出来ませんでした。そのために新たにA条項(平和に対する罪・侵略戦争又は国際法・条約・協定もしくは保証に違反した戦争を計画・準備、遂行した者)C条項(人道に対する罪・戦争前、戦争中にすべての人民に対して行われた殺害、殲滅、奴隷化、追放その他の非人道的行為、政治的もしくは人道的理由に基づく迫害行為)を創制し、司法裁判の体裁をとることで辻褄を合わせようとしましたが、かえって矛盾点が露呈しました。結局、国際軍事法廷及び極東国際軍事法廷は実質的には司法裁判ではなく行政審判である軍律会議の変則的な形態で行われました。
結論
戦争犯罪人とは戦争法規(及び戦時慣習)違反者で戦時敵国に捕縛された者(~1945)と規定でき、戦争法規(及び戦時慣習)違反者で戦時戦後問わず敗戦国側の者(1945~)を処罰した第二次世界大戦後の「戦犯裁判」は歴史上特異なものと言えます。
また、誤解され易いのですが、いわゆる「戦犯裁判」は司法的裁判ではなく行政的審判であり、その処罰は敵国によって行われるものであり、自国の戦争法規違反者を戦争犯罪人として処罰するものではありません。そして、その敵国によって行われた行政的措置(罰)は講和条約締結後には失効するのが普通でした。つまりサンフランシスコ条約によって「戦犯」が受けた判決は失効し、死亡した者を除き釈放されるのが普通です。
第二次世界大戦後に連合国軍によって軍事法廷で処罰された戦争犯罪人は司法上の罪人ではなく、あくまでも行政上(つまり敵国の都合による)処罰者であり、決して戦争の責任を負う者ではなく、平和条約の締結と共にその処罰は失効しています。つまり「戦犯」が合祀されているからとの中国の「靖国」批判は法理上は適当ではないと言えます。(ただ戦犯の合祀に合理性があるかは別問題です。)
①戦犯とは敵によって処罰される戦争法規違反者であり、戦争責任を負う者ではない。
②戦争責任は平和条約の締結により果たされる。以後戦争責任の政治的、法的追及は不可。(歴史学に於ける検証のみ可。)
③靖国神社に戦犯が合祀されていることに関し外国が非難する筋合いはない。(戦犯の合祀の合理性の是非は別問題。)
以上はかなり大雑把な説明です。理解しやすいように用語や説明を簡略化しています。異論もあります。あくまでも参考として。 - ビットブルグ (摂津守)
- 2005-03-04 00:38:06
- ビットブルク墓地事件を問題にしたのはユダヤ人団体であり、たしか国家としてドイツの戦没者慰霊に干渉した国はないと思います。(ビットブルグ自体、レーガン米大統領が来ているし。)この点は日本の「靖国」問題との重要な相違点です。
また、ドイツで問題となるのが「戦犯」ではなく、「SS(ナチス親衛隊)」であるということも、あくまで問題は「戦争責任」ではなくユダヤ人がらみであるということでしょう。
このユダヤ人団体側の主張は、すべての加害責任はドイツ国ではなくナチスにあるとのドイツ政府の見解にも都合のよいもので、ドイツの場合、公的な戦没者慰霊の場からSS関係者を排除するということで徹底しています。ただし、ドイツ人の中には同じドイツ人戦没者をその所属によって差別することに対し割り切れない感情もあるようです。
ちなみにイギリスやフランスなどの戦勝国では戦没者慰霊に於ける戦犯問題は存在していませんし、フィンランドなどでは戦犯はなんの問題もなく慰霊顕彰の対象になっています。
>中華人民共和国がサンフランシスコ講和条約に署名していないことも、問題になると思うのですが。
日中間の戦後処理は日華平和条約、日中共同声明、日中平和友好条約によって完了しています。その後は戦争中の行為について両国とも国家として問題化すること不可だと考えます。(歴史学的検証などは可。)
私個人の考えですが、故に中国政府による「戦犯裁判」という名の不法な日本人殺害に対しての日本側の対中請求権も消滅しています。
「靖国」問題を考えるには、その前提として国家による戦没者慰霊、顕彰をどう行うかを根本から考え直す必要があると思います。単に別の慰霊施設を創ったり、A級戦犯を排除したり、靖国神社を国有化したりすることはなんの解決にもなりません。
今後現れるであろう戦死者を国家はどう扱うべきか、これまでの戦没者をどう慰霊するか、21世紀に於ける戦没者の顕彰とはどうあるべきか、をまず考えなくてはならないのでは。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 行方不明者の扱いについて (摂津守)
- 2005-02-16 23:24:45
- >靖国神社において、太平洋戦争時における行方不明者などの扱いがどうなっているのか?
戦死が確認されなくても、陸海軍省・厚生省が戦死認定すれば祭神名票に載せられ、それに基づき靖国神社で祭神として祀られます。極端な話、実際はどこかで天寿を全うしたとしても、役所が戦死扱いにすれば祭神となります。
後に生存が確認された場合は、陸海軍省、厚生省で事務的な訂正手続きがなされ、その後に靖国神社の祭神名簿からの削除手続きがなされます。小野田少尉や横田伍長も靖国神社に祀られていましたが、生存確認後にその名は祭神名簿から削除されました。
-
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・