匿名をイイコトに、赤裸々に書こうかなと思います(笑)
わたしは、40年ほど前に、ハイリスクな出産により、この世に生まれました。
母は糖尿病で、ハイリスク妊娠を3度しており、真ん中です。
上の兄、下の妹は
残念ながら、死産でした。
妹の時は目の前での死産でした。
今でも覚えてます。
4歳だった私に、なんのフォローもできませんでしたが…
その後は、合併症を起こしていた母のサポートをしていました。
母は目も見えず、足も神経がマヒし、壊疽を起こし、切断を余儀なくされたのもその頃です。
とても、ふさぎこんだ時期だと思います。その頃の母の写真は、魂が抜けたようでした。
でも、そこは持ち前の明るさ。
【愛子】と言う名のごとく、愛を注ぐ人、また愛が返ってくる人だと思いました。
落ちるときは落ちるけど
ほんとに明るくて前向き。
目が見えなくても家事をちゃんとやろうとしてて。
父のお弁当も作ってたし。
ヘルパーさんの助けもありながら、平穏が保たれていたと、感謝です。
そのヘルパーさんからは、手助けに行っているはずなのに、元気をもらうのは私の方だったと、母が亡くなったときにはおっしゃってくださった。
障害者であることで、わたしへの負い目はすごく背負ってたと思う。
思春期だった頃は、卒業式に来ないで、授業参観に来ないでと、だいぶ傷つけていたと思う。
いま、娘が二人いるわたし。
母の気持ちが痛いほどわかる。
わたしも同じように糖尿病であり、合併症を抱えているから。
ただ、私は幸いにして目が見えていて、足もある。
まだまだ、母のできなかった、子供のためにしてあげたいこと。
一緒に注ぐような気持ちで、やっていかなきゃと思う。
不思議なのが、
母は3度の妊娠の末、真ん中の私だけが生まれていて
私は3度の妊娠の末、真ん中の子だけ流産してしまった。
これは、やっぱり、母のできなかったことを成し遂げなければだめだという、必然なのかなって。
Messageとして受け取っている。
母は心のなかにいると、思っている。
わたし、頑張らなきゃだね。