こんにちは。
AC です。
元横綱千代の富士が、2016年7月31日に亡くなられました。
慎んでご冥福をお祈りいたします。
私も同世代でしたので、いろんな意味で影響を受けてきました。
考えてみれば、千代の富士の引退が1991年5月場所ですから、若い方たちにはよくわからない話になってしまいました。
とにかく、横綱土俵入りの姿がとても力強く、そして美しかったのが印象的なお相撲さんでした。
精悍な顔、筋肉質の体、高く上がる足、見事な土俵入りでした!

千代の富士の横綱土俵入り
"ウルフ"と呼ばれた小兵力士(小柄な力士)だった千代の富士は、素早く強引な技をかけることで注目を浴びてはいましたが、いわば「並の力士」でした。
まさかこの小さな力士が「横綱」になるなんて、誰ひとり想像できなかったと思います。
新入幕の1975年9月場所は負け越し、すぐに十両に陥落しただけでなく、そのまま幕下まで下がってしまいます。
※大相撲の番付は、一番上から幕内、十両、幕下、三段目、序二段、序ノ口。
1978年1月の初場所に、ようやく二度目の入幕をするまで2年以上かかりました。
1979年3月の春場所、右肩関節脱臼により途中休場となり、またまた十両に陥落してしまいます。
強引な取り口は、派手で魅力的だしたが、ケガをしやすく、肩の脱臼はクセになってしまっていたそうです。
しかし、右肩脱臼の入院中に、「もし治したいなら筋力トレーニングを行い肩の周辺を筋肉で固めなさい」と医師に勧められたそうです。
毎日500回の腕立て伏せとウェイトトレーニングで、2ヶ月で肩を筋肉で固め脱臼を克服し、この時、千代の富士は「並の力士」ではなくなります。
陥落した十両から一場所で幕内に戻ります。
もともと筋肉質でしたが、どんどん「筋肉隆々」になっていくのを見て、もう誰も「並の力士」だなんて感じなくなっていました。
細身で筋肉質な体型と精悍な顔立ち、そして一種のアイドル的な人気を得、一気に大関・横綱への昇進を決めた1981年は「ウルフフィーバー」といわれるほどの人気ぶりであった。
1981年1月場所、関脇で初優勝、大関を3場所で通過し、一気に横綱にまでかけ上がりました。
下から上がっていく力士がいる時こそ、大相撲の一番面白く人気のある時です。
この1981年は「ウルフフィーバー」といわれる社会現象にまでなり、豪快でスピーディな取り口から若い女性や子供まで知名度も高まりました。
この「脱臼」の克服が、「小さな大横綱」を実現したわけですが、横綱になってから千代の富士が土俵の上で脱臼してしまったことがありました。
1989年3月場所14日目、横綱大乃国に勝利した取り組みでのことでした。この時、支度部屋に戻ってすぐ、伊勢ヶ濱親方に外れた左肩を入れてもらうシーンも残っています。
↓ ↓ ↓
千代の富士の脱臼を伊勢ヶ濱親方が応急処置する
この場所、横綱千代の富士は千秋楽(15日目)は不戦敗となりましたが、14勝1敗で27回目の優勝を飾ります。
ドラマはいつでも、ハッピーエンド。
「逢えて、よかった\(^_^)/」
それでは、また次回♪
AC です。
元横綱千代の富士が、2016年7月31日に亡くなられました。
慎んでご冥福をお祈りいたします。
私も同世代でしたので、いろんな意味で影響を受けてきました。
考えてみれば、千代の富士の引退が1991年5月場所ですから、若い方たちにはよくわからない話になってしまいました。
とにかく、横綱土俵入りの姿がとても力強く、そして美しかったのが印象的なお相撲さんでした。
精悍な顔、筋肉質の体、高く上がる足、見事な土俵入りでした!

千代の富士の横綱土俵入り
"ウルフ"と呼ばれた小兵力士(小柄な力士)だった千代の富士は、素早く強引な技をかけることで注目を浴びてはいましたが、いわば「並の力士」でした。
まさかこの小さな力士が「横綱」になるなんて、誰ひとり想像できなかったと思います。
新入幕の1975年9月場所は負け越し、すぐに十両に陥落しただけでなく、そのまま幕下まで下がってしまいます。
※大相撲の番付は、一番上から幕内、十両、幕下、三段目、序二段、序ノ口。
1978年1月の初場所に、ようやく二度目の入幕をするまで2年以上かかりました。
1979年3月の春場所、右肩関節脱臼により途中休場となり、またまた十両に陥落してしまいます。
強引な取り口は、派手で魅力的だしたが、ケガをしやすく、肩の脱臼はクセになってしまっていたそうです。
しかし、右肩脱臼の入院中に、「もし治したいなら筋力トレーニングを行い肩の周辺を筋肉で固めなさい」と医師に勧められたそうです。
毎日500回の腕立て伏せとウェイトトレーニングで、2ヶ月で肩を筋肉で固め脱臼を克服し、この時、千代の富士は「並の力士」ではなくなります。
陥落した十両から一場所で幕内に戻ります。
もともと筋肉質でしたが、どんどん「筋肉隆々」になっていくのを見て、もう誰も「並の力士」だなんて感じなくなっていました。
細身で筋肉質な体型と精悍な顔立ち、そして一種のアイドル的な人気を得、一気に大関・横綱への昇進を決めた1981年は「ウルフフィーバー」といわれるほどの人気ぶりであった。
1981年1月場所、関脇で初優勝、大関を3場所で通過し、一気に横綱にまでかけ上がりました。
下から上がっていく力士がいる時こそ、大相撲の一番面白く人気のある時です。
この1981年は「ウルフフィーバー」といわれる社会現象にまでなり、豪快でスピーディな取り口から若い女性や子供まで知名度も高まりました。
この「脱臼」の克服が、「小さな大横綱」を実現したわけですが、横綱になってから千代の富士が土俵の上で脱臼してしまったことがありました。
1989年3月場所14日目、横綱大乃国に勝利した取り組みでのことでした。この時、支度部屋に戻ってすぐ、伊勢ヶ濱親方に外れた左肩を入れてもらうシーンも残っています。
↓ ↓ ↓
千代の富士の脱臼を伊勢ヶ濱親方が応急処置する
この場所、横綱千代の富士は千秋楽(15日目)は不戦敗となりましたが、14勝1敗で27回目の優勝を飾ります。
ドラマはいつでも、ハッピーエンド。
「逢えて、よかった\(^_^)/」
それでは、また次回♪