こんにちは。

AC です。



「北のアイヌの国=北海道」

その名付け親・松浦武四郎のお話の7回目も【番外編】、

『津軽海峡・冬景色ー初めての青函連絡船<1980>』

です。

青函連絡船(サイン)

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松浦武四郎(まつうら・たけしろう)は、

1818年、伊勢国一志郡須川村(現在の松阪市)生まれ。
江戸時代末期(幕末)から明治にかけての探検家で、「北海道」の名付け親として知られています。
#「 北加伊道ー松浦武四郎のエゾ地探検」~北海道の名付け親・松浦武四郎①
#なぜ?伊勢から蝦夷地へ…"お伊勢参りの秘密"~北海道の名付け親・松浦武四郎②
#伊勢は津で持つ 津は伊勢で持つー伊勢音頭は全国へ~北海道の名付け親・松浦武四郎③
#全国をかけ巡るー伊勢・松阪から~北海道の名付け親・松浦武四郎④
#蝦夷地に渡るー青森から函館へ ~北海道の名付け親・松浦武四郎⑤
#上野発・寝台特急ゆうづる5号<1980>~【番外編】北海道の名付け親・松浦武四郎⑥

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1980年2月のことです。

私は、上野発の寝台特急「ゆうづる5号」から青森駅のプラットホームに降り立ちました。

青森駅ホーム

青森駅は入線したホームを前に進めば出口に、

後に戻ると、連絡船乗車口につながっていました。

普段見なれた駅とは、ずいぶんと雰囲気が違っていました。

何というんでしょう、「最果ての駅」という言葉が似合う駅だったと記憶しています。


青森という街ももちろん来たことがなく、途中下車もできたのですが、

この時の目的は「北海道」。

それも、「青函連絡船」に乗って「青森」から「函館」に渡ることに哀愁を感じないわけにはいきませんでした。

それは、石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」(作詞:阿久悠、作曲:三木たかし)が1977年に発売され、大ヒット曲となっていたことにも関係しています。

♪上野発の夜行列車 おりた時から
♪青森駅は 雪の中

その時、私の目の前には、この歌のまんまな情景がありました。

この歌には、

上野駅から夜行列車に乗り、雪の青森駅で降りて、ボーディング・ブリッジを渡って北海道に向かう青函連絡船へと乗り継いで行く人々、

つまり、北海道の人びとの哀愁が描かれているんですね。

それに、青森への特急・急行列車のダイヤは、青函連絡船に接続していましたので、

皆、連絡船乗り場に急ぎ足で向かっていたのです。

青函連絡船乗り場表示

私も「乗船者名簿」に名前を書き込み、初めての「青函連絡船」に乗り込みました。

連絡船のような大きな船に乗ったのも、この時が初めてで、ある種の緊張感に浸っていました。

八甲田丸
青函連絡船「八甲田丸」


この時はまだ知るよしもないことですが、

1988年に、この青函連絡船が廃止されるまでの間、

仕事で私は、青森ー函館間を何度となく往復することになります。

そのお話は、また別の回で。


それでは、お聞きください。

石川さゆり、デビュー当時の歌声で、

「津軽海峡冬景色」


津軽海峡冬景色 石川さゆり Ishikawa Sayuri


何度聴いても、重みのあるすごい曲ですね~♪


それでは、また次回(^_^)v



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