こんにちは。
AC です。
「北のアイヌの国=北海道」
その名付け親・松浦武四郎のお話の6回目は【番外編】、
『上野発・寝台特急ゆうづる5号<1980>』
です。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
松浦武四郎(まつうら・たけしろう)は、
1818年、伊勢国一志郡須川村(現在の松阪市)生まれ。
江戸時代末期(幕末)から明治にかけての探検家で、「北海道」の名付け親として知られています。
→#「 北加伊道ー松浦武四郎のエゾ地探検」~北海道の名付け親・松浦武四郎①
→#なぜ?伊勢から蝦夷地へ…"お伊勢参りの秘密"~北海道の名付け親・松浦武四郎②
→#伊勢は津で持つ 津は伊勢で持つー伊勢音頭は全国へ~北海道の名付け親・松浦武四郎③
→#全国をかけ巡るー伊勢・松阪から~北海道の名付け親・松浦武四郎④
→#蝦夷地に渡るー青森から函館へ ~北海道の名付け親・松浦武四郎⑤
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
1980年2月のことです。
松浦武四郎に遅れること"136年"、私も初めて北海道に渡ろうとしていました。
大学4年の冬、4月からの就職を控え、これから長い休みは簡単には取れないとばかりに、長めの「一人旅」を決行しました。
今で言えば「卒業旅行」になるのかもしれませんが、学生から社会人になる変化のために必要だったような気がします。
大学3年の時に、「インド・ネパール旅行」に行っていましたので「一人旅」は初めてではありませんでしたが、
国内では、本州から外に初めて出る旅行でした。
私は群馬県の前橋生まれなのですが、母の実家が三重県でしたので、子どもの頃の旅行はほとんど「伊勢」ばかりで、
それまで、北は仙台、西は京都までしか行ったことがなかったのです。
当時、学生の旅行に、飛行機に乗るという選択肢は論外でしたし、東北新幹線もまだありませんでしたから、
上野から寝台列車で青森まで行き、青函連絡船に乗って函館に渡るルートでした。
当時、上野-青森間の寝台特急には2つのルートがあり、上野-仙台間が東北本線経由の「はくつる号」と、常磐線経由の「ゆうづる号」があったのですが、
初めて乗った寝台特急は「ゆうづる5号」だったと記憶しています。

上野発常磐線経由青森行き寝台特急「ゆうづる号」
狭い寝台と相性がいいのか、青森まで熟睡したような気がします。
会社に入ってから、青森のプロジェクトをたくさん担当することになり、
この後、「ゆうづる号」には数十回と乗ることになる、すごく縁のある寝台列車になりました。
1981年(昭和56年) 4月30日録音の上野発青森行きの寝台特急「ゆうづる5号」(583系電車)の上野駅入線から上野駅発車時の車内アナウンスまでを収録しました動画がありましたので、ご紹介します。
乗車の経験のある方には、大変懐かしいアナウンスだと思います。
乗ったことのない方にも、ぜひ一度聴いてみて欲しいです(^-^)/
(生録)寝台特急「ゆうづる5号」車内アナウンス
こうやって聴くと、「音の記憶」というのは、ものすごくハッキリとしたものなんですね。
まったく、このまんまなんです。
当時の記憶が、鮮明によみがえることに感心してしまいます。
熟睡して目覚めた所は、「野辺地」辺りだったでしょうか?
いよいよ、青森駅に到着です(^_^)v

さて、初めての寝台列車の後は、
初めての連絡船に乗ることになりますが、
そのお話は別の回で。
それでは、また次回(^_^)v
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詳しい参加方法はこちら ↓ ↓
【11/26】「東京大神宮に願い文」プログラム
AC です。
「北のアイヌの国=北海道」
その名付け親・松浦武四郎のお話の6回目は【番外編】、
『上野発・寝台特急ゆうづる5号<1980>』
です。

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松浦武四郎(まつうら・たけしろう)は、
1818年、伊勢国一志郡須川村(現在の松阪市)生まれ。
江戸時代末期(幕末)から明治にかけての探検家で、「北海道」の名付け親として知られています。
→#「 北加伊道ー松浦武四郎のエゾ地探検」~北海道の名付け親・松浦武四郎①
→#なぜ?伊勢から蝦夷地へ…"お伊勢参りの秘密"~北海道の名付け親・松浦武四郎②
→#伊勢は津で持つ 津は伊勢で持つー伊勢音頭は全国へ~北海道の名付け親・松浦武四郎③
→#全国をかけ巡るー伊勢・松阪から~北海道の名付け親・松浦武四郎④
→#蝦夷地に渡るー青森から函館へ ~北海道の名付け親・松浦武四郎⑤
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1980年2月のことです。
松浦武四郎に遅れること"136年"、私も初めて北海道に渡ろうとしていました。
大学4年の冬、4月からの就職を控え、これから長い休みは簡単には取れないとばかりに、長めの「一人旅」を決行しました。
今で言えば「卒業旅行」になるのかもしれませんが、学生から社会人になる変化のために必要だったような気がします。
大学3年の時に、「インド・ネパール旅行」に行っていましたので「一人旅」は初めてではありませんでしたが、
国内では、本州から外に初めて出る旅行でした。
私は群馬県の前橋生まれなのですが、母の実家が三重県でしたので、子どもの頃の旅行はほとんど「伊勢」ばかりで、
それまで、北は仙台、西は京都までしか行ったことがなかったのです。
当時、学生の旅行に、飛行機に乗るという選択肢は論外でしたし、東北新幹線もまだありませんでしたから、
上野から寝台列車で青森まで行き、青函連絡船に乗って函館に渡るルートでした。
当時、上野-青森間の寝台特急には2つのルートがあり、上野-仙台間が東北本線経由の「はくつる号」と、常磐線経由の「ゆうづる号」があったのですが、
初めて乗った寝台特急は「ゆうづる5号」だったと記憶しています。

上野発常磐線経由青森行き寝台特急「ゆうづる号」
狭い寝台と相性がいいのか、青森まで熟睡したような気がします。
会社に入ってから、青森のプロジェクトをたくさん担当することになり、
この後、「ゆうづる号」には数十回と乗ることになる、すごく縁のある寝台列車になりました。
1981年(昭和56年) 4月30日録音の上野発青森行きの寝台特急「ゆうづる5号」(583系電車)の上野駅入線から上野駅発車時の車内アナウンスまでを収録しました動画がありましたので、ご紹介します。
乗車の経験のある方には、大変懐かしいアナウンスだと思います。
乗ったことのない方にも、ぜひ一度聴いてみて欲しいです(^-^)/
(生録)寝台特急「ゆうづる5号」車内アナウンス
こうやって聴くと、「音の記憶」というのは、ものすごくハッキリとしたものなんですね。
まったく、このまんまなんです。
当時の記憶が、鮮明によみがえることに感心してしまいます。
熟睡して目覚めた所は、「野辺地」辺りだったでしょうか?
いよいよ、青森駅に到着です(^_^)v

さて、初めての寝台列車の後は、
初めての連絡船に乗ることになりますが、
そのお話は別の回で。
それでは、また次回(^_^)v
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