こんにちは。

AC です。



「ALFA MUSIC LIVE」プロローグ

その第2回は、

『♪「赤い鳥」新しい音楽の風~1969 』

です。

※この記事は、2014.10.07に掲載したものを手直しし、再掲するものです。

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『ALFA MUSIC LIVE』

2015/9/27(日) 18:00開場 18:30開演
2015/9/28(月) 18:00開場 18:30開演
会場:Bunkamuraオーチャードホール

プロデューサー:村井邦彦
総合演出:松任谷正隆
主催:ニッポン放送/ホットスタッフ・プロモーション
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私の知っている「新しいポップ音楽の始まり」のようなお話をさせていただくことにしました。

ちょっと古い話になりますので、できるだけ丁寧にお話しますね(^-^)


私が初めて、自分の意志で観に行ったコンサート。

それはメジャーデビュー前の「赤い鳥」でした。

赤い鳥(1969結成)
赤い鳥(1969結成)


大阪万博前年の1969年、前橋市の群馬会館という中くらいのホールでした。

いまは、誰と行ったのかも思い出せませんが、ここから日本のポップ音楽が始まったというような感慨みたいなものは忘れません。

それまであった歌謡曲、フォーク、ロックなどとは、まったく別の音楽だとわかりましたし、とても心地のよい時間を過ごすことができたからです。


「赤い鳥」は1969年に結成した日本の音楽グループですが、フォークとポップスをベースに、素晴らしいハーモニーのコーラスを持ち味としていました。

歌謡曲でも、フォークでもない、新しい音楽そのものだったと思います。

その意味で、その後「ニューミュージック」~「Jポップ」と続く、日本におけるポップスの原点に位置づくと言えると思います。


「赤い鳥」は1974年 9月に解散しますが、すぐに2つのグループが誕生します。

一つは、「ハイ・ファイ・セット」

もう一つは、「紙ふうせん」です。

「赤い鳥」のポップス面を強調したのが「ハイ・ファイ・セット」

「赤い鳥」のフォーク面を強調したのが「紙ふうせん」

その後、それぞれにヒット曲を生み出しましたが、2つの音楽性が折り重なった1969~1974年の「赤い鳥」の新鮮な音楽感覚こそが「日本ポップスの原点」たる所以ではないかと思います。



「赤い鳥」のメンバーは以下の5人です。

後藤悦治郎(ギター)
平山泰代(ヴォーカル、ピアノ)
…1974年2月、後藤と結婚。
山本俊彦(ギター)
新居潤子(ボーカル、ギター)
…1973年4月に山本と結婚し、山本潤子となる。
大川茂(ベース)


後藤と平山は、「紙ふうせん」
紙ふうせん

山本夫妻と大川は、「ハイ・ファイ・セット」



を結成し、活躍することになります。



音声だけですが、当時のライブの雰囲気をよく残す「1973年11月 5日 さよならコンサート」から、3曲ご紹介します。

1. 「竹田の子守唄」 0:37
2. 「美しい星」 3:54
3. 「翼をください」 6:04


「竹田の子守唄」は、京都の被差別部落に伝わる守り子歌が元歌ですが、1971年にシングルカットし、3年間でミリオンヒットとなった赤い鳥の大ヒット曲。

「美しい星」は、山上路夫作詩 村井邦彦作曲のニューミュージック到来を予感させるポップなヒット曲。

「翼をください」は、1970年10月の「合歓ポピュラーフェスティバル'70」のために作られた代表曲。1970年代後半から学校教育現場でも取り上げられ、日本では老若男女誰もが歌える愛唱歌となりました。
また、FIFAワールドカップフランス大会予選からサッカー日本代表チームの応援歌として歌われていることでも知られています。



1973年11月 5日 さよならコンサート



「赤い鳥」から始まる日本ポップスのお話は、はっぴいえんど、荒井由実、シュガー・ベイブ、吉田美奈子、YMO…と続いていきます。



それでは、また次回(^_^)v



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