こんにちは。
AC です。
今日は、「五節句」の一つ「七夕」のお話です。
→☆「五節句って何?」もうすぐ"ひなまつり"♪
6月に、これといった年中行事がないせいなのでしょうか。
「七夕」で飾る「短冊」の準備の話が、ちらほらと聞かれるようになってきました。
今年の「七夕」、皆さんはどんな願いを書き入れたいですか?

ところで、「七夕」をなぜ「たなばた」と読むのか、皆さんはご存じですか?
私は、こどもの頃から、ず~っとわからないまま過ごしてきてしまいました(^_^;)
「七夕」の漢字としての「読み」を考えても、「たなばた」とは読めないですよね~。
頑張って読むなら、
「七」 が「たな」、「夕」が「ばた」、少し無理すれば読めなくもないかも?
いえいえ、やっぱり、そういう読みはないみたいです。
そこで、「七夕」の語源・由来を「語源由来辞典」で調べてみました(^-^)/
【七夕の語源・由来】
七夕の行事は、中国から伝来し奈良時代に広まった「牽牛星(けんぎゅうせい)」と「織女星(しょくじょ)」の伝説と、手芸や芸能の上達を祈願する中国の習俗「乞巧奠(きつこうでん)」が結びつけられ、日本固有の行事となったものである。
七夕は五節句のひとつとして、宮中では「しちせき」と呼ばれていたが、のちに「たなばた」と呼ばれるようになった。
七夕が「たなばた」と呼ばれるようになった由来は、織女の伝説を元にした語源説で、「棚機つ女(たなばたつめ)」の下略(「つ」は「の」の意味)とする説が一般的である。
なるほど「棚機(たなばた)」なんですね~♪
日本独自の「七夕」という行事は、
中国での行事であった「七夕」が奈良時代に日本に伝わった時、
日本に元からあった「棚機津女(たなばたつめ)」伝説と合わさって、
七夕を「たなばた」とも読むようになったということなんですね。

機をおる「棚機津女(たなばたつめ)」
「棚機津女(たなばたつめ)」伝説とは、古くから日本に伝わる伝説です。
「棚機津女」は、特定の人の名前ではなく、水辺で機を織りながら神の訪れを待つ少女のことをさしています。
旧暦の7月15日、つまり満月の日に、水の神が天から下りてくると言われており、
川、海、池のほとりに、「棚」の中に「機」を用意して、その村で選ばれた穢れ(けがれ)を知らない乙女「棚機津女(たなばたつめ)」が、神聖な織物(神が着る服)を織って捧げていたそうです。
※「棚」…借家の意味があり、織物をする時にだけ、こもる神聖な場所です。
※「機」…織物を織る道具。

この「棚機津女」は、村の災厄を除いてもらうために、「棚」にこもって、天から降りてくる神の一夜妻になり、神の子を身ごもり、彼女自身も神になるというお話なのだそうです。
古事記や日本書紀にも「棚機津女」は出てくるのですが、いわゆる「棚機津女」としてではなく、具体的な固有名詞で登場します。
日本書紀は、天孫(天照大神の孫)「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」の妃となる「木花開耶姫(このはなさくやひめ)」を、
神代下第九段一書第六において、「棚機津女」として次のように描いています。
「かの先立つる浪穂の上に、八尋殿(やひろどの)を起(た)てて、手玉も、もゆらに、機織る少女」
その織りあげる織物は、神が着けたまう衣であり、少女は神に仕えて神の精を妊み、神の妻となる巫女として登場しています。
日本書紀では、日向に降臨した天照大神の孫「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」と、笠沙の岬(宮崎県・鹿児島県内に伝説地がある)で出逢い求婚されますが、その「笠沙の岬」こそが「棚」で「機」を織っていた場所だったわけですね。
「木花開耶姫(このはなさくやひめ)」は、とても美しく、富士山本宮浅間神社の主祭神としても知られています(^-^)/
それでは、また次回♪
AC です。
今日は、「五節句」の一つ「七夕」のお話です。
→☆「五節句って何?」もうすぐ"ひなまつり"♪
6月に、これといった年中行事がないせいなのでしょうか。
「七夕」で飾る「短冊」の準備の話が、ちらほらと聞かれるようになってきました。
今年の「七夕」、皆さんはどんな願いを書き入れたいですか?

ところで、「七夕」をなぜ「たなばた」と読むのか、皆さんはご存じですか?
私は、こどもの頃から、ず~っとわからないまま過ごしてきてしまいました(^_^;)
「七夕」の漢字としての「読み」を考えても、「たなばた」とは読めないですよね~。
頑張って読むなら、
「七」 が「たな」、「夕」が「ばた」、少し無理すれば読めなくもないかも?
いえいえ、やっぱり、そういう読みはないみたいです。
そこで、「七夕」の語源・由来を「語源由来辞典」で調べてみました(^-^)/
【七夕の語源・由来】
七夕の行事は、中国から伝来し奈良時代に広まった「牽牛星(けんぎゅうせい)」と「織女星(しょくじょ)」の伝説と、手芸や芸能の上達を祈願する中国の習俗「乞巧奠(きつこうでん)」が結びつけられ、日本固有の行事となったものである。
七夕は五節句のひとつとして、宮中では「しちせき」と呼ばれていたが、のちに「たなばた」と呼ばれるようになった。
七夕が「たなばた」と呼ばれるようになった由来は、織女の伝説を元にした語源説で、「棚機つ女(たなばたつめ)」の下略(「つ」は「の」の意味)とする説が一般的である。
なるほど「棚機(たなばた)」なんですね~♪
日本独自の「七夕」という行事は、
中国での行事であった「七夕」が奈良時代に日本に伝わった時、
日本に元からあった「棚機津女(たなばたつめ)」伝説と合わさって、
七夕を「たなばた」とも読むようになったということなんですね。

機をおる「棚機津女(たなばたつめ)」
「棚機津女(たなばたつめ)」伝説とは、古くから日本に伝わる伝説です。
「棚機津女」は、特定の人の名前ではなく、水辺で機を織りながら神の訪れを待つ少女のことをさしています。
旧暦の7月15日、つまり満月の日に、水の神が天から下りてくると言われており、
川、海、池のほとりに、「棚」の中に「機」を用意して、その村で選ばれた穢れ(けがれ)を知らない乙女「棚機津女(たなばたつめ)」が、神聖な織物(神が着る服)を織って捧げていたそうです。
※「棚」…借家の意味があり、織物をする時にだけ、こもる神聖な場所です。
※「機」…織物を織る道具。

この「棚機津女」は、村の災厄を除いてもらうために、「棚」にこもって、天から降りてくる神の一夜妻になり、神の子を身ごもり、彼女自身も神になるというお話なのだそうです。
古事記や日本書紀にも「棚機津女」は出てくるのですが、いわゆる「棚機津女」としてではなく、具体的な固有名詞で登場します。
日本書紀は、天孫(天照大神の孫)「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」の妃となる「木花開耶姫(このはなさくやひめ)」を、
神代下第九段一書第六において、「棚機津女」として次のように描いています。
「かの先立つる浪穂の上に、八尋殿(やひろどの)を起(た)てて、手玉も、もゆらに、機織る少女」
その織りあげる織物は、神が着けたまう衣であり、少女は神に仕えて神の精を妊み、神の妻となる巫女として登場しています。
日本書紀では、日向に降臨した天照大神の孫「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」と、笠沙の岬(宮崎県・鹿児島県内に伝説地がある)で出逢い求婚されますが、その「笠沙の岬」こそが「棚」で「機」を織っていた場所だったわけですね。
「木花開耶姫(このはなさくやひめ)」は、とても美しく、富士山本宮浅間神社の主祭神としても知られています(^-^)/
それでは、また次回♪