こんにちは。

AC です。



今日は、マイケル・ジャクソンのPV版「スリラー」のお話です(^-^)/


PV「スリラー」マイケル・ジャクソン



マイケル・ジャクソンのPV版「スリラー」は、

アルバム『スリラー』からの7番目で最後のシングルカット「スリラー」のプロモーションビデオです。

※1982年11月30日、アルバム『スリラー』発売
※1983年12月2日、PV版「スリラー」公開
※1984年1月23日、シングル「スリラー」発売

「スリラー」アルバムジャケット
アルバム『スリラー』(1982)


いわゆる「ミュージック・ビデオ」は、楽曲に合わせて制作される映像作品のことですが、

「プロモーション・ビデオ」、「PV」、「ビデオ・クリップ」などの名称も使われてきました。

また、マイケル・ジャクソンは、自らの映像作品を「PV」とは呼ばず、「ショートフィルム」と称しています。


「ミュージック・ビデオ」の概念は、1970年代以前からあったといわれていますが、

1960年代、ビートルズが新曲リリースの度に、様々なテレビ番組に出演する代わりに、演奏シーンとイメージ映像を組み合わせた映像作品を、テレビ局へ提供したのが始まりという説もあります。

そういえば、時々テレビに映っていたような気もします。

「ミュージック・ビデオ」が一気に一般化するのは、1980年代のアメリカで、音楽専門チャンネルである「MTV」が登場した時でした。

その中でもっとも大きな役割を果たしたのが、マイケル・ジャクソンのPV版「スリラー」だと言われています。

アルバム『スリラー』は、全米チャートで37週にわたり1位を記録。売り上げ枚数はギネス・ワールド・レコーズから1億400万枚の認定を受けていますので、まさしく最強の「プロモーション・ビデオ」であったに違いありません。


「スリラー」ダンスシーン

→→→PV版「スリラー」はこちら


マイケル・ジャクソンの映像作品で印象的なのが、「群舞」といわれる、沢山のダンサー達の先頭にマイケルが立ち、集団ダンスをするスタイルです。

1987年3月から東京ディズニーランドにあったアトラクション「キャプテンEO」のダンスも「群舞」でした。
♪マイケル・ジャクソン「キャプテン EO」TDL 1987~2014



1970年代まで、海外のヒット曲を楽しむことは、ほとんど「音」を「聴く」ことであって、映像を含むものではありませんでした。

「ラジオ」から流れるヒット曲。当時、それが海外のヒット曲を聴く普通の風景だったと思います。

TBSラジオの「ポップス・ホット・テン」(1971~1973/DJ:若山弦蔵、八木誠) などは、聞いていて本当に楽しかった記憶があります。

新しい歌手やグループがヒットチャートに登場してきても、映像はもちろん写真もありませんから、

どんな顔なのか、白人か黒人か、男か女かすらよくわからずに、ただただその「楽曲」をひたすら心地よく楽しむ「聴くもの」でした。

音楽なので、「聴く」ことが当たり前だと思っていたんです。

私が、このPV版「スリラー」を初めて見たのは、当時、テレビ朝日で放送されていた、小林克也の「ベストヒットUSA」(1981~1989)でした。

ベストヒットUSA

「ベストヒットUSA」は、アメリカで人気を集めるポップスやロックにスポットライトをあて、最新のヒットチャート、注目の楽曲の紹介を「プロモーション・ビデオ」を交えて放送し、深夜の時間帯でしたが人気のある番組でした。

約14分間のPV版「スリラー」に、テレビの前で圧倒されてしまったことをよく記憶しています。

特に大きなインパクトは、「楽曲」と「ダンス」の関係でした。

それまでバックで盛り上げるだけのものだった「ダンス」が、「楽曲」に支えられて「最前面に出てきた!」、そんな衝撃がありました。


この時から、海外のヒット曲に限らず、楽曲の楽しみ方は「聴くもの」から「観るもの」に大きく変化していったように思います。

あれから30年が経ち、生まれた時から「ダンス」を身近に感じている人たちが活躍し始めています。

マイケルもどこかで見ていてくれるかもしれませんね(^_^)

「スリラー」エンディング


それでは、また次回(^-^)/


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