こんにちは。
AC です。
今日は、テレビ番組「ディズニーランド」のお話です(^-^)/
「ディズニーランド」は、50代後半~60代前半生まれの人たちにとって、ものすごく「特別な意味」を持っています。
それは、1983年の「東京ディズニーランド」開園以降に、「ディズニーランド」を知った人とは違うという意味です。
1958年から「ディズニーランド」というテレビ番組が放送されていました。
当時の子どもたちにとってディズニーパーク「ディズニーランド」は、テレビ番組をはるかに超えた、まさしく手の届くことのない"夢見る あこがれの対象"となっていきました。
もちろん、私もその一人です(*^.^*)

テレビ番組「ディズニーランド」
「三菱ダイヤモンド・アワー」という三菱電機一社提供の番組枠(日本テレビ系列)でしたが、
2週間に一度、当時絶大な人気を誇った「プロレス中継」との入れ替わりで放送されていました。
番組の冒頭、ウォルト・ディズニー本人が出てきてその日のお話の"前説"をしていました。
"夢の国への案内役"という、特別なおじさんだったんですね(^-^)/

ウォルト・ディズニー(本人)
「未来の国」「おとぎの国」「冒険の国」「開拓の国」という4つの国がありました。
ティンカーベルが出てきて魔法の杖を振ると、キラキラ、花火がどんどん!!
妖精の粉を振りかかった国が、その日の番組内容のジャンルという趣向で毎回始まります。
なんとも、懐かしいですね~(^_^)




「ディズニーランド」は、1955年7月17日にアメリカ・カリフォルニア州アナハイムに開園しました。
アメリカでは、その前年の1954年10月27日にテレビ番組「Disneyland」がスタート。ディズニーパーク建設の様子も放送されていたそうです。
日本では4年遅れの1958年8月29日 、「ディズニーランド」開園の3年後にテレビ放送が始まり、1972年4月30日まで続きました
このウォルト・ディズニー・プロダクション制作の一時間番組は、世界初のディズニーパークであるディズニーランドの事業資金を確保するとともに、
ウォルト・ディズニー自身が構想する「魔法の王国」を広く知らせる目的で企画された番組でした。
記録によると、1958年の番組ラインナップは以下のようなものでした。
8月29日:未来の国 「宇宙への挑戦」
9月12日:おとぎの国 「グーフィーの万能選手」
9月26日:冒険の国 「大自然に生きる」
10月10日:おとぎの国 「ミッキーマウスの冒険」
10月24日:冒険の国 「第一部 カメラの探検旅行 / 第二部 深山のおじか」
11月7日:おとぎの国 「ただいま休憩中」
11月14日:冒険の国 「南極の過去と現在」
12月5日:おとぎの国 「プルートの一日」
12月12日:冒険の国 「大自然に生きる」(再放送)
12月19日:冒険の国 「大自然のファンタジー」
ミッキーやドナルドは「おとぎの国」でしたから、それ以外のジャンルの時は"ガッカリ"した記憶が鮮明に残っています。

1960年2月26日:おとぎの国 「動画の技法」などのように、アニメーションフィルムの制作の様子を紹介したり、
1961年1月13日:おとぎの国 「ディズニーランドの一日」のように、ディズニーパークを紹介する回もありました。
これにはもう、子どもたちは釘付けになったわけです。
「もしディズニーランドに行けたら、どんなにか幸せだろう」
忘れもしません。
少なくとも、私はそう思いました。
それだけ強烈な影響を日本の子どもたちに与えることに、ウォルト・ディズニーは成功していたんですね。
そんな「ディズニーランドを"夢"見た子ども」の一人だった私が、東京ディズニーランドをつくる仕事をやることになるとは"夢"にも思っていませんでした(^_^;)
そのお話は、また別の回で♪
ドラマはいつでも、ハッピーエンド。
「逢えて、よかった\(^_^)/」
それでは、また次回♪
AC です。
今日は、テレビ番組「ディズニーランド」のお話です(^-^)/
「ディズニーランド」は、50代後半~60代前半生まれの人たちにとって、ものすごく「特別な意味」を持っています。
それは、1983年の「東京ディズニーランド」開園以降に、「ディズニーランド」を知った人とは違うという意味です。
1958年から「ディズニーランド」というテレビ番組が放送されていました。
当時の子どもたちにとってディズニーパーク「ディズニーランド」は、テレビ番組をはるかに超えた、まさしく手の届くことのない"夢見る あこがれの対象"となっていきました。
もちろん、私もその一人です(*^.^*)

テレビ番組「ディズニーランド」
「三菱ダイヤモンド・アワー」という三菱電機一社提供の番組枠(日本テレビ系列)でしたが、
2週間に一度、当時絶大な人気を誇った「プロレス中継」との入れ替わりで放送されていました。
番組の冒頭、ウォルト・ディズニー本人が出てきてその日のお話の"前説"をしていました。
"夢の国への案内役"という、特別なおじさんだったんですね(^-^)/

ウォルト・ディズニー(本人)
「未来の国」「おとぎの国」「冒険の国」「開拓の国」という4つの国がありました。
ティンカーベルが出てきて魔法の杖を振ると、キラキラ、花火がどんどん!!
妖精の粉を振りかかった国が、その日の番組内容のジャンルという趣向で毎回始まります。
なんとも、懐かしいですね~(^_^)




「ディズニーランド」は、1955年7月17日にアメリカ・カリフォルニア州アナハイムに開園しました。
アメリカでは、その前年の1954年10月27日にテレビ番組「Disneyland」がスタート。ディズニーパーク建設の様子も放送されていたそうです。
日本では4年遅れの1958年8月29日 、「ディズニーランド」開園の3年後にテレビ放送が始まり、1972年4月30日まで続きました
このウォルト・ディズニー・プロダクション制作の一時間番組は、世界初のディズニーパークであるディズニーランドの事業資金を確保するとともに、
ウォルト・ディズニー自身が構想する「魔法の王国」を広く知らせる目的で企画された番組でした。
記録によると、1958年の番組ラインナップは以下のようなものでした。
8月29日:未来の国 「宇宙への挑戦」
9月12日:おとぎの国 「グーフィーの万能選手」
9月26日:冒険の国 「大自然に生きる」
10月10日:おとぎの国 「ミッキーマウスの冒険」
10月24日:冒険の国 「第一部 カメラの探検旅行 / 第二部 深山のおじか」
11月7日:おとぎの国 「ただいま休憩中」
11月14日:冒険の国 「南極の過去と現在」
12月5日:おとぎの国 「プルートの一日」
12月12日:冒険の国 「大自然に生きる」(再放送)
12月19日:冒険の国 「大自然のファンタジー」
ミッキーやドナルドは「おとぎの国」でしたから、それ以外のジャンルの時は"ガッカリ"した記憶が鮮明に残っています。

1960年2月26日:おとぎの国 「動画の技法」などのように、アニメーションフィルムの制作の様子を紹介したり、
1961年1月13日:おとぎの国 「ディズニーランドの一日」のように、ディズニーパークを紹介する回もありました。
これにはもう、子どもたちは釘付けになったわけです。
「もしディズニーランドに行けたら、どんなにか幸せだろう」
忘れもしません。
少なくとも、私はそう思いました。
それだけ強烈な影響を日本の子どもたちに与えることに、ウォルト・ディズニーは成功していたんですね。
そんな「ディズニーランドを"夢"見た子ども」の一人だった私が、東京ディズニーランドをつくる仕事をやることになるとは"夢"にも思っていませんでした(^_^;)
そのお話は、また別の回で♪
ドラマはいつでも、ハッピーエンド。
「逢えて、よかった\(^_^)/」
それでは、また次回♪