こんにちは。

AC です。


今日は、「"陰富"って?庶民の富くじ」です。


「富くじ」は「宝くじ展'80in池袋西武」で展示された「情報」の一つでした。
#「"宝くじ"を展示する?」宝くじ展'80~1980
#「江戸の"富くじ"?」宝くじ展'80のお話~1980
#「"富くじ"と賭博?」宝くじ展'80のお話~1980


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展示・ディスプレイ会社「乃村工藝社」で初めて担当した「宝くじ展'80」は、一週間の「文化催事」で、

クライアントは、第一勧業銀行宝くじ部
会期は、1980年 8月29日(金)~9月3日(水)
会場は、西武百貨店池袋店の大催事場

この年の「宝くじ展'80」で扱った「情報」は、次のようなものでしたが、このブログでは、新しい観点でご紹介します。

〇宝くじの「歴史」
〇宝くじ発売の「仕組み」
〇「時効当せん金ゼロ」のキャンペーン
〇9月2日宝くじの日の「お楽しみ抽選」
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〇宝くじの「歴史」~陰富(かげとみ)~

江戸の文化・文政期(1804-1830)、幕府公認の富くじ「御免富」の興業元は、谷中感応寺、目黒不動、湯島天神の「江戸の三富」のほか、数十ヶ所に増加し、庶民に絶大な人気を博していました。
#「江戸の三富!」宝くじ展'80のお話~1980



「御免富」の富札代は2朱から3分くらいまで色々あったようですが、
(4,000文=16朱=4分=1両)

江戸時代の通貨で「1文(もん)」を15円とすると、

「1分(=4朱=1,000文)」の場合、現在のお金でおよそ15,000円くらい、「2朱」でも7,500円ですから、

庶民にはおいそれと手が出せない値段です。



「富くじ」を庶民が手に入れる方法が、2つあったようです。


一つは「割札」、1枚を数人で買う方法。

「本札」は取次人の手に留めておいて、「仮札」をもらう方法です。

「半割札」を買った場合、値段も半額なので褒美金も半分になる。4つに分けたものを「4人割」といったそうです。


瓦版屋イラスト


もう一つの方法が「陰富(かげとみ)」です。

「陰富」というのは、いわば非合法の「ノミ行為」で、

闇の発行人が「御免富」と同じ枚数の「札」を安く発行していたものです。

「札」の値が安い分、賞金やもその分だけ安くなります。

「陰富」の売り子は、瓦版屋を装い「札」を売り歩き、

「御免富」の当たり番号はその日のうちに瓦版にして、1枚4文で売って当たりを知らせたそうです。


こうやって、江戸の庶民も「富くじ」を楽しむことができたわけですね。



それでは、また次回(^_^)v


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