こんにちは。

AC です。



今日は、「青焼きコピー」のお話です。
#「展示の世界から求人が!?」乃村工藝社~1979
#「展示会社に入る!」乃村工藝社~1980


1980年当時、全国各地の県立博物館や市立博物館のいわゆる「地方博物館建設ラッシュ」が始まっていました。

私が所属していた「文化施設事業部」のスタッフは、博物館の常設展示の設計や展示工事の現場に対応するため、各地に出張して飛びまわっていました。

同期入社の新入社員の人たちも、展示工事の現場を経験するため、長期の出張をしている人がほとんどでした。


なぜか、私には出張の機会がなく、出張している社員たちをうらやましくも思っていました。

入社後しばらくは、先輩たちから頼まれる「青焼コピー」に追われる毎日でした。

「青焼コピー?」

って、わかりませんよね(^_^;)

当時(1980年)すでに、いわゆる「コピー機」はもうあるにはあったのですが、まだ1枚あたりの単価が高く、大量に使うことはできませんでした。

「青焼きコピー」というのは、建築分野で多く使われていたもので、トレーシングペーパーに図面を描き、感光紙に密着させて光を当てて複写をするものです。

これに対して、一般的なコピーをことを「白焼き」と言いました。

「青焼き図面」
「青焼き図面」の一例
青焼きコピー機
「青焼きコピー機」


青焼きコピーを頼む時、原紙を渡しながら、

「これを焼いてきてください」

言うのが普通でしたので、

頼まれた人が、マッチで焼却し、

「はい、焼いてきました」

という笑い話が、よく聞かれたものでした。



トレーシングペーパーでなくとも、普通の紙でも重ねて機械を通せば、十分に読めるコピーが「焼け」ました。

見積書や企画書なども「青焼きコピー」することが一般的でしたので、青焼きコピー室は、新入社員でいつも一杯だった記憶があります。


ただコピーをするだけなのですが、

どんな図面や資料が使われているのかを知ることのできる、大切な下積みトレーニングになっていたのだと思います。

そんな毎日が続いていた5月のある日、初めてのプロジェクトを担当するように指示がありました。

それは、「宝くじ展」という1週間のイベントだったのですが、


そのお話は、また別の回で♪



それでは、また次回(^_^)v



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