こんにちは。

AC です。



今日は、展示・ディスプレイ会社「乃村工藝社」のお話です。
#「展示の世界から求人が!?」乃村工藝社~1979



1980年当時、「乃村工藝社」の事業部門は3つの「事業部」に別れていました。

「商業施設事業部」「SP事業部」「文化施設事業部」の3つです。


〇商業施設事業部は、百貨店の内装・ディスプレイを中心に、高島屋、松屋、そごう、西武といった百貨店を担当する主力の事業部。
日本橋高島屋
日本橋高島屋

〇SP事業部のSPはセールスプロモーションの略ですが、東京モーターショーなどの見本市、博覧会の企業パビリオン、トヨタや東京電力の企業ショールームを担当していました。
東京モーターショー
東京モーターショー

〇文化施設事業部は、全国各地の博物館での常設展示、遊園地のアトラクション・環境演出、博覧会の政府館パビリオンなどを担当する事業部でした。
国立民族学博物館
国立民族学博物館



私は、「文化施設事業部」に配属されました。

博覧会や博物館の仕事がしたかったので一応希望通りでした。

配属可能性のある職種としては、「プランナー」と「営業」の2つがあったのですが、配属されたのは「営業」でした。

「営業」といっても、いわゆるセールスではなく、プロジェクトをまとめるマネジメント職でした。

今でもそうかもしれませんが、当時の文科系大学生の希望職種の半分は「企画職」だったと記憶しています。

ご多分にもれず、私も「企画」つまりプランナーの方がよかったわけで、少しがっかりしたスタートになりました。


ただ、博物館の仕事をやる部門でしたので、博物館学芸員の資格を取る報奨制度がありました。

資格単位は取っていませんでしたが、「博物館学」は勉強はしていたので、

素早く社内手続きをし、出身大学の聴講生として学芸員資格を取るために、週2日大学に行かせてもらえらせてもらうことになりました。

学費は会社持ちで、大学に行っていても勤務扱いという「特別待遇」でのスタートでもあり、この条件は2年間続いたのでした。

この「特別待遇」は、私が初めての適用だったらしいのですが、その後、制度自体が廃止され、「最初で最後の特別待遇」になり、今でも大変感謝しています。

会社員と大学生を同時にやるという、当時まだ珍しい経験が、後の仕事や生き方に大きく影響することになりました。


当時の乃村工藝社に「プロデューサー」という職種はありませんでしたが、

ここから、「プロデューサー」になる紆余曲折、右往左往の長い道のりが始まります。



それでは、また次回(^_^)v



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