こんにちは。

AC です。



ジャネット・リン(札幌オリンピック1972)
ジャネット・リン(札幌オリンピック1972)


村井邦彦とトワ・エ・モアが、日本中を覆い尽くすような国民的大ヒット曲「虹と雪のバラード」を送り出したのが、1971-72年のことです。


1972年の札幌オリンピックは、日本で初めて開催された冬季オリンピックでした。

スキージャンプ70m級(現在のノーマルヒル)では、笠谷幸生が1位、金野昭次が2位、青地清二が3位と、日本人が冬季オリンピックでは初めて表彰台を独占したことで、日本中が大熱狂した大会です。

笠谷幸生(札幌オリンピック ジャンプ70m級)
笠谷幸生(札幌オリンピック ジャンプ70m級)
日の丸飛行隊(札幌オリンピック1972)
日の丸飛行隊(札幌オリンピック1972)


知っている人には、懐かしいですねー♪


しかしこの時、日本中を魅了した人が、もう一人います。


フィギュアスケートの「ジャネット・リン」です。


その愛くるしい笑顔から「札幌の恋人」「銀盤の妖精」と呼ばれ、日本中で人気を博しました。


ジャネット・リン(札幌オリンピック1972)
ジャネット・リン(札幌オリンピック1972)


演技中、尻もちをつきながらも、プラチナ・ブロンドのショートヘアに満面の笑みを浮かべて立ち上がった姿に、国民的な人気が沸き起こりました。


当時高校生だった私は、テレビに「くぎ付け」になっていました。

ジャネット・リンの演技が、あまりにも魅力的だったからです。

最初は自分がそう感じただけだと思ったのですが、全国の高校生の多くが同時に「くぎ付け」にされていたのでした。



ジャネット・リンの演技(1972札幌オリンピック)



ソチオリンピック(2014)での浅田真央選手のフリー演技が、日本人だけでなく世界中の多くの共感を得ました。

テレビでもそう伝えられましたし、多くの人からそのような感想を直接聞きました。

「感動して、何度見ても涙が止まらない」

そのような嘘いつわりのない感想がとても多かったですね(^_^;)

そのような感動をたくさんの人たちに届けたことを、私は凄いと思いました。

浅田真央(ソチオリンピック2014)
浅田真央(ソチオリンピック2014)





完璧な演技だったこと自体、
なかなかできなかった完璧な演技を実現できたこと、
そのすべてが一つの瞬間に凝縮したことが、多くの人に共感され、感動と感涙を届けたんですね。


あまり、大きな声では言えないのですが、私も完璧な演技だとは思いましたが、じつは涙も流れませんでしたし、感動もしなかったのです。

せっかくの感動と感涙に、冷や水を浴びせることになるので、言えずにいたのですが、このジャネット・リンの記事を書いていて気づいたことがありました。

札幌オリンピックでのジャネット・リンの演技を観て涙を流した人はいないのではないかと…。


フィギュアスケートの演技を楽しむ観客は、点数を付けようと思って観ているわけではありません。

あるいは、点数を付けようと思って観ている人と、そうでない二種類の観客がいると言ってもいいかもしれません。


では、ジャネット・リンの演技が魅了したもの、その「魅力」は何だったのでしょうか?
私は「ポーズの美しさ、愛くるしさ」が不可欠だったのだと思います。

それが演技の流れの中に、自然に溶け込んでいたのが、ジャネット・リンだったのではないか。

他の選手でも、「エキジビション」や「アイスショー」ならそうしているという人もいるでしょう。

ジャネット・リンは、「競技」の中でもそれを実現できた数少ない人だったのではないでしょうか。


それは、「失敗」や「成功」といったことを、はるかに越えた所にあったのではないかと思います。

ジャネット・リンは、ジャンプを失敗し尻もちをついた時でも、終止笑顔で演技をしていましたし、観ている私たちも笑顔で観ていました。


当時の私たちは、ジャネット・リンの演技に「感動した」のではなく「幸せな気持ちになった」、私はそう思います。

だから、「札幌の恋人」でしたし、「銀盤の妖精」だったのでしょう。


「人を幸せにさせる演技」

音楽を伴って人びとを魅了するパフォーマンスにおいて、

このことは、素晴らしい到達点になると私は感じています。

フィギュアスケートはもちろん、

新体操
シンクロナイズドスイミング
チアダンス

など、皆そうですし、

私は、「踊っみた」系のダンス演技も、同じ視点で観ています。


また、いろんな演技やダンスを観てレポートしますね(^-^)/




それでは、また次回(^_^)v