こんにちは。
AC です。
日本ポップスの「風」~1969
「赤い鳥」のメジャーデビューのきっかけとなった作曲家 村井邦彦についてお話します。

村井邦彦
村井邦彦は、
グループ・サウンズ全盛期(1967年初夏~1969年春)に作曲家としてデビューしました。
・エメラルドの伝説(ザ・テンプターズ)1968.6月
・廃墟の鳩(ザ・タイガース)1968.10月
・美しき愛の掟(ザ・タイガース)1969.3月
・ラブ・ラブ・ラブ(ザ・タイガース)1969.12月
など、GS時代を知っている方なら、懐かしい大ヒット曲ですね(^-^)/

「エメラルドの伝説」ザ・テンプターズ

「廃墟の鳩」ザ・タイガース
★GSはグループ・サウンズの略です。GSブームの中期から後期にはザ・タイガース、ザ・テンプターズ、オックスがGS御三家と呼ばれていました。
★ザ・タイガースのボーカルは、沢田研二(「廃墟の鳩」は加橋かつみ)。ザ・テンプターズのボーカルは、俳優の萩原健一です。
また、ほかに、
・白いサンゴ礁(ズー・ニー・ヴー)1969.4月
・夜と朝のあいだに(ピーター)1969.10月
・経験(辺見マリ)1970.4月
などの個性的なヒット曲を提供しています。
1969年に音楽出版社アルファ・ミュージック(1977年にはアルファレコード)を設立し、音楽プロデューサーとしても活躍します。
音楽プロデューサーとしては、
1973年、アルバム「ひこうき雲」で荒井由実(松任谷由実)をデビューさせました。

「ひこうき雲」荒井由実(1973)
また、1978年には、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)をデビューさせています。

「イエロー・マジック・オーケストラ」YMO(1978)
日本ポップスの流れの中で、村井邦彦やアルファミュージックが大きな役割を果たしていきます。
それぞれのお話は、また別の回で~♪
それでは、また次回(^_^)v
AC です。
日本ポップスの「風」~1969
「赤い鳥」のメジャーデビューのきっかけとなった作曲家 村井邦彦についてお話します。

村井邦彦
村井邦彦は、
グループ・サウンズ全盛期(1967年初夏~1969年春)に作曲家としてデビューしました。
・エメラルドの伝説(ザ・テンプターズ)1968.6月
・廃墟の鳩(ザ・タイガース)1968.10月
・美しき愛の掟(ザ・タイガース)1969.3月
・ラブ・ラブ・ラブ(ザ・タイガース)1969.12月
など、GS時代を知っている方なら、懐かしい大ヒット曲ですね(^-^)/

「エメラルドの伝説」ザ・テンプターズ

「廃墟の鳩」ザ・タイガース
★GSはグループ・サウンズの略です。GSブームの中期から後期にはザ・タイガース、ザ・テンプターズ、オックスがGS御三家と呼ばれていました。
★ザ・タイガースのボーカルは、沢田研二(「廃墟の鳩」は加橋かつみ)。ザ・テンプターズのボーカルは、俳優の萩原健一です。
また、ほかに、
・白いサンゴ礁(ズー・ニー・ヴー)1969.4月
・夜と朝のあいだに(ピーター)1969.10月
・経験(辺見マリ)1970.4月
などの個性的なヒット曲を提供しています。
1969年に音楽出版社アルファ・ミュージック(1977年にはアルファレコード)を設立し、音楽プロデューサーとしても活躍します。
音楽プロデューサーとしては、
1973年、アルバム「ひこうき雲」で荒井由実(松任谷由実)をデビューさせました。

「ひこうき雲」荒井由実(1973)
また、1978年には、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)をデビューさせています。

「イエロー・マジック・オーケストラ」YMO(1978)
日本ポップスの流れの中で、村井邦彦やアルファミュージックが大きな役割を果たしていきます。
それぞれのお話は、また別の回で~♪
それでは、また次回(^_^)v