こんにちは。

AC です。


このブログの視角を「ミュージアムの地平から」とお話しました。

ミュージアムの地平とは、

私たちの先入観を打破した、新しい「視野」のことを指しています。


ミュージアムの空間を考えることから生まれたので、

「ミュージアムの地平」と名づけてみました。


展示のないミュージアムはありません。

展示は、私たちとミュージアムとの接点です。

私たちが、ミュージアムにアクセスしようとする時、

必ず、展示空間を介した方法によるということです。



私がはじめて、巨大な展示空間に触れたのは、
1970年の大阪万博でした。

大阪万博EXPO'70

正式名称は、日本万国博覧会(Japan World Exposition)
会期は、1970年3月14日から9月13日までの183日間、
大阪府吹田市の千里丘陵で開催されました。

会期中には、6421万8770人もの人々が訪れました。
アジアで最初の国際博覧会であり、当時史上最大の規模を誇りました。
(2010年に開催された「上海国際博覧会」の総入場者数は7308万人にのぼり、大阪万博の記録を上回った。)

当時を生きてきた人たちにとっては、
誰でもが知っていることです。

戦後日本から現在の日本社会へのターニングポイント、
その象徴としていまでも語り継がれています。

大阪万博EXPO'70の夜景

その時、私は高校受験を控えた中学三年生でした。

日本中の多くの人びとが「博覧会」「万博」「EXPO」「パビリオン」という言葉を初めて知りました。

「何かすごいことがあるの?!」と、大人も子どもも全国から集まりました。

理屈ではない、あの「わくわくした感覚」、
熱を帯びた祝祭劇場空間のような体験が、
多くの人たちの人生に強く影響を与えたのはいうまでもありません。

今の若い人たちに、そのリアリティを伝える方法が難しく、残念でたまりません。


万博会場の広さはもちろんのこと、
建ち並ぶパビリオンの一つ一つも大きな展示空間を持っていました。

パビリオンは、博覧会や展示会などに用いられる仮設の建築物、テント、展示館のことをさします。

日本ではこの大阪万博で一般化したんですね。
何々館と言う場合の館とほぼ同じ意味の言葉です。

それまで、日本にはこのような大きな展示空間はなかったと考えると、
大阪万博の最大の展示物は「パビリオン」だったと言えるかもしれません。

大阪万博 アメリカ館(1970)
大阪万博 アメリカ館(1970)


一番人気だったアメリカ館は、
前年(1969)にアポロ12号が持ち帰った「月の石」を展示しました。

アメリカ館「月の石」(アポロ12号)
アメリカ館「月の石」(アポロ12号)


初めて月を周回飛行したアポロ8号の司令船。
1968年12月のクリスマスに、月を10周して帰還した本物が展示されました。

アポロ8号の司令船(大阪万博 アメリカ館)
アポロ8号の司令船(大阪万博 アメリカ館)




こんなアポロだったら、皆さんもご存じですね!

明治のアポロチョコレート(1969発売)
明治のアポロチョコレート(1969発売)



ドラマはいつでも、ハッピーエンド。

「逢えて、よかった\(^_^)/」


それでは、また次回♪