ケア技法であるユマニチュードの研修会の講義内容をそのままトレースしても面白くない
書いててもワクワクしないし、おそらく読んでもつまらないでしょうし
多少のバイアスはかかるけれど、私なりに理解したことをふまえて続きを書いてみようと思います。
ユマニチュードそのものにご興味がおありな方々は、コチラ▼
家族のためのユマニチュード“その人らしさ”を取り戻す、優しい認知症ケア
をお読みくださればと思います。
それでは、私が劇的に母との関わりが変化した研修の内容の一つにふれていきましょう!
一日に何度も何度も「今日は何曜日?」とか「今何時?」と訊かれた経験はおありですか?
私は以前の職場でも現在の母との生活でも、日常茶飯事のやりとりになっています。
もしも、その立場にある方なら、「もういいかげんにして欲しい」とか「かんべんしてよ」の嘆きの声を超えて
「さっきも言ったし!」とか「何曜日でも何時でもどうだっていいことでしょ!」と腹立つこともあるかもしれません。
老人と一緒に働いていたり、もしくは、生活している、実際に現在介護している、いやいや、認知症を介護している家族の方々にとって
【記憶の機能】つまり、記憶の仕組みと認知症の特徴を知っておくのは、役に立つことがたくさんあると思います。
というのは、私は、これを知ってから狼狽することがなくなったし、不思議と聞かれることも少なくなったからです。
上記の【記憶の機能】を使って、説明を試みてみます。
まず、私たちは、触覚・味覚・深部感覚・嗅覚・視覚・聴覚という感覚器を通して情報を知覚しているわけですが、その知覚できる情報はとてもたくさんあることからフィルターに選別された情報をまず一つ目の〈短期記憶〉という箱に一時保存すると思ってください。
その〈短期記憶〉という箱には、長く保存することができない、たくさんのことを覚えておけないので、ほとんどの〈短期記憶〉の内容はそのまま忘れられていってしまいます。
〈短期記憶〉の中で覚えておこうと記憶を固めた内容だけが〈長期記憶〉と呼ばれる記憶の倉庫に保存されるとイメージしてみてください。
この〈長期記憶〉の倉庫に、〈短期記憶〉から固められた内容は四つの棚に分別されるようです。
その記憶の棚は、「意味記憶」、「エピソード(出来事)記憶」、「手続き(動作)記憶」、「感情記憶」なのですが
「意味記憶」とは、今まで体験し学習して得たもの、たとえば言葉や文字、知識や人の顔など
「エピソード記憶」は出来事に関する記憶で、たとえば結婚したこと、喧嘩をしたことなど
「手続き記憶」は服を着たり、料理をしたり、お裁縫仕事をしたり、自転車に乗ったりする動作に関しての記憶となり
「感情記憶」と呼ばれる記憶があります。楽しかったこと、うれしかったこと、怖かったことなどが保存される記憶です。
研修で教えていただいたことは
アルツハイマー型認知症は、外部情報を通過するフィルターに障害があるために、見るための視野がとても狭くなったり、耳も聞こえにくく、臭いが感じられなくなる、身体感覚がとれにくくなったりするとのことです。
たとえば、過去において、この香りを嗅ぐと落ち着くなーという記憶が忘却の彼方に追いやられたりするそうです。
外部情報がうまく受け取れない、もしくは、感覚情報の一つぐらいしか受け取れないということは、大きな不安を抱えていることが想像できます。
つまり、認知症の人にとって、記憶に関する問題が、その人の周囲にある世界についての誤った認識を与えることで、不安が生じることによって
行動心理症状(BPSD)として、暴力・暴言・徘徊・不潔行為等に陥っている
ということです。
また、これは、後に調べたことですが
認知症によって〈長期記憶〉が失われていくときには、特徴的な順番があるとのことです。
まず、学んで身につけたはずの「意味記憶」に変化が生じて、お金の計算が難しくなったり、漢字が読めなくなったり、散歩に出たけれど家がどこだったかわからなくなってしまったりすることなどがその例となります。
次に失われやすいのは、出来事に関する記憶「エピソード記憶」で、「エピソード記憶」の失われ方の特徴は、新しいものから徐々に昔にさかのぼっていくこととなり、つまり、一番新しい出来事から忘れていき、たとえば、さっき食べたばかりなのに朝ごはんを食べたことを忘れるといったことです。
「意味記憶」や「エピソード記憶」が失われても、比較的残る記憶が「手続き記憶」だそうで、朝ごはんを食べたことを忘れても、包丁を使ったお料理ができたり、自転車に乗れるなどの「手続き記憶」が反映された行動をとることができので、介護をするときには、この特徴を生かして、できるだけ自分でできることは自分でやっていただくよう促し、生活する能力を保てるよう試みことがとても大切となります。
このことは、前回、お伝えしたケアをする人の落とし穴において、良かれと思って相手のためを想って代わりにやっていまいがちなことは、この生活する能力となる「手続き記憶」を想起する機会をつぶす、もしくは、生活する能力を奪うことになることは、ここにもつながってきます。
そして、ここからが私にとって、とてもインパクトがあったことなのですが
最後の日まで残る記憶が「感情記憶」です。
たとえ、家族の顔がわからなく忘れ去ってしまっても、自分に何人子どもがいるのかを忘れてしまっても、過去に家族と過ごした楽しい記憶や、「この人はいい人だ」という感情はしっかりと残っている。
良い思い出もつらい思い出も同様に「感情記憶」は覚えている。
たとえば、これを介護現場の状況に置き換えると
お風呂に入ってもらおうと半ば無理やり服を脱がせてしまうと、「お風呂」と「嫌だったという感情」が関連づけられて記憶に残ってしまい、次の入浴がより困難になってしまいます。つまり、介護をするときにはこの「感情記憶」の特徴をよく考えて、介護についての「よい感情」の記憶を残していけるよう工夫することが役に立つことがよくわかります。
この話しを聞いてから、母が「感情記憶」と「エピソード記憶」を結びつけて、散歩や買い物の途中で通る家の前で「この並んでいる家は姉妹が住んでいて、姉はまともだけど妹から夕食を作って届けて!と、何様だと想うほどに、ふざけたことを言ってきた」と必ず話してくれることの理由がよくわかった。
風邪をひいたら熱が出るとか、咳が出るのと同じように、「感情記憶」と「エピソード記憶」を結びついて想起され、口から噴出されていると、受け取れるようになったので、何回同じことを繰り返すのか!つまり、風邪をひいている人に何回咳をするのか!と想わないのと同じように、「感情記憶」を思いだしているんだなー、と今日も想えたものです。
家族のためのユマニチュード“その人らしさ”を取り戻す、優しい認知症ケアから以下に引用すると
「感情記憶」とは、その人の人生の最期の日まで残る、一番大切な記憶のダイヤモンドのようなものです。「感情記憶」は、しばしば他の記憶と結びついています。たとえばピラミッドについて学んだことは「意味記憶」ですが、そのときに「ピラミッドって大きいな」と驚いたことは感情の記憶として残ります。つまり、このとき「意味記憶」と「感情記憶」は結びついています。
また、初めて自転車に乗れるようになったとき、自転車の乗り方は「手続き記憶」ですが、それと同時に自転車でぐんぐん進めたうれしくて誇らしい気持ちは「感情記憶」に残ります。ここでも「手続き記憶」と「感情記憶」が結びついています。
「感情記憶」に働きかけることで、他の記憶が蘇ってくることもあります。
何年も言葉を発することのなかった寝たきりの方にお目にかかることがあります。そんなときには、まず、その方に心地よいと感じてもらうためのケア、たとえば体を拭くことから始めます。「心地よさ」を感じてもらうことで、よい感情が生まれて「感情記憶」が蘇り、体を拭いているうちに、何かお話しになることをよく経験します。これは「感情記憶」に働きかけることで、「意味記憶」の一部を取り戻していると考えられます。
以上なことから察すると、魔法のケアの秘密が見えてきそうです。
この「感情記憶」と次回にお話しする「オート(自己)フィードバック」をよく理解して技術として、ユマニチュードの【4つの柱】と【ケアの5つのステップ】を効果的に用いることが鍵となりそうです。
ですので、まだ続きそうです(*^_^*)