今回も「救済者の心眼」について熟考をより加速させるために、ワークブックから引用して考えてみましょう。
本日は、何が問題であるのかについて自分を欺かずに、問題はすでに解決されている心やすらかさを受け取れるように、イエスに助けてもらいましょう!
本日は「ワークブック 79.問題が解決されるように、私が問題を認識できますように」について
以下のワークブックからの引用です。
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ワークブック 79.問題が解決されるように、私が問題を認識できますように
1.何が問題なのかを知らなければ、それが解決されることはない。
それが本当はずでに解決されていても、あなたがそのことを認識しなければ、あなたにとってはその問題は存続していることになる。
これがこの世界の状態である。
分離という問題が事実上ただ一つの問題であり、それはすでに解決されている。
しかし、その問題が認識されていないので、解決法は認識されていない。
(W-pⅠ.79.1)
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問題が山積みの私にとって、心の中ではすでに問題の大元が解決されているとすると
些細な問題であっても大きな大問題であっても、同等に対処している自分を見つけられた。
こうしたことから
ほんの些細な問題であっても血眼な形相で攻撃することを振り返れば、このことで問題をより悪化させる、いわゆる、火に油を注ぐことになっていたのだなとひとり笑いしていました。
しかし、そこまでの過程において、問題を解決させることを抵抗している自分もいることにも気づきました。
どうしても、心の内ではなく外にこそ問題があるとしていたい動機と願望が抵抗勢力としていることにです。
これは、数多くの問題があると見なしたい誘惑であり、分離という問題こそ問題を多重分身させ未解決にしておきたいという誘惑となっているのだ。
この一見あまりにも多様な形態と内容をもった問題群があるので、解決不可能な状況を私に迫っているのだが
事実としては、ただ一つの問題がありその問題の解決法はただ一つとなる。
聖霊が、あなたの問題を答えのあるところまでもってきなさい、問題と答えをひとつにしなさいとの教えはこのことなのである。
それには、心の内の問題を認識する必要があるのだ。
大いなる神様
父よ
何が問題で何がその答えなのかを認識させてください
心の問題が解決されるように、私がその問題を認識できますように助けてください
そして、私の問題がすでに解決されていることを認識させてください
そのことでもたらされる平安を受け取らせてください
アーメン
この日記を読む方々に、誰もが「無垢」で、神のひとり子キリストであるという真実がもたらす「永遠のやすらぎ」が訪れますように