「無」という幻想を願望しているのか?
それとも
「すべて」という実相もしくは天国を願望しているのか?
これがどれほどに異なっているのかを私は認識していないのだろう。
これほどまでに、神様へ呼びかけるべきことを偶像に呼びかけているので無視され続けてきたのだ。
呼びかけるべき相手を間違っているために、聞かれることはなく、そして、応えられないままにされているのだ。
私が主に呼びかけていたのは神様ではなく偶像だったのであることを自覚しなければならない。
それは、おそらくだが、神様に対する恐れや罪悪感が癒されずに凄まじく残存しているために、呼びかけることが虫が好いとか、裏切っておきながらさもしいとのことから、間接的にでも偶像に呼びかけていってしまうのかもしれませんが
しかし
私たちには、すでに、聖霊が贈られているのだから
私たちの真の本性を覚えていて、かつ、私たちが真に望むものを覚えている聖霊が準備万端にて、私たちが神様に呼びかけるのを気長に待ち続けているのだった。
さあ、今日、私自身は無であっても、私の真の自己はすべてであるということを忘れずにいられますように、イエスに助けてもらいましょう。
本日の主題概念は「神への呼びかけは聞かれないことも、応えられないままにされることもない。そして私は確信している。神の答えこそ、私が真に望む答えであることを」について
以下のワークブックからの引用です。
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神への呼びかけは聞かれないことも、応えられないままにされることもない。そして私は確信している。神の答えこそ、私が真に望む答えであることを。
1.聖霊よ、私の真の本性を覚えているあなただけが、私が真に望むものを覚えています。
あなたは神のために語るので、私のためにも語ります。
そしてあなたが私に与えるものは、神ご自身からもたらされます。
父よ、ですからあなたの声は私のものでもあります。そして私が望むのは、あなたが与えてくださるものが、私のためにあなたが選ばれた形で、私のものになることだけです。
私が、自分の知らないすべてを思い出せますように。思い出しながら、私の声が沈黙しますように。
私があなたの愛と配慮を忘れることなく、あなたがわが子に与えた約束を常に私の自覚のうちに保てますように。
私自身は無であっても、私の真の自己はすべてであるということを、私が忘れずにいられますように。
(W-p2. 358. 1. P559)
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大いなる神様
父よ
あなたの御声は私のものでもありますゆえに
私が望むのは、あなたが与えてくださるものが私のためにあなたが選ばれた形で、私のものになることをありのままに受け止められますように
私が自分の知らないすべてを思い出しながら、私の声が沈黙しますように
私があなたの愛と配慮を忘れることなく、あなたがわが子に与えた約束を常に私の自覚のうちに保てますように
私自身は無であっても、私の真の自己はすべてであるということを、私がしっかりと自覚し忘れずにいられますようにお守りください
アーメン
この日記を読む方々に、誰もが「無垢」で、神のひとり子キリストであるという真実がもたらす「永遠のやすらぎ」が訪れますように。