本日は、昨日に引き続き、テキスト第25章「神の正義」の6“特別な役割”の3節について以下に簡略した内容をご参考ください。
見たいという願望があなたの目に神様の恩寵を呼び降ろして真に見ること可能とする光の贈り物をもたらす。あなたは、兄弟をよく見つめる気はあるのか?神様は喜んであなたに兄弟を見せるのだ。神様はあなたを自分の救い主に気づかないままにさせるつもりはない。しかも、神様は神様があなたの兄弟に授けた役割を果たさないままになることを意図しているわけではない。これ以上、(自分の救済者である)兄弟に寂しい思いをさせないように。なぜなら、孤独な者たちとは、この世界において果すべき役割を見出せない者たち、つまり、自分が必要とされている場所も、自分だけが完全に果たすことができるような目的を持たない者たちのことだから。
この後も「世界の救済者としての役割」について述べられているので、続けてテキストを読まれることがオススメです。
そこで、「私とは何か?」ということですが
知覚の基本法則として、私は自分がそこにあると信じるものを目にし、私がそれがそこにあってほしいと思うがゆえに、私はそれがそこにあると信じるということからすれば
何を見たいのかという願望を知覚の基本法則は反映していると言える。
したがって、「私とは何か?」の答えを何を知覚しているのかが代弁しているのだ。
他の誰でもない私の願望だ。
しかし、この願望は、原初の間違いである神様よりもイイものがある?という些細な願望が神様を拒絶したいというものとなってからの願望であるので
真の自分を反映することはあり得ないのだ。
本日の「私とは何か?」は、救済をもたらす者でありその役割を受け入れることにて、世界は私たちの共同の赦しにより贖われる、ということが述べられている。
さあ、今日、世界の救済者たる役割を受け入れ、その役目を果たし智識がおのずと戻ってこられるように、イエスに助けてもらいましょう。
本日の主題は「私とは何か(その1)」について
以下のワークブックからの引用です。
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14.私とは何か(その1)
1.私は神の子である。完全にして健やかで全一であり、神の愛を反映して輝いている。
私の中で、神の被造物は聖別され、永遠の生命(いのち)を保証される。
私の中で、愛が完成され、恐れが不可能となり、対極のない喜びが達成される。
私は、神ご自身の聖なる家である。
私は神の愛が住まう天国である。
私の清らかさの中に神ご自身の清らかさが宿るので、私は神の聖なる無罪性そのものである。
3.私たちは救済をもたらす者である。
私たちは世界の救済者としての役割を受け入れ、世界は私たちの共同の赦しにより贖われる。
それゆえに、この贈り物は私たち自身にも与えられる。
私たちはすべての人を兄弟として眺め、すべてのものごとを親切で善きものと知覚する。
天国の門の向こう側にある機能(はたらき)は追求しない。
自分の役目を果たしたとき、智識はおのずと戻ってくる。
私たちはただ真理を歓迎することだけを気にかける。
(W-p2. 14.自我とは何か 1.3. P555)
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大いなる神様
父よ
私はあなたの子であるゆえに
完全にして健やかで全一であるあなたの愛をこの世界に反映させて輝かせてください
私に中で、あなたの被造物を聖別し永遠の生命を保証されていることを実感させてください
私の中で、愛が完成され、恐れを不可能にすることにて対極のない喜びを達成させてください
私という存在そのものを、あなたご自身の聖なる家としてください
私をあなたの愛が住まう天国としてください
私の清らかさの中にあなたご自身の清らかさが宿ることにて、私をあなたの聖なる無罪性の象徴として輝かせてください
アーメン
この日記を読む方々に、誰もが「無垢」で、神のひとり子キリストであるという真実がもたらす「永遠のやすらぎ」が訪れますように。