とどのつまり、はじまったように知覚する幻想世界を終わらないように過去を引きずり回しているようなものだ。
しかも、聖霊が保存してある美しいものとは真逆の罪と罰にまみれた記憶を文字通りに後生大事にして肝に銘じており
時間の流れの先に見える未来に向かって、神の愛の代替物を創作しようともがき続けている。
その無意味な行為を終わらせるのは、「赦し」そして「聖霊の思考システム」だけなのだろう!
本日のテーマは「自我による時間の使い方によれば、恐れからの逃げ道はない。」について
自我の時間の使い方は、今ココではなく過去を生き抜くことにあるようだ。
過ぎ去った何も手を加えようのない過去に対して、何かできるはずだとする無駄な努力と言えるかもしれない。
そもそも、神からの復讐から逃れるべく想像したこの世界にて、恐れからの逃げ道はないとするのは、なんと皮肉なことだろうか?
しかし、自我の思考システムは、時間を使って恐れから逃げられるという信念を曲げることはないし、あきらめるということもありえない。
それこそ、当事者でなく、客観的に観る者として自我の思考システムに沿って生きようとする身体と一体化した観られる者の祖業を離れて観れば、そのシステムでは恐れから逃れることが不可能だと悟れるのだろう!
穴に落ちた考えにて穴から出られる思考は生み出せない。
穴に落ちていない考えこそ穴から出ている思考にて穴から這い出ることが可能なのだ!
大いなる神様
自我による時間の使い方に翻弄される私を聖霊の審判にゆだねられますように
また
同じく翻弄されている兄弟姉妹も聖霊の審判にゆだねられますように
恐れから逃げるのではなく、恐れの源となる私の誤りを聖霊に訂正された後に
聖霊の思考システムに素直に導かれますように私たちの歩む道を照らしてください
アーメン
この日記を読む方々に、誰もが「無垢」で、神のひとり子キリストであるという真実がもたらす「永遠のやすらぎ」が訪れますように。