セ・パ交流戦がテレビでやっていますねー!
こんな五月晴れの夜は野球場に直接行ってビールか酎ハイを!!
い~な行きたいな~o(^_-)O
て感じながら今、巨人×西武をTVで見てます♫♫
私は中高バスケットボール部に所属
家族は野球にそこまで興味なし
兄妹もバトミントンやバスケ(室内競技)をしていたので、野球大好き!になる機会がなかったのですが、大学生になった時に神宮球場へ東京六大学野球を誘われて見に行ったんです。
チケット代が500円とかだったんですよ!普通?
明治大学VS早稲田大学でした。
その年は明治大学が優勝して一場投手がもてはやされていたなー。
そして応援席になぜか大仁田厚さんが
いてプロレスの格好になり応援を激しく盛り上げていました。
その人生初の球場デビューは衝撃的でした!同じ5月くらいだったから神宮球場の風がすっごい気持ち良かったな~!!
なので、神宮球場(東京のヒートアイランドに侵された熱い風が吹く球場)が好きな私は自然とヤクルト派になってしまいます(笑)
今は監督どころか選手間トレードが激しいので全くこのチームと言えばこの選手!!というのはないなぁ。
誰か解説してくれる方とまた野球場に行きたいです。
さーてさてさて!
抗がん剤について書かなくちゃ!とブログアプリを立ち上げたのでした(;^_^A
今日は抗がん剤が終ってからの後遺症について詳しく綴らせてください。
私は全6クールの抗がん剤投与を受けました。再発と転移がない状態で、アジュバンド化学療法というものを受けたのです。
つまり、『ほぼ健康体で弱っていない満27歳の女性が人体実験の様に抗がん剤を受けた』と思ってもおかしくないのじゃないかと思っています。
当時、受けるのを覚悟した時はそこまで思いませんでした。沢山医師に脅されましたし、抗がん剤を受けて癌に強気で立ち向かおうとも言われました。が、前も紹介した慶應大学病院放射線科の近藤誠先生の著書を読むと、そこまで手厚い治療はいらなかったと思わざるおえません。
4月30日に一度行ってみようと新しくドアを叩いた病院で、そこの先生は
『確かに最初に見つかった細胞は特殊なものだったけれど、他のCTや血液検査結果も最初から問題ないので化学療法をする必要はなかったのかなと思います。』とおっしゃってくださいました。
今迄の後悔というより、疑ってしまっていた私の考えを肯定してくれた先生に出会えたことが感謝でした。
今はその病院で精密検査を受けて再発防止と抗がん剤のリハビリに励んでいる所です。
抗がん剤のリハビリについてです。
つまり抗がん剤の後遺症についてですが、番号NO.1~NO.4に分けて書きます。
NO.1 末梢神経障害の手足しびれ
1月17日に最後の投与が終了してから4カ月経つ今も未だ、末梢神経障害が残っています。
手先と足先がビリビリシビれています。
これは、ビーズやアクセサリーの工作をし始めると無心になりごちゃごちゃ考えず集中することができました。
その時シビれを感じない自分にハッとしたんです。
末梢神経障害は集中力を上手く鍛えれば解消していくんだ。
人により症状は様々ですが、意識の向け方で変わるというのを体験して自分のものにできた時は最高に気分が良かったです。
今は色々気分に合わせて工作を定期的に行っています。
塵も積もれば山となる精神でファイト!!です(^-^)
NO.2 爪の色素沈着と形状の乱れ
現在の私の手先
右手の親指です
右手の親指以外
爪は先から3分の1位に横シマが入っている事が良く見ると分かると思います。
4カ月前はこれが爪の根元でした。
爪の半分が剥離して皮膚にくっついていませんでした。
そしてドセタキセルの影響で爪が黒く沈着していました。
現在の足先です
右足
横のガタガタした線は抗がん剤を受け始めてから初めてできるようになったものです。
黒い色素沈着もまだあります。
この足先はいつか綺麗に治るのか、それともネイルケアに通って矯正してもらう方が良いのか悩み中です。
ま、予算的に前者を信じるのみ。
NO.3 卵巣機能不全
一番不安なのは卵巣の回復です。
抗がん剤は血液を周り、ありとあらゆる臓器を蝕みます。肝機能、腎機能、消化機能、そして女性なら卵巣機能の不全。
卵巣不全になり、月経がなくなります。回復する確立は60%、それから排卵が起きて妊娠できる確立は20%と抗がん剤を受ける前と受けた直後に医者から言われました。
その確立は若年層だけでなく、閉経していない女性、閉経に近づいている年齢の女性など様々な患者さんの統計値です。
60%なんて五分五分を指す様な水準です。
どっちに転がっても医者のせいじゃないよって言っているようなものです。
具体的な証明は一切なしです。
とにかく若いからなんとかなるよと周りは言っていますが、自分のことになるとそんな事、言えるのかなって思いますね。
ま、自分の自然治癒を信じるしかないですよね。
抗がん剤が終ってから二ヶ月は卵巣が回復していないためホットフラッシュや1時間以上同じ姿勢だと背骨、関節が痛くなるなどの更年期障害に悩まされました。
出来る事は当帰芍薬散(トウキシャクヤクサン)という更年期障害に効く漢方を処方してもらう事くらいでした。
対して症状は変わらない気がしましたが、何もしないよりはましなのかと思って飲んでいました。
更年期障害は4月からなくなっていき外出を出来るようになりました。
と思っていたら4月27日に少しずつ月経の様な症状がはじまりました。
当時は月経と思えず、左の骨盤周辺が痛くて卵巣が暴れ出していたらどうしようと不安が倍増していました。
それから二週間月経症状がありました。
その間、顔や手足、背中の皮膚がかゆくなり、栄養が全部卵巣と子宮にもっていかれて肌が弱っているようでした。
健康体だった時代も肌が生理の時に肌がかゆくなる時があったので、まだ我慢できますが、月経が長かったのが不安です。
このまま一回きりで次に月経来なかったらどうしようと不安が募ります。
ホルモンの分泌周期が少しずつ回復するよう祈るばかりです。
NO.4心の不安と睡眠障害
不安が解消されずに、約4カ月抗がん剤を受けて、辛さを我慢していると規則正しい生活が送れなくなっていました。
夜は身体が痛くて眠れない、
昼間に疲れてボーっと眠る、
夜は静かだと考えずにいられない、
朝や昼に周りは働いていて動けない自分に凹む
自分の感覚は周囲とずれている
そう認めた方が楽になれていました。
じゃないとやっていけない所があった。
気がついたら1日ちゃんと寝れたのは平均2時間。
どれだけ時間を無駄に持て余しているのかと落ち込んだ日々が続いています。
抗がん剤終ってから、まだ寝れないんですと医師に相談したら
『血液検査結果には問題ないからね~、じゃあ院内の精神科紹介するから行ってみてね。(パソコン見て話す始末)』
院内の精神科の先生は最初は家族構成から職業、家族や仕事にどう思っているか、小さな悩み等沢山質問をしてきました。
結局、適応障害と診断を受け、
落ち着く薬のメイラックス
寝れる薬のレンドルミンD錠0.25mg
の処方を受けて2週間ごとに通っています。
飲んでもあんまり変わらないんだな。
やっぱり抗がん剤のトラウマを解消したり、規則正しく起きたり寝たり、ご飯を食べて昼は動くという事を努力していくうちに身体が思い出して寝れるようになると信じています。
心の問題は自分にしか解決できないと思っています。精神科の先生はしきりに心の変化を聞いてくるけど話した所で上手く伝わらないんですね。
でも話さないで孤独な時間を増やすよりは話した方がまだ心の整理に役立つと思って精神科に通っています。
まぁ、なんだろなお医者さんって触診もしないで抗がん剤やろって言うのに不信感やトラウマを持ったままの状態。
癌宣告の時は父が泣いて「一生励まし続ける」と言ってくれたのに、抗がん剤を受けて一番辛い時に「甘えてるんじゃないよ」とか「顔がパンパンだな~」と言ってくるのが辛くてそれから家族でさえ、気持ち分からない事が沢山あるんだから他人と話すのは相当リスクあるなってどこかで思うようになってしまった事。
家族には感謝しているけど、お金の工面とかが大切だと強調する父には気持ちが寄り添えなくて苦しい。
社会に復帰したいけれど、まだバリバリ働いていて、
自分の成し遂げたい目標(教員として一人前になる)という6年間目指していた不動のセンターは
今、不在の状況。
そんな時は、一歩一歩歩きながら、自分の出来る事を少しずつ集めて行くしかないんですよね。
感謝しながら生きていきます。
大きな目標はいつか立つだろう。
一年前の感覚に戻る事はできないけれど、その思い出は大切に生きていけます。
そう思える自分の脳みそと身体に感謝しています。
NO.4はヘビーな話になってしまいましたががが!!
きっとブログに吐露してスッキリ自己満なんだと思います!!
嘘ついたって後後後悔するだけなので、気持ちに正直にブログやっていきますね。
よ~し!毎日12時までに布団に入る努力を始めた私!!
そろそろ寝る準備にかかりまーす!!
只今、夜23:20です。とっくに野球の交流戦終ってました!!
結果はいかに?(笑)
今日も読んで頂きありありありMAX!!!
でした(^-^)
あ、最後に今日の私の生育状況UPです!!
良い夢見てください!見れますように!!(^-^)☆
iPhoneからの投稿
こんな五月晴れの夜は野球場に直接行ってビールか酎ハイを!!
い~な行きたいな~o(^_-)O
て感じながら今、巨人×西武をTVで見てます♫♫
私は中高バスケットボール部に所属
家族は野球にそこまで興味なし
兄妹もバトミントンやバスケ(室内競技)をしていたので、野球大好き!になる機会がなかったのですが、大学生になった時に神宮球場へ東京六大学野球を誘われて見に行ったんです。
チケット代が500円とかだったんですよ!普通?
明治大学VS早稲田大学でした。
その年は明治大学が優勝して一場投手がもてはやされていたなー。
そして応援席になぜか大仁田厚さんが
いてプロレスの格好になり応援を激しく盛り上げていました。
その人生初の球場デビューは衝撃的でした!同じ5月くらいだったから神宮球場の風がすっごい気持ち良かったな~!!
なので、神宮球場(東京のヒートアイランドに侵された熱い風が吹く球場)が好きな私は自然とヤクルト派になってしまいます(笑)
今は監督どころか選手間トレードが激しいので全くこのチームと言えばこの選手!!というのはないなぁ。
誰か解説してくれる方とまた野球場に行きたいです。
さーてさてさて!
抗がん剤について書かなくちゃ!とブログアプリを立ち上げたのでした(;^_^A
今日は抗がん剤が終ってからの後遺症について詳しく綴らせてください。
私は全6クールの抗がん剤投与を受けました。再発と転移がない状態で、アジュバンド化学療法というものを受けたのです。
つまり、『ほぼ健康体で弱っていない満27歳の女性が人体実験の様に抗がん剤を受けた』と思ってもおかしくないのじゃないかと思っています。
当時、受けるのを覚悟した時はそこまで思いませんでした。沢山医師に脅されましたし、抗がん剤を受けて癌に強気で立ち向かおうとも言われました。が、前も紹介した慶應大学病院放射線科の近藤誠先生の著書を読むと、そこまで手厚い治療はいらなかったと思わざるおえません。
4月30日に一度行ってみようと新しくドアを叩いた病院で、そこの先生は
『確かに最初に見つかった細胞は特殊なものだったけれど、他のCTや血液検査結果も最初から問題ないので化学療法をする必要はなかったのかなと思います。』とおっしゃってくださいました。
今迄の後悔というより、疑ってしまっていた私の考えを肯定してくれた先生に出会えたことが感謝でした。
今はその病院で精密検査を受けて再発防止と抗がん剤のリハビリに励んでいる所です。
抗がん剤のリハビリについてです。
つまり抗がん剤の後遺症についてですが、番号NO.1~NO.4に分けて書きます。
NO.1 末梢神経障害の手足しびれ
1月17日に最後の投与が終了してから4カ月経つ今も未だ、末梢神経障害が残っています。
手先と足先がビリビリシビれています。
これは、ビーズやアクセサリーの工作をし始めると無心になりごちゃごちゃ考えず集中することができました。
その時シビれを感じない自分にハッとしたんです。
末梢神経障害は集中力を上手く鍛えれば解消していくんだ。
人により症状は様々ですが、意識の向け方で変わるというのを体験して自分のものにできた時は最高に気分が良かったです。
今は色々気分に合わせて工作を定期的に行っています。
塵も積もれば山となる精神でファイト!!です(^-^)
NO.2 爪の色素沈着と形状の乱れ
現在の私の手先
右手の親指です
右手の親指以外
爪は先から3分の1位に横シマが入っている事が良く見ると分かると思います。
4カ月前はこれが爪の根元でした。
爪の半分が剥離して皮膚にくっついていませんでした。
そしてドセタキセルの影響で爪が黒く沈着していました。
現在の足先です
右足
横のガタガタした線は抗がん剤を受け始めてから初めてできるようになったものです。
黒い色素沈着もまだあります。
この足先はいつか綺麗に治るのか、それともネイルケアに通って矯正してもらう方が良いのか悩み中です。
ま、予算的に前者を信じるのみ。
NO.3 卵巣機能不全
一番不安なのは卵巣の回復です。
抗がん剤は血液を周り、ありとあらゆる臓器を蝕みます。肝機能、腎機能、消化機能、そして女性なら卵巣機能の不全。
卵巣不全になり、月経がなくなります。回復する確立は60%、それから排卵が起きて妊娠できる確立は20%と抗がん剤を受ける前と受けた直後に医者から言われました。
その確立は若年層だけでなく、閉経していない女性、閉経に近づいている年齢の女性など様々な患者さんの統計値です。
60%なんて五分五分を指す様な水準です。
どっちに転がっても医者のせいじゃないよって言っているようなものです。
具体的な証明は一切なしです。
とにかく若いからなんとかなるよと周りは言っていますが、自分のことになるとそんな事、言えるのかなって思いますね。
ま、自分の自然治癒を信じるしかないですよね。
抗がん剤が終ってから二ヶ月は卵巣が回復していないためホットフラッシュや1時間以上同じ姿勢だと背骨、関節が痛くなるなどの更年期障害に悩まされました。
出来る事は当帰芍薬散(トウキシャクヤクサン)という更年期障害に効く漢方を処方してもらう事くらいでした。
対して症状は変わらない気がしましたが、何もしないよりはましなのかと思って飲んでいました。
更年期障害は4月からなくなっていき外出を出来るようになりました。
と思っていたら4月27日に少しずつ月経の様な症状がはじまりました。
当時は月経と思えず、左の骨盤周辺が痛くて卵巣が暴れ出していたらどうしようと不安が倍増していました。
それから二週間月経症状がありました。
その間、顔や手足、背中の皮膚がかゆくなり、栄養が全部卵巣と子宮にもっていかれて肌が弱っているようでした。
健康体だった時代も肌が生理の時に肌がかゆくなる時があったので、まだ我慢できますが、月経が長かったのが不安です。
このまま一回きりで次に月経来なかったらどうしようと不安が募ります。
ホルモンの分泌周期が少しずつ回復するよう祈るばかりです。
NO.4心の不安と睡眠障害
不安が解消されずに、約4カ月抗がん剤を受けて、辛さを我慢していると規則正しい生活が送れなくなっていました。
夜は身体が痛くて眠れない、
昼間に疲れてボーっと眠る、
夜は静かだと考えずにいられない、
朝や昼に周りは働いていて動けない自分に凹む
自分の感覚は周囲とずれている
そう認めた方が楽になれていました。
じゃないとやっていけない所があった。
気がついたら1日ちゃんと寝れたのは平均2時間。
どれだけ時間を無駄に持て余しているのかと落ち込んだ日々が続いています。
抗がん剤終ってから、まだ寝れないんですと医師に相談したら
『血液検査結果には問題ないからね~、じゃあ院内の精神科紹介するから行ってみてね。(パソコン見て話す始末)』
院内の精神科の先生は最初は家族構成から職業、家族や仕事にどう思っているか、小さな悩み等沢山質問をしてきました。
結局、適応障害と診断を受け、
落ち着く薬のメイラックス
寝れる薬のレンドルミンD錠0.25mg
の処方を受けて2週間ごとに通っています。
飲んでもあんまり変わらないんだな。
やっぱり抗がん剤のトラウマを解消したり、規則正しく起きたり寝たり、ご飯を食べて昼は動くという事を努力していくうちに身体が思い出して寝れるようになると信じています。
心の問題は自分にしか解決できないと思っています。精神科の先生はしきりに心の変化を聞いてくるけど話した所で上手く伝わらないんですね。
でも話さないで孤独な時間を増やすよりは話した方がまだ心の整理に役立つと思って精神科に通っています。
まぁ、なんだろなお医者さんって触診もしないで抗がん剤やろって言うのに不信感やトラウマを持ったままの状態。
癌宣告の時は父が泣いて「一生励まし続ける」と言ってくれたのに、抗がん剤を受けて一番辛い時に「甘えてるんじゃないよ」とか「顔がパンパンだな~」と言ってくるのが辛くてそれから家族でさえ、気持ち分からない事が沢山あるんだから他人と話すのは相当リスクあるなってどこかで思うようになってしまった事。
家族には感謝しているけど、お金の工面とかが大切だと強調する父には気持ちが寄り添えなくて苦しい。
社会に復帰したいけれど、まだバリバリ働いていて、
自分の成し遂げたい目標(教員として一人前になる)という6年間目指していた不動のセンターは
今、不在の状況。
そんな時は、一歩一歩歩きながら、自分の出来る事を少しずつ集めて行くしかないんですよね。
感謝しながら生きていきます。
大きな目標はいつか立つだろう。
一年前の感覚に戻る事はできないけれど、その思い出は大切に生きていけます。
そう思える自分の脳みそと身体に感謝しています。
NO.4はヘビーな話になってしまいましたががが!!
きっとブログに吐露してスッキリ自己満なんだと思います!!
嘘ついたって後後後悔するだけなので、気持ちに正直にブログやっていきますね。
よ~し!毎日12時までに布団に入る努力を始めた私!!
そろそろ寝る準備にかかりまーす!!
只今、夜23:20です。とっくに野球の交流戦終ってました!!
結果はいかに?(笑)
今日も読んで頂きありありありMAX!!!
でした(^-^)
あ、最後に今日の私の生育状況UPです!!
良い夢見てください!見れますように!!(^-^)☆
iPhoneからの投稿







































