集団的自衛権の話を聞いてから、まだ集団的自衛権のこととかはよくわかってないままではあるけど…
戦争って言葉に敏感になった。
小学生の頃、修学旅行で行った広島で資料館に行った。でも戦争のことなんてわかってない平和なボケな私たちは一番手前にある蝋人形が怖くて入れなかったり、オバケ屋敷とか言ってはしゃいだりしてる子もいた。(私は怖くて入れず…)
そのあと、被爆者の方からお話を聞かせてもらった。自分も含め、みんな真剣にメモを取りながら話を聞いたことを覚えてる。
皮膚が溶けて、あちこち豚の皮で繋いだり何度も手術を重ねたこと。すぐそばに見える川は地獄の海のようやったこと。身体中溶けた人たちが、熱い熱いって川に飛び込んで川は赤黒く染まってたこと。
小学生の頃から自分にはこれだけの記憶と、教科書や学校で習ったことくらいしかなくて、その後も過去に見た戦争映画や戦争特番の知識くらい。
火垂るの墓は二度と見たくないと思えるほど悲しかった。信じられへんような実際にありえた話。
それからは戦争関係の映画や番組は避けてきた。
どれだけ悲惨なことかは知ってるから、苦しいから、もうこれ以上見たくない。知りたくない。
って思ってた…
でもほんまここ最近で変わった。
自分たちにも戦争はありえるかもしれない。
自分たちではなくても、自分たちの家族や親戚、友人やその家族。日本って国は平和だけじゃいられなくなるかもしれへんって、急に危機感が芽生えた。
母方も父方もおじいちゃんは私が生まれる前に亡くなってる。もちろん2人とも戦争経験者やけど聞くことは出来なかった。おばあちゃんたちに聞けばよかったのかもしれへんけど、私が戦争に関心を示したのがここ最近。母方父方のおばあちゃんも2.3年前に2人とも亡くなった。
父方のおばあちゃんの弟さんが戦死したことは知ってる。おじいちゃん2人が戦友以外の人に、戦争の話をしたがらなかったことも聞いた。戦争とはどんなものやったのか、どんな経験をしたのか、全然知らん。
もっと積極的に聞いてみればよかったと思う。
知るべきことやったんちゃうかな、って思う。
今日、戦争に関する番組を昼間に少し見た。
その番組は日本がアメリカと戦争を始める前にしたことを少し取り上げてた。
あんな人殺しをして万歳万歳!ってしてる姿、話を聞いて、意味がわからんかった。信じたくなかった。
きっと幸せなこともあったし、誇れるものも沢山あったやろう当時の日本やけど、今の平和な日本から考えると酷いところも沢山あって、昔教科書で書いてた気がする。日本も独裁国のようやったって。
アホやから勉強できひんからちゃんと覚えてないけど、、
正直、見たくなかったけど見なあかんって思って私たちに戦争を教えてくださいを見た。自分が知らないことだらけで、とても苦しくなった。
平和になった日本で、幸せな家族のもとに生まれて、ぬくぬくの生活をしてした私には想像も出来ない、理解できるはずがないであろう現実。苦しかった。悔しくて悲しくて申し訳なくて、今の平和があるのはこの方たちみんなのおかげやと思ったら、ありがたくて。
涙は番組中ほぼ止まらんくらい泣いた。
話を聞いたり資料を見ただけじゃ、戦争なんて経験した人にしかわからん。でも少しでも知ることで後世に残せるものは山ほどあると思う。
だから知らなあかんって思う。
日本が当時のアメリカを憎むのもわかる。逆にアメリカが当時の日本を敵と見なし憎んだのもわかる。当時からそれ以前の日本に対して、韓国や中国が憎むのもわかる。
けど、今は違う。どこも敵じゃない。
そう思いたいし、私は思ってる。
敵なんて同じ人間にはおらんって思う。
さっきの番組で嬉しかったのは、当時のアメリカ兵の1人と日本兵の1人が理解し合えたこと。
そして、あるアメリカ兵が不時着し、生きていたところを日本市民たちに暴行されて死んだ事実にも驚いたけど、当時は憎きアメリカの兵である人がそのような死になったことに心を痛めて、その場の瓦礫で追悼碑を建てた日本人の本来の人間らしさや勇気にも感動した。
きっと分かり合えると思いたい。
その希望があちこちにあると思った。
だからこそ、もう二度とあんな殺し合いが起きないように、日本は平和であるべき。平和の象徴であるべき。平和という部分においては、全世界が羨み目指す国になってほしい。
今はアメリカに守られてるからこそ成り立ってる平和ではあるけど、平和であることに間違いはないと思う。
命が宝。戦争は憎しみが生む地獄。みんな人間でありたい。人間っていう一つの仲間でありたい。
ずっと平和でいたい。