今年で最期 | アッシェンバッハの彼岸から

今年で最期

アッシェンバッハの彼岸から-梅の木邸


ずいぶん長いことほったらかしにしてしまった…

シゴトで常に書くのに追われていると、

ほかのところで何も書きたくなくなるというか。言い訳。

そんなシゴトもお休みに入るので、最近やっとすこし余裕が出てきたのですよ。


最近、我が家の近所ではやたらと工事の看板が目立つようになった。

いずれも、旧い家屋や店舗を取り壊して、大きなマンションに立て替えるというもの。


2月最初のころ。

毎朝通るたびに庭木や花を眺めていた旧い家のブロック塀に、

「取り壊し工事」の白い看板を見つけた。

我が家から路地を数メートル歩いたところにある旧い家で、

お庭には、きいろい実が鈴なりになった大きな蜜柑の木が立っていた。

けれど、何よりもわたしの気になったのは、

門扉の横に立っていた、ふくらんだつぼみがいっぱいついた立派な梅の木だ。

樹齢何年くらいになるのかわからないが、

この梅の花を見ることができるのも、今年限り。
この木の命は、今年で最後というわけだ。


以来、その運命とは裏腹に日に日に真っ赤な花を開かせていく梅の木を見上げることと、

毎日写真に撮って、ヨーロッパに出張中のキシダに送るのが、

わたしの新たな日課となった。

そうする間にもブロック塀の周囲には青いビニールシートが張り巡らされ、

最初に家屋が瓦礫の山となり、次に大きな蜜柑の木が、跡形もなく切り倒された。


そして、ある晴れた朝。

最後まで残されていたブロック塀と梅の木が、ついに消えてなくなっていた。

ビニールシートの隙間から覗き込んだら、

想像よりもずっと広大だった土地いちめんに、赤い花びらが散っていた。


白い看板によると、ここには1年半後に十数階建てのマンションが建つらしい。

やがてそこに暮らし始める何世帯もの若く魅力的な家族は、

ここにかつて古びた木造家屋がひっそりと建っていたこと、

そこで静かに暮らす人の生活があったこと、

蜜柑や梅の立派な木があったことなど、知るよしもなく、

新しく忙しい毎日を過ごし、年をとっていくんだろうな。

2週間ぶりに出張から帰ったキシダは、更地になった梅の木跡を見て、

「ふうん。もともとどんな家があったのか思い出せなくなりそうだ」と呟いていた。