「ありがとう」と云う言葉が持つ力、知人から少し前に聞かされていました。



「ありがとうございます」を何度も口にすると、物事が好転していくと云う話です。

あの大槻教授がお聞きしましたら、何とおっしゃるか…不思議な話題です。

色々な方が本を出されてもいますよね。



その話をしてきた知人は、ある実験をしていました。

3つの蓋付きビンを用意して、それぞれビンの中に炊いた米を入れて置いたそうです。

そして、毎日、それぞれのビンに入った米に言葉を掛けていきます。

「バカヤロ」「ありがとうございます」「・・・(何も言わない)」 1ヶ月ほど続けたそうです。



その結果、どーなったと皆さんは予想しますか?

「バカヤロ」の米は黒カビが発生。

「無言」の米は差ほど変化なし。

「ありがとうございます」の米は、なんと麹になっていたとか。

「ありがとうございます」は物質の変化を生むと知人は興奮して話していました。



植物も毎日「元気に大きくなってくれて、ありがとう」なんて声を掛けるとスクスク伸びていく。

非科学的なのですが、お経や真言と云ったのも使う者によっては、

特別な力が働くと私自身感じていることです。

古来の武芸者の中にも、言霊を取り入れた達人もいました。

非科学的であっても、何か好転することがあるのであれば、プラシーボ効果でもいい、

行き過ぎることがなければ取り入れても良いと、私は思っています。



しかし、「ありがとうございます」の言葉を話題として本を書かれている方の中には、

「どうも、それは違うのでは?」と思われる方もいらっしゃいます。

それは、「ありがとうございます」の言葉を使うだけで、御利益が得られるのだと云うことを

誇張している部分です。



その言葉を使えば、全てが上手くいく。

どんどんと使って、沢山のイイことを呼び集めましょう的なことを全体を通して聞こえてしまう著者が

いらっしゃいます。

「何か違う・・・」と思うのです。



それは、「ありがとうございます」の言葉だけを捉えすぎて、又は、

その不思議な効果にとらわれ過ぎて、本来の意味が薄れてしまっている点です。

他人からの力のみに頼り過ぎた利己的な主張にもとらわれている気がしています。



その言葉の大切さを、最初に広めた方は、当初何度も使うことによって本来の意味を思い出して

感じてほしいと思われていたのでは?



「当たり前」なのだと、

常日頃から気づかぬうちに思ってしまっていると、その言葉の大切さを忘れてしまうもの。

常日頃から感謝心を持つ、ふれ合う人々がそうである世の中であれば大変素晴らしい。



「ありがとうございます」と何度言えても、感謝心が薄ければ、謙虚さを知ることはない。

意識あっての言葉の力だと思います。