今日はNGO Human Rights Nowのイベントに参加してきました。



アルバイト先の弁護士さんに送られてきたNGOの広報紙をパラっと見てたら


そこに載ってた理事長の名前が、なんと大学で講義を受けてる先生の名前!


ということで、せっかくの縁と機会なのでさっそくイベントに足を運びました。




NHKスペシャルなどを作っているプロデューサーの方のお話からひとつ。



国境なき医師団のロニー・ブローマンとの会話の中で、


どんなに現場が長い人でも


「そこからは環境的にも、地理的にも遠いところで日常を送っていると、


起きている出来事に対して、だんだんと関心がうすらぐことが怖い。」と彼は話していたそうだ。


最近の自分の心情をばっちり突かれているようだった。



大学時代真っ只中の以前よりも、世界の情勢とか問題にハングリーに食いついていこうとする気持ちが


弱くなったなと感じてたから、


やはり先進国のような環境のある日常の中で、その気持ち、というか「こころ」を保つことは難しい


と、そんな人でも思ったりするんだ。ということを他人からこういう講演会の場で聞いて、思わず聞き入ってしまいました。




世界への(human rights issue etc)関心がうすらぎ、


日常でそうゆうことを考える時間が押し流されていく(=日常の暴力性、という表現をされていた)


ことをしっかり意識して、ものごとに取り組むことも重要だな。


と感じた時間でした。




でも今日感じたこと。


やっぱり積極的に足を運ぶことは、チャンスと縁と運を自分でつかむ最高の手段である、ということ。




学祭のライブに行って以来、チャットモンチーの曲をずーっと聴いてます。


まっすぐ入ってくる歌詞と曲で、素敵です。


なんかこう恋したくなる!



真夜中遊園地とか聞き込んだら離れない感じが好き。


世界が終わる夜に、橙、恋の煙などなど他の曲もめっちゃいいし。


就活中やけん、東京ハチミツオーケストラとか聞いてると頑張ろう!って思えるし。


ライブで生で声を聞いた時、自然に涙が出てきたのはやっぱり「まっすぐさ」に魅かれるからかな。



どんなときもまっすぐに、疑問に向き合って、問題に取り組んで、友達に向き合って、自分に向き合うことで


きっといい道が開けていくんだと思う。



いつも、まっすぐに。



今日、すごく心にくるお話を聞きました。



カナダ留学生活残り1ヶ月ちょっとにして始めたボランティア先で出会った34歳の彼女。


そしてひょんなことから、私が去った後の家具を預かってくれることになった31歳の彼女。


その出会いが今日の時間を連れてきてくれたんだと思う。



最近は少しおおざっぱになってきた、ポジティブに考えられるようになってきた私も
今から考えると昔はすごく頑固で、何事もきっちりしていなくちゃいけない性格でした。
すべてにおいて人と比べて、変なところに小さいプライドを持ってて。

自分の価値基準において、人と比べて自分が勝っていることに安心する。満足する。

そのプライドはもろくって、人と比べてるから人からの言葉に傷つきやすくって、

くたくたになって疲れてしまう。

でも周りにはそんなこと言えなくって、弱音が吐けなくって、つらくなる。


そういうサイクルの中で、今まで私がこうやって人生を歩んでこれたのも、

きっと周りが理解してくれたからだと思う。


じゃなくっちゃ、いつか壊れちゃったかもしれない。



こんな私でも、

柔軟性があるね、って言ってくれる人がいっぱいいる。

頑張っててきらきらしてるね、って言ってくれる友達がいる。

頑張れることは私の強みだと思ってるから、前も見たい。また次も見たい。ってがんばれるんだ。



この時期に、このタイミングで、

きっと出会うべき人たちで、きっと聞くべき話で、きっと今後の人生を豊かにしてくれる糧になるんだと思う。



小さなことにも喜びを感じて、周りに感謝して。


人は落ちたときにいろんなものが見えてくる。

それは自分と180℃違った生き方だったり、物の見方だったり、

自分の弱さや周りの温かさ。


今留学に来ていて、たくさんのことを経験してきた。

楽しいことも、つらいことも。

そういう全部を見たからきっと心にくる話であって、もし別のときに聞いてたら心の動き方は違っていたかもしれない。



自分を成長させてくれるもの、


人との出会い。