貯金至上主義からの脱却。


👆️言葉の使い方に自信がないが、とりあえず書く。


子供の頃から身についてた概念がある。

誰かに自慢する事ではない。

声を大にしていう事ではないけど、みんなが、そう思ってるでしょ。

お金は使わず、貯金できてるのが偉い。


紐解いてみると、私の中では無意識をかなり占める大きな固定概念だ。


子供の頃の私の場合、お年玉や、月に700円もらうお小遣いを、やりくりしながらコツコツ貯めていくのが偉いと思っていた。

日々の小さな欲望には負けずに、少しずつでも貯める事ができて、欲しい物ができた時に、ここぞ!というタイミングが来たら、親に頼らず買う。そういうお金の使い方ができる自分を誇らしいと、自他共に思うだろうし、そういう私は、大人になっても信頼に値する、そういうドヤ顔まじりの感じがあった。


そういう正義があったから、それに反する事を批判的に見ていた。

無駄使いは、「悪」だった。

欲しい物を親に買ってもらっている兄弟の事を、「あんなお金の使い方をして😤」、「日頃があんなのだから!プンプンッ😤」「あんな金銭感覚でどうするの😤」という感じで見ていた。


周りの空気感を含め、子供の頃は言語化できてない感覚であって、大人になった今だからこそ、こういう感覚だったな~、と文章にできている。


今だったら、自分の感情が理解できる。

「自分は、その時が来るまで、自分を律して、毎日日々我慢してるのに、なんでお金の使い方にだらしない人が許さてるの?😤」


もっと言えば、「我慢したくない!」だ。

「立派な人と思われたい」もある。

自分が満たされていれば、他の人はどうでもいいから、なにか別の事で自分を抑圧してたんだろう。


最近だと、親のお金の使い方を批判していた。

パチンコが好きなのと、テレビを観ては通販で買い物をし、「年金でよくそんなお金を使えるもんだ🤨」「借金しても、私には助けられる財力はないよ!😤」と思っていた。

身近な人との会話の中では、笑い話の様にもしていた。



私はと言うと? 我に返ってみる。

子供時代と比較すると、随分変わった。


自分が欲しいと思った望みを、

エゴが心配をして色々言ってくるが、

望みの方に耳を傾けてあげて、

自分の選択で叶えてあげる。


他の人から見たら、無駄使いと思われるかもしれないという懸念が湧いてくる。

私自身が、他人のお金の使い方に、とやかく思ってきた。

私がこの世を去った後、私の空間や記録を見たら、笑い話にされる事もあるだろう。



衣料品店で働いていた頃の出来事もよみがえる。

4000〜5000円のパジャマを、自分用に購入したご婦人がいた。

先輩は、自分用のパジャマに高額を使った印象を受けた様子で、話題にしていた。

当時の私は内心、「その他の場面で節約して、寝具にこだわりたい方だったかもしれない」と可能性を広げてみた。


どういう事にお金をかけたいかは、人それぞれだ。

親が、人に笑われるような使い方をしているくらいだし、私も別に、人に誇る為の「立派なお金の使い方」をする必要はない。


おわり👛