※今回は、自分の卒論の中で自分が整理できていない部分をまとめるために、あえて論説のように堅苦しく書いたものとなります。ご了承ください。
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私は卒論で「地域活性化」に関わるテーマについて検討しようとしている。
にも関わらず、「『地域活性化』が一体どういうものなのか」という問いに対する答えを出せていない。
よって今回は「地域活性化」とは何なのか、というテーマについて考えてみようと思う。
そもそも地域活性化が語られるようになったのは、少子高齢化が進む中で、特に過疎地域中心に、人口が減少している、又は今後減少することが予想されているという問題が原因であると考えられる。(その根拠については割愛する。)
すなわち、人口減少に歯止めをかけることが地域活性化の目的ということになる。
とすれば、全体が人口減少に向かっていく中で地域の人口を維持すること=活性化と言えるだろう。
しかしそうすると、出生数より死亡数が多い、すなわち自然減となっている中で人口を維持するためには社会増にするしか方法はない。(自然増にすればよい、という話は論点が変わってくるので置いておく。そもそも現状で瞬時に自然増にできる可能性はほぼないと言ってよいだろう。)
社会増ということは、その分どこかが社会減になっていなければつり合わない。
つまり、地域活性化の目指す先は人口の取り合いにしか帰結しないと考えられる。
果たして、こうした帰結が予期される中で、手放しに地域活性化を推奨すべきなのだろうか。
確かに、個々の地域の人間が、自分の地域を存続させるために努力をすることは理解できるし、肯定すべきことだろう。私個人としても、そういった地域には存続してほしいと思う。
しかし一方で、危機感も十分でなく、努力もほどほどに、他の模倣で其の場凌ぎの「地域活性化」を行う地域は衰退しても仕方ないのではないだろうか。
どこかを存続させるにはどこかを犠牲にしなければならない。その存続させる場所を決めるのは地域自身である。すなわち地域活性化とは競争なのだ。
問題意識の低い地域に対して、外部から「地域活性化をしましょう!」と呼びかけるのは果たして正義なのか。私はそうは思わない。
本当に危機意識を持った地域が、自分の地域を見つめ、自分の地域なりのアイデアで、人口維持のための努力をする。これがあるべき地域活性化の姿なのではないだろうか。
ある地域を犠牲にすることは確かに抵抗のあることだ。しかし、今後日本全体が人口減少していく中で、全ての地域を残すというのは現実的ではない。おそらく一部の地域を統廃合しなければならない未来が訪れるだろう。
そういった統廃合される地域を選択する中で、自分の地域は残していきたいと思うのであれば、それ相応の努力をしなければならない。その努力こそが「地域活性化」ということになる。
すなわち、「地域活性化」とは、日本全体が人口減少となる中で、人口を維持し地域を存続させるために、その地域を残したい人間が努力をすること、と言えるのではないだろうか。以上。