「人間ならではの能力を発揮させることこそ最高の幸福」二コマコス倫理学(下)アリストテレス著 | 52歳で実践アーリーリタイア

52歳で実践アーリーリタイア

52歳で早期退職し、自分の興味あることについて、過去に考えたことを現代に振り返って検証し、今思ったことを未来で検証するため、ここに書き留めています。

 

 

 

<概要>

幸福(エウダイモニア)に至るための知的なアレテーの解説含めた人柄のアレテーとの関係、そして社会的動物としての人間関係のあり方としての友愛(フィリア)と、人間の欲望を制御するための意志の持ち方をを踏まえたうえで「幸福とはどのような状態を指すのか?」を提示した著作。

 

<コメント>

下巻に至り、はじめてアリストテレスの著作を通読しましたが、講義録という性格上か、はたまた息子さんの二コマコスが講義録を編集した影響かは不明ですが、全体のストーリー展開としては、特に最終節の部分でつながりがあるようには感じませんでした(専門家もこの部分諸説あり)。

 

が、チャプター別にみれば現代でも通用する説得力ある考え方が、理路整然とした文章で2,300年前ぐらいに書かれたわけですから、それだけで驚くしかありません。

 

とはいえ、これがそのままギリシアで現代まで続いているわけでもないのもまた面白い。この伝統がそのあとも続いて今に至るとしたら、ギリシャはどんな世界になっていたんだろうと思ってしまいます。今に生きるギリシャ人は古代ギリシャ人とは全く別物ともいわれていますので(以下参照。これは中国人に対しても同じ印象)。。。。さて本題。

 

 

 

■最高の幸福とは「アレテーに基づくテオーリア(観想)的活動」である

最初にアリストテレスは「幸福とは、アレテーに基づく魂の活動」としたのですが、それでは、その活動とは具体的にはどんな活動かというと、その答えは、

 

「観想(テオーリア)」的活動が人間の最高の幸福である

 

としました。

 

「観想」という概念に関して、翻訳者は「学問的に、また理論的にものを考える活動」としていますが、一般に「観想」という言葉のイメージは「眺める」というような静的な印象で「広辞苑」でも「真理・実在を他の目的にためにではなく、それ自体のために静かに眺めること」としています。つまり最初に訳した翻訳者のミス?かもしれません。アレテーも「徳」と訳してしまうのですから。。。(だから哲学は難解だと敬遠されてしまうのでは?)

 

わたしが読んだ感じでは、アリストテレスは

 

「対象のその特性を思う存分発揮させてやる(アレテー)ことがその対象の目的=善きこと」

 

と考えていたので、「対象」を人間にも当てはめれば、

 

人間ならではの特性とは「知的活動」なんだから、その特性たる「知的活動」を最大限に発揮させることこそ人間の善、つまり人間の最高の幸福である、

 

という感じです。個人的にはアリストテレスの文脈に沿って想像すれば、これだけでは足りず「人間はポリス(社会)的動物」で、これも人間ならではの特性。したがって「社会性のアレテー(本書では「人柄のアレテー」と翻訳)も発揮させるべきで、上巻の内容も踏まえてまとめれば

 

「賢明な人格者が、知的・社会的能力を最大限発揮すること」

 

こそ人間の最高の幸福、といいう感じになるのでは、と思います。

 

もし、啓蒙主義が浸透した現代にアリストテレスが生きていたとすれば、

 

「人は皆それぞれ、なんらかのその人ならではの能力を持っているんだから、その能力を最大限発揮させてみよう、そうすればきっとあなたにも幸せが訪れますよ」

 

とわれわれに教えてくれたかもしれません。

 

■身体的な人間の幸福について

人類進化生物学者ダニエル・E・リーバーマンによれば、他の動物と違った人間ならではの身体的特性は「長時間走ることができる」ということ。

 

したがってアリストテレス的には、長時間走れる能力を最大限発揮することも、人間の幸福となります。最近ジョギングする人が多いですが、これは人間ならではのアレテーを発揮させようとしているわけですから、ジョガーはまさに人間の最高の幸福を味わっているのかもしれません(私の場合は自転車を走らせて幸福を味わっています。以下参照)。

 

 

■名画「グッドウィルハンティング」とアリストテレス

マット・ディモン&ベン・アフレックの出世作「グッドウィルハンティング」。

 

 

 

当時2人がブルーカラーの世界に生きる中で、天才的な数学的才能を持つウィル(マット・ディモン)に対し、一緒にビルの解体工事をしながら親友のチャッキー(ベン・アフラック)はこう言いました。

 

「せっかく宝くじに当たったのにそれを見逃してしまうなんて、それは勿体ない。50年後に同じことをしていたらお前を殺す!」

 

といって

 

「天才的な才能をちゃんと発揮させるべき」

 

と親友に語った場面が印象的でした。

 

アリストテレスも同じ場面に巡りあわせたならきっと同じことを語ったのではないでしょうか?

 

脚本を書いたマット・ディモンがどれだけアリストテレスを知っていたかは不明ですが、アリストテレスと同じことをマット・ディモンは考えていたのだと思います(映画の結末は別の方向ではあるものの。。。)。

 

以上、このアリストテレスの幸福論は、どの時代にあっても、どの場所に生きていたとしても、われわれ人間に共通に実感できる、普遍的セオリー(上述のテオーリアが語源)かもしれません。