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Amebaでブログを始めよう!

イベントが軒並み中止になっている。

致し方ないとは分かりながらも、淋しい。

 

でも全部中止にしていたら、何もできないし、何も前進しないと思うのだよね。

このコロナの状況が誰もが初めてで予測がつかないけれど、

何か励みになるものがないとなかなかなぁ、と思う。

 

ただ、絶対に本人やその家族や近くにいる人に何かがあっては絶対にいけない。

快い了承があるうえで、むしろ、参加した方が良いよ、と思ってもらえる状況で

参加できたらいい。

 

周りから見て、参加した方が良いと思える状況、ってなんだろうか。

・それに向かって、生き生きしている

・楽しそう、楽しみにしている

・その周りの人も、頑張ろうと思えること

・参加者自身が気分転換になること

 

また、こんな時期だから+αもあったと、

こういう機会だからこういうことができて逆に良かったね、と思えることがあるといい。

たとえば、

・〇〇〇のリハみたいな感じで

・〇〇〇を敢えて〇〇〇っぽく使わないで、ぜいたくな感じで

 

いずれにしても、逆手にとるのも良いような気もしてきた。

逆に楽しかったね、みたいな。

 

何かはやったほうがいいと思うから、

結果的にできなかったとしても、何かしらあった方がいいと思うから、

考えなければ。

書こうと思ったのに、続いてない!言い訳。

 

話を聞いていて思い出したこと。

前にももしかしたら書いたかもしれない。書いたような気がする。たぶん、書いたな。

でも忘れかけてたから、また書く。

 

飛行機 飛行機 飛行機

 

海外旅行でアコ弾きを見たときの話。

 

ある国で。

街の中心のストリートで、デパートやお店が並んでいる大通りで、

おじいさんが街行く人の中で弾いてた。

投げ銭入れのようなかたちで、一応アコケースを開いて置いていたけれど、

おそらく形式上そうしただけで、投げ銭目当てで弾いているのではないように見えた。

単にアコを弾くのが好きで、街行く人を眺めながらゆったり弾いている感じ。

歩いている人を眺めながら、にこにこ弾いていた。

そこは、たびたびいろいろな演奏家が音楽を奏でていて、弦楽器を弾いている人もいたし、

驚いたのは、その大通りをどこからかグランドピアノを手押しで運んできて演奏する人もいたり、

そういうところだった。弾く人も、その道を通る人も、その風景には慣れている様子だった。

 

別の国で。

ここでもストリートで、ときどき楽器を弾いている人がいた。

アコ弾きを見たのはたしか2組。そのうちの1組は、大通りの入口で子供が弾いていた。

街並みからも、楽器を演奏するのは不自然ではない雰囲気だったけれど、

ここでアコを弾いていた子供は、投げ銭目当てで演奏してるように見えた記憶がある。

 

どちらもこういうふうに、街の中で楽器を奏でているのが不自然でないのは良いなぁと思った。

道行く人も、聴きたいときは立ち止まって聴くし、特に気にしないで歩いていく人もいる。

それがどちらも自然で、ただ街に音楽があるという雰囲気。

聴き手がいないときに演奏者が可哀そうな感じになるわけでもない。

 

私は、前者のおじいさんの雰囲気が良くて、初めて会った別の日も探して聞いたりした。

こうした演奏は、日本では不自然になるからできないけれど、

歳を重ねたら、歳を重ねなくても休日とかに、あのおじいさんのような雰囲気でアコが弾けたら

楽しいだろうなぁと思う。

 

アコ弾きもご機嫌で、歩いている人もなんだかご機嫌になって、街にも少し彩りがでるような気がする。

たまに聴きたい人がいてそういう人は足を止めるけれど、時間は普通に流れていて、

みんなは自然に音楽が耳に入って気分が良くなりながらも、普通に通り過ぎていく感じ。

 

風景とか景色とか街とか人とかを眺めながら、ただただ、にこにこしながら、微笑みながら、

ただただゆったりアコを弾けたら、なんだかほんわかハッピーだなぁなんて思うニコニコルンルン

先日、珍しく夜中に目が覚めて、ラジオみたいなの聴いたら面白くて興味深くて、

聞き続けたら眠れなくなってしまった…。

夜中だから、脳内もなんか冴えてきて考えや思いもなんとなく言葉で出てきて…?

翌日思い返したら、大したコトではなったけども…!!

 

…。そのなかで思うことや考えたことを書こうかなと思ったけど、、

ここに書くことではなかった!残念。 なので、他のことを書こう。。

何を書こうか。

 

前回の記事のつづきを書こうか。つづき、とはまた少し異なるかも。

 

照れ 照れ 照れ

 

必要なことの一つに、「アコ人数自体の底上げ」がある。

そもそもの数が少ないのだから、繁栄しても頭打ちが近いでしょう。

そして、その底上げができてきたら、その次に絶対に必要になることもある。

底上げしつつ、その次のことも視野に入れながら動いておかねばならない、ね。

 

そんなわけで、今回は、底上げの話。

 

照れ 照れ 照れ

 

まず、既にある者どうしで、いがみ合っている場合ではない…。

これは高齢層以外では、もう殆ど無さそうだけれど。

 

…ただ「ない」というのも、またほんのちょっと違う気もするのだよなぁ…。

 これは前回あたりに書いた、「知ってるけど気にしない≠知らないから気にならない」(イコールではない)のコトで。

 このことは今は置いておこうか。。

 

理想は、

互いに気分よくネットワークが繋がっていること。

ただそれには、互いにそれぞれが「良い」状態でないと、気分的に厳しくなる。

損得やそういう情が出てきてしまうから。

 

もしうまく横に繋がることができれば、

互いにプラスになる方向で、合同で何かできたら良いよね。

演奏会でも発表会でもイベントでも。

そして、そのクラスの方々やその家族友人等もが気楽に楽しく参加できるかたち。

 

その時には、それぞれのクラスの人が、そのクラスの所属で良かった!と思える形になったら良いなと思う。

他クラスと「比較」してそう思うのではなくて、各々の自分のクラスや講師を見て、良かったーと思えるかたち。

理想だね。完璧にそうなるのは難しいのかもしれないけど、、どうしたらそうなるかなぁ。

 

おねがい おねがい おねがい

 

あと少し違う視点から。

 

底上げするなら、いろんな人が入ってこれるようにしなければならない。

それには、場所のこともあるし、各クラスの色・特徴のこともあるし、指導方法のこともあるし、

年齢層のこともあるし(これはどのクラスもオールマイティーが良いと思う)、

生徒側の楽器経験歴のこともあるし、目的のこともあるし、etc

とにかく受ける人側が選べる選択肢がたくさんあった方が良い。

そしたら「違う」というのは、選択肢がたくさんあるということだから、良いことでもあるよね。

 

単に「違う」というコトは、その違う層をもつれてくるということだから、

底上げの意味でも「違う」というのは良いよね。

層を狭めたら、増えていかない。

 

すると、大きく見たときに、それぞれの教室は敵ではないはず。

いろんな意見や感じ方や見方は人それぞれでもちろん良いのだけど…

批判や悪口として公に言うのは、違うような気がする。

ただ、私もそういう見方を知ってはおきたいから、そのへんはまぁ難しいところでもあるけれど。

でも、立場等によっては、絶対言ってはいけないということもある。。と思う。

 

底上げの話から少ぉしズレてきた気もしてきたし、、この辺にしておこうかな。

とりあえず、書けるときは書こうと思っているから、このままGOしてしまおう。。

 

 

 

追伸?メモ。いつか書こうか。

・今は、場所である程度OKだが、場所の制約があるから

 このコロナでオンラインが一気に普及して、「場所」は関係なくなってくる面も出てくる

・マイナー楽器だから良いところもあるけれど、それは今は置いておいた。

 ただ、メジャーになりすぎるのも、ほんのちょっと寂しくなりそう。

話を戻して、昔のことを少し。

昔、始めてからまだ浅い頃、自分の通っている教室のことを何気なくネットで調べたときのこと。

この頃はまだ、ネットの情報が今ほどまでは溢れすぎていなかったと思う。

 

ある掲示板を見つけて、その中で、教室を良く思っていない人からのコメントがあって。

書いていたのは、内容からして完全に外部の人。しかも内容は、事実が伴っていない。

そして、内容が負の方向に大きくなっていた。

それを見て、いろいろな気持ちが湧いてきた。嫌だったり、悲しかったり、怒りも入っていたり。

とにかく全くもって良い気分はしなかった。

 

今のように情報が溢れかえっている時代だったら、それこそ逆に取捨選択ができて、

相手にするのも時間の無駄であることや、浅はかな考えだなぁと思うまでだったかなあと思うけど、

当時はまだそこまで情報の多さに慣れている時世ではなく、鵜呑みにする人もいる雰囲気だったから、

本当に嫌だった。特に負の噂は広まりやすくて、さらには雪だるま式に負の部分が過剰になっていく。

 

でもその一方で、私はそういう見方もされているということも知ってはいたかった。

それは、この件に限らず、広い視野やさまざまな角度の見方を知っていたかったし、

「知っていても気にしない」というのと、「知らないから気にならない」というのは違うから。

私はこの2択なら、前者でいたいと思うから。

 

こうしたなかで、ある時、その掲示板に全く違う人からの突然の書き込みがあった。

2人いたのだが、教室の内部の人なのか外部なのかはわからない。

 

一人目は、嫌味のない分別のある書き方で、それを制していた

そしたら、ここで一旦、負の雪だるまは弱まった。掲示板の主もそれを読んでマズイと思ったのか、

それまでは負の方に便乗していたのに、そこから逆に抑えの方に回っていた。

 

二人目は、一人目とはまた違う人で、「〇〇さんもここの生徒さんですよ」と書いていた。

「○○さん」というのは知られている人で、その方が教室は関係なく好かれていたキャラ等もあって、

負コメントの書き込みはなくなった。

 

私ができるのはどっちかなと思った。

言葉で正確に伝えられるのなら、そしてそれが嫌味なく良い説得力を伴うのなら前者だが、

その力は私には難しそう。本当は前者の力も必要なのだけど。時間がかかる。

私が前者よりも先にできるのは、この人とはアプローチの仕方は違うけれど、後者の方かなと思った。

 

知っている人が関わっていれば、「実態を伴わない、根拠のない悪口」は軽減される。

直接面識がないから、良く知らないから、どんどん負の方向に進んでしまうというのもあるから。

「知らない→だから→嫌い」という流れには行きやすい。

だから、できるだけ垣根を越えて、顔を知られたら良いのではないかな、と。

 

もう少しつづきがあるけど、今日はこの辺で。

練習しよ。

このコロナ自粛期間で、何をしたが…

何もしてない。ヤヴァイ。

 

今までなんとなくしていなかったことを、無意識にしたりしていた。たくさん見たな・・・。

なので、完全に"無駄"という感じではなかったような気がする。

少しだけ違う世界を見られた気がしたから。そして、それらがすごかった。知らなかった。

面白かったし、興味深かった。少しはまってしまった感じはあるかも。

単純に楽しみつつも、考えたり、当てはめながら見ていたのかもしれない。

 

ただ、決して、時間を有効には使えていなかったので、良くない。

 

毎日何かしら文章を書こうと思ったときも数回あった。でも、三日坊主?的な。良くない。

頭が弱くなっている。思い出したときに?できるだけやろうかなと思った。

 

ニコニコ ニコニコ ニコニコ

 

話を変えよう。少し。

 

ニコニコ ニコニコ ニコニコ

 

昔のことを少し。

 

時代の流れというか変化は速くて。

年齢と共に、そのことをより強く感じていく面もあると思うが、

今回の話はそれとはまた違くて、"ホントに時代の流れが速い"というコトの方のこと。

 

当たり前すぎることを書くけれど、ネットでさまざまな情報が溢れかえっている。

だから今は、情報を"得る"のはそんなに難しくなくて、

それよりも、多すぎる情報に対する正しい対処法が必要とされる。

 

過多情報の中から必要な正しいものを選べるか、正誤を見分けられるか、

不要だったり知らなくていい情報には触れないでいられるか、等々が必要で、

情報を正しく取捨選択できる力が必要な時代になっている。

そして恐らくそのスキルは、個々人の、年齢、生活様式、仕事、環境等々によって、変わってくる。

 

正誤を判断するために必要な学もあるし、

偏らない(たとえ偏っていても偏っていることを認識できている)広い視野が必要だし、

俯瞰で見る力も必要だし。色々必要。

 

だから、学は必要だし、世の中の流れを知っておくことや考えることを止めないことが大事。

 

・・・もともと書こうとしていた内容から話が逸れたな。。

戻そう。

 

ニヤリ ニヤリ ニヤリ

 

ズレたところで、文字数制限??また次に!

年1で継続してできたらと思っているコトの場所探しのこと。

 

前回は、施設。

比較的できたのが最近なので綺麗で、

ほぼ窓なので、陽の光も差し込み、明るく、

駅近というか、ほぼ直結。

会場としてすごく良かった。

ただ、中間地点ではない!これが結構問題。

主要駅というわけではないし、今後は参加者に偏りが出てくると思う。

 

どのみち、前回とは違う形でと思っていたから、

今回はまた別で探してる(前回のところも仮予約はするかも)。

 

 

そして、良いなぁと思う場所を見つけて、先日そこに行き、オーナーと話した。

好意的にとってくれたけれど(というか、私が+思考すぎて気付いてないだけかもだけど)、

そもそも防音でないから&週末は通常客来るから、△と。

具体的になったら、また相談してくれれば、と。

大家さんや不動産屋さん相談するかも?ただ、近所には気を遣うから、うーんと。。

 

パット見は、私としては、探していたものに結構近くて、

そこまでちゃんと見てないけど、立地とか雰囲気とかもバッチリ。

すんなり決まりそうだったら、決めてた。たぶん。

 

ムリにやっても、互いにハッピーでなくなってしまうから、押し込むことは考えてないが、

オーナーが思っているよりも音が小さかったりして、杞憂であれば、やりたいなぁと思う。

一旦ふらりと行ってみるか?帰りに。

意気込みあるけど、それは表に出過ぎないように、相手が気後れしない具合のちょうどいい塩梅の、

でもポイントはしっかり押さえた企画書をつくるか?

 

今後のためや、自分の頭の中を整理するためにも良いかもしれない。

作るかな。

上手く書けないのだけど、書きたいなと思っていること。の、メモ。

 

・型について

・型があるから、自由なことについて

・これからの時代のこと

・種や土壌を活かしていく方法を考える

・のこしていくことについて

 

・別仕事の活かし方。活かせることやシュミレーション

・小さい団体から大きくなっていく際の注意など

 

・基礎について

・他の芸術やスポーツや音楽と共通することおや見落としていること

 

・安定さと不安定さのバランス

・機械ではないけど、一定のものも必要

 

・自分に似合っているかどうか

・立場による違い、意識しなければならないこと

・年月が経てば、自分視点とは別の視点も大切になってくる

 

・ビジョンと今の位置

・巻き込む力、垣根を越えて協力するところと、内側を大切にすることの選別バランス

・できる限り、全体が互いにwinwinになるようにしなくては発展しない

 

・どういうふうでありたいか

・なんだか元気になれる

 

・自分の曲げないところや方針と、柔軟に変えるべきところ

・求められていることとのバランスや線引き

 

・優先順位

 

・なにをすれば楽しんでもらえるか

 

・笑顔を

 

・人が笑って(楽しんで)いるのを見て楽しいのか、

 自分が楽しいのが楽しいのか

 

・おいしい

 

・抜粋

 スタイリストが今つくりたいもの食べたいと思うものを出すのではなくて、

作品内にリアリティーを生む料理のあり方を考える。

 おいしそうなもの、美しいものを出すことが必ずしも正解ではない

 これは、料理研究家や料理人とフードスタイリストの仕事の大きな違い

 

 

想うことがかなりあるのだけれども、思考を言葉にできないんだよね。

語彙力や文章力のなさが…圧倒的に不足していて、良くない。

自分の中では結構ハッキリあるような気がするのだけど、言葉にするとぼんやりとした感じになってしまう。