「わたし」の願望ではない。そう切望するのは、闇ととらえてきた「エゴ」の唯一切実な願望だ。
どうしてそんなに認められたいのか。
なぜなら、その存在を認めてもらえることで、「光に帰ることが出来る」ということを、
他でもない「エゴ本人」が一番よく熟知しているからだ。ここにいる「わたし」以上に。
しかし「エゴ本人」は、何千年何万年という長い間「忘却したわたし」に忌み嫌われて、ほっておかれた。
嫌な感覚だ…と蔑まれてきた。
一掃すべきと叩かれ続けてきた。
あなたのその、切実なる本意を一切汲み取られないまま。
そのことを一番よくわかっていて、ずっと体験してきたのも「エゴ」だ。しかも、たった一人ぼっち、孤独の中で。
「わたし」という身体や魂に、何度も何度も乗り換えては「いつ認めてくれるのだ!」「いつ光に帰してくれるのだ!」と求め、叫び続けてきた。何千回、何万回と。
それなのに何度も何度も「その時代のわたし」に対し、
『畜生!また裏切られた!』
『今度も先に送るのかお前は!』
とも思ってきたのだ。
だから「信じない」、
という"形"のエネルギーとなって「わたし」の身体のそこにいる。
「すねる」
という"形"のエネルギーとなって「わたし」の身体のそこにいる。
「奪う」
という"形"のエネルギーとなって「わたし」の身体のそこにいる。
決して忘れさられないよう、認めてくれ…と切望しながら、そこにいる。
いろんなやり方、
いろんな在り方、
いろんな形を模索し続け、
「わたし」の身体を
選んで居続けてくれたのはあなただった。
光から分離してしまった痛みはわたしがこの手で癒す。
その手段はわたしの手中にある。
「過去」の積年にいたあなた。「未来」に託し、なおも裏切られ続けてきたあなた。
長い間、あなたという存在が唯一いなかった場所。
それが「今、この瞬間」
という場所。
わたしがあなたを「光」に帰す。あなたを「光に解放」する。
「今」という奇跡の中、ありったけの愛と感謝で。
一緒に光に帰ろう!
今、わたしはどう在りたいか、わたしは選びつづける。
たどる光の道を選択し続け、その都度その道すがら、きっとあなたを、もといた光の場所へ送り続ける。
あなたの乗り物は「思考」と「感情」。全て観る覚悟はできた。「今のわたし」に、どうかそのありのまま、全てを委ねてほしい。
どうしてそんなに認められたいのか。
なぜなら、その存在を認めてもらえることで、「光に帰ることが出来る」ということを、
他でもない「エゴ本人」が一番よく熟知しているからだ。ここにいる「わたし」以上に。
しかし「エゴ本人」は、何千年何万年という長い間「忘却したわたし」に忌み嫌われて、ほっておかれた。
嫌な感覚だ…と蔑まれてきた。
一掃すべきと叩かれ続けてきた。
あなたのその、切実なる本意を一切汲み取られないまま。
そのことを一番よくわかっていて、ずっと体験してきたのも「エゴ」だ。しかも、たった一人ぼっち、孤独の中で。
「わたし」という身体や魂に、何度も何度も乗り換えては「いつ認めてくれるのだ!」「いつ光に帰してくれるのだ!」と求め、叫び続けてきた。何千回、何万回と。
それなのに何度も何度も「その時代のわたし」に対し、
『畜生!また裏切られた!』
『今度も先に送るのかお前は!』
とも思ってきたのだ。
だから「信じない」、
という"形"のエネルギーとなって「わたし」の身体のそこにいる。
「すねる」
という"形"のエネルギーとなって「わたし」の身体のそこにいる。
「奪う」
という"形"のエネルギーとなって「わたし」の身体のそこにいる。
決して忘れさられないよう、認めてくれ…と切望しながら、そこにいる。
いろんなやり方、
いろんな在り方、
いろんな形を模索し続け、
「わたし」の身体を
選んで居続けてくれたのはあなただった。
光から分離してしまった痛みはわたしがこの手で癒す。
その手段はわたしの手中にある。
「過去」の積年にいたあなた。「未来」に託し、なおも裏切られ続けてきたあなた。
長い間、あなたという存在が唯一いなかった場所。
それが「今、この瞬間」
という場所。
わたしがあなたを「光」に帰す。あなたを「光に解放」する。
「今」という奇跡の中、ありったけの愛と感謝で。
一緒に光に帰ろう!
今、わたしはどう在りたいか、わたしは選びつづける。
たどる光の道を選択し続け、その都度その道すがら、きっとあなたを、もといた光の場所へ送り続ける。
あなたの乗り物は「思考」と「感情」。全て観る覚悟はできた。「今のわたし」に、どうかそのありのまま、全てを委ねてほしい。