1週間前にたまたま偶然発見した記事

松木の葉っぱが体にいいんだとか⁉️驚き

ほんとかよ‼️って思いますよね

でも、いろんな所で色んな人が書いてます

Facebookでは、松の葉っぱを食べる会!

なるものもあるほど笑笑

登録してる数も42,000人とびっくりする位多いです

つい2、 3日前は、朝のテレビ番組で、もっくんが

松葉ジュース飲んでますと

カミングアウトしてましたびっくり


これは⬆️⬆️

取って来た松の葉っぱを洗って乾燥させてます

こっちは⬇️⬇️

たまたま、髪を切りに来た義理の姉に、松の葉っぱを渡しました

義理の姉も、朝のテレビで

もっくんのテレビを見たそうで、

すごく興味が湧いて

早速、息子に頼んで、インターネットで

松の葉の粉末を注文したそうです(爆笑)😅

⬆️⬆️この写真は、義理の姉が家に帰って

早速、松の葉ジュースをつくりました‼️と

報告で送ってくれた写真です


アクセントは、松の葉ジュースには

それほど関心がなく、また疑問に思う点もあり

作って飲もうと言う気が今のところありません

松の葉健康法で本も出ています




これです‼️

でもですね、この本の著者さまは

81才でご逝去なさってます。

本当に松葉がそんなに良いのならば

120才手前まで生きていて欲しい物です。

かの三木一郎医師は95才で亡くなってます

食の養生は奥さんが普通の家庭では作ってるので

三木一郎医師は奥さんの作ったものを食べていたでしょう。

奥さんは夫がいくら、

あれはダメ。これはダメと言っても

結局作るのは奥さんです(笑)

奥さんの考えるように、食材は工夫されて

調味料も工夫されて…それで

95歳で亡くなってます

三木一郎先生が自分で食事を作っていたなら

こだわった食事で

もっと長生きされたかもしれません。

ここで

松葉に戻りますが

の葉っぱをジューサーにかけてジュースを作るのは

男の人でも簡単にできます

だから、81歳で亡くなったと言う事は

松の葉っぱは、まぁ

そこまではないのかなと…アクセントは

判断しております。

大変失礼とは思いますが…


でもここで、松葉ジュースを作った後の松葉❗️

それで松葉還元水なる物を作ると言う別の話があります。

こっちの、松葉の残骸を使った還元水と言うものは

酸化還元電位を図る計測機があって

その計測機で測ると値が

マイナス432となるんです♡ラブ

アクセントは

過去のブログで、酸化還元位のことに触れた記事があります

その時は、生のとうもろこしの

酸化還元電位がマイナス380位‼️あって

若返りの食べ物ですよ❗️って

紹介したんです爆笑

Yahoo!ブログで森のミネラルを作った

中山栄喜先生がいろんな食材や料理の

還元力をたくさん紹介していたんです。

1つ例えるなら

今日作ったカレーがプラス250と計測器で

出ても、翌日温めてたらプラス350に

なっていたりするんです。

1日経って、また、🔥火を入れると

その分、酸化するんですねびっくり

と、いうことで

松葉ジュースを作った後の残骸で

還元水を作ったらマイナス432と言う数値が出たと言うのは【とんでもない位凄い事‼️】なんです。


機械で測ったデータは嘘をつきませんからね

(笑)😅

だから、3日前に、松の葉っぱを直接入れて

還元水を作っておりますおねがい

昨日初めて飲んだんですが

まあまあの味でした。

とても変な味で飲めないと言う事はありません

松🌲の葉っぱの独特の匂いが少し🤏だけ

してますが還元力の高さを考えると

なんて事はありません。


どなたか?

松葉ジュース🍹⁉️

作って飲んでる方が

いらっしゃいますかね⁉️






明日の予定だったけど…急遽、北九州の孫の運動会に出席❗️が決まり1日繰り上げてご来店

笑笑

忙しいね〜

ちょっとだけ🤏

カットしますね〜おねがいと言って

カッコよくキレイにカットラブラブラブ

歳がわからんバイグラサングラサン

こちらの方…80代前半



こっちの方も

人生の先輩……お姉さんです♡



他の人がしていないレッド🔴

ヘアーマニキュアですよ〜


あー今日も良い仕事しました

٩(๑❛ᴗ❛๑)۶



こちらの方は超〜が付く常連さまおねがい


お家でMを使って頂けたら良いのだけれど…

もっとキレイになるし…

ピンピン跳ねる髪も

なくなるんだけどなぁ〜 口笛 口笛


ま、ザッと記事にしましたぁ〜爆笑爆笑爆笑

🟥

109

あちこちから驚きの声があがります。わたしも驚きました。大腸癌の人でも肺

理、とても生還はむずかしいと言われた人でも、七〇〜六〇まで下げれば見

と言われていたのです。それが五〇以下まで下げよというのですから大変です。

「⋯⋯⋯やります。やってみます。ここまで来たのですから、ベッドで死を待つより、進んで生

きる努力をしてみようと思います。大変でもやります」

次兄は決意表明をしました。

「やりますか? あなたはほかのことを考えずひたすら血糖値を下げる食事やって下さい。ぁ

なたはそれをやるだけ。後はわたしがやります。治るためにしっかりやりましょう」

「有難うございます」

「まだお礼を言うのは早すぎますがな。治ってから言いなはれ」

「有難うございます」と言いました。K婦長さんも、「これからが大変で

うほうが楽やったと思う時いくらでもでてきますよ。その時は今日のこと思

ね。生きる方へ歩きだしちゃったんだから、今更死ぬ方へは戻れないんですよ。前に行くだけ

なんだから。とはいっても血糖値五〇以下の食事いうたら、とてもここのメニュー(付属資

料)も参考になりませんよ。ひたすら「青菜のジュース」一本槍ですね。これゃ奥さん、大変

ですよ。イライラして八ツ当りしたり、急にふさぎこんだり⋯⋯。その時はいつでも相談して

🟥

110

下さいね。それからせっせと歩く。一緒に歩いたりして下さい。自分のベースでいいからズル

しないで必ず一万歩以上歩くことですね。あしたはここ休みだから天王寺さんあたり歩いたら

い。そして水曜日、点滴と注射。せっかく来たんやから木曜日は奈良あた

たら。帰りに鶴橋の駅のマーケット見てこられたらよろしい。まず東京にはお

迷路みたいで、どんな店もありますの

・金曜日、点滴と検診、イタイ注射。そして土曜日日先生。ここでこれか

期で通院したらよろしいか判ると思います。土曜日までの間に奥さん、しっか

事法おぼえて下さい。わたし、しっかり教えますから」

M先生は次つぎと患者さんと対応しています。

ああ、違反しましたね。何、食べた? ごはん? 数値があがってるがな

や。わたしがいいというまで違反したら元に戻ってしまう。生命縮めますが

やな」

・調子がよかったもんで⋯⋯⋯、つい一杯ぐらいはええやろ思いま

「自分で決めてはいけませんがな。よくなったら食べてもええとわたしが言いますがな。これ

やったら注射効きませんがな。困った人やなあ、Kちゃん、ちゃんときびしく言うておいて下

さい。今度違反したら生命落します」





🟥

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叱られてしょんぼりする肺癌のSさん(五六歳)。賞められてイキイキとした笑顔を見

アトピー性皮膚炎の丁子さん(二一歳)。

患者はみんな顔見知り、だれがどういう病気かを知っています。叱られる、賞められるみん

な自分のことなのです。

から歩いて二分ほどのところにホテルがあります。小さなビジネスホテ

ル的で設備も充実しています。遠方から来る一泊どまりの患者さんには

曜日はM先生に診て頂いて、土曜日には日先生に今後の治療日程などを

方法をとっています。


横綱級とどう取り組むか

この日、兄夫婦はこのホテルに泊りました。土曜日まで五泊六日とったのです。

体力的にとうかの心配もありました。きょう診て頂いて中一日置いて水曜日に様子を見る。

午前中約一時間の滴(体力をつけ、活力を得るためのもので、病状によってその種類・量が違います。

遠方からの人にはこの方法は効果的です。長旅の疲労をまずこれで癒すわけです)。そして痛い注射による血管の増強と癌に対する攻撃効果。そして木曜日休みで金曜日。ここでほぼ病状と治療の効果の


🟥

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形がハッキリします。土曜日に「週一回、何分にもトリブルム級の病状ですから毎週一回、

金・土という予定でしばらく通院してみたら。本人一人で大丈夫でしょう。金曜日まで待てな

い病状の変化がでたらすぐいらっしゃい」ということに⋯⋯。

これは後目の話です。嫂さんは民婦長さんに教えられた近くの市場に青菜類、バター、塩

べに花油の買い出しに行きました。

「どうだね。大変だけどまたどれくらい通院するのか判んないけれどやってみるかね」

とわたしは兄に聞きました。おだやかで大きな声を出したことがない兄は、

、腹をくくったよ。病院のベッドで一人になって天井ながめながら寝ていて

ああまた一日減った⋯⋯。あそこの病室が一人減った、こっちもって⋯⋯。減

じゃなくて死んでいくんだよね。自分もその順番を待っているのだと思うと落ち込んでしまう。

死ぬためにベッドにいるんだな、なんて考えるんだよ。だって歩いては駄目、安静にしてなけ

ればいけない。患者の自分としては何もすることがない。全部お医者さんや看護婦さんまかせ。

頭が痛い、腰が痛いといえばそのつど、それに適応することがやってもらえるわけだよね。生

きているというより生かしてもらってるのは病院のお蔭って感じ。安心な反面、自分の無力感

だけが大きくなってくるんだよ。鏡を見ると日一日病人顔になってくる。立派な正真正銘の病

これが。人間、自分がやる、自分でやる事がなくなってくると生きているのもどう


🟥

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でもいいやという気持ちになってくる。正直言ってこっちに来るんだって、癌も癌、横綱級の

痛だとは思っていたが、やっぱり猫か、もうだめだという気持ちでヨレヨレだったね。でも大

勢の患者さんの中で自分のレントゲン写真見ていて不思議な気持ちになった。誰の写真なんだ、

でつかい癌ができていて大変だなあ。不思議発見だね。深刻じゃないんだ。M先生があなたは

血糖値をそれだけをひたすらに下げなさい、それが仕事だと言われた。⋯⋯患者にもやる仕事

がある。これ聞いた時、そうか仕事か、余計なこと考えずに血糖値を下げる、それも前人未到

の六〇〜五〇以下とすればすごい大仕事だと思った。そんな大仕事をまかされて降りることは

ない。そう思ったら気持ちがスーッと楽になった。M先生はさすがに「わたしが治します」と

は言わなかったね。それくらい大変に第一級の病気持ちなんだ。先生もそれに取り組もうと言

われたんだから引き下がるわけにはいかないよ。ちょっと前までは死ぬために一日でもその日

を延ばそうと思っていたマイナスの生き方だったが、今は違うね。生きるために、生きていく

ための毎日プラスの考え方だと思う。始まったばかりだから先の大変さがピンとはこ

ない。血糖値限りなく五〇に近い食事の毎日なんて想像もつかない。苦しいだろうな。イライ

ラするだろうなってことだけは判るけどね、でも、やってみる⋯⋯」

「M先生も言ってたけどね。「あんなでっかい肝臓癌のかたまり初めてだって。まったく見通

しはなく、やってみなくちゃ判んない。お兄さんがどこまでガマン強く、また家族が支えてい


🟥

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けるか、その力で医者として持てる力を発揮するだけよ」と言っとったよ。まあ横綱貴乃花級、

最強の癌だろうな。その最強癌の一人天下だった。みんな逃げ出して向うところ敵なし。それ

を迎え撃とうというんだから癌さんも驚くぜきっと。まあ元気が出たのと、痛に負けない対抗

心がでてきたのでうれしい。安心して帰れるよ」

と言ってわたしは大阪をあとにしました。


重い患者さんの星となる


翌日は天王寺周辺を珍しそうに歩いたそうです。

そして水曜日。

この日は大荒れの天気で、大雪になりました。

交通機関はストップ⋯⋯。

M先生も常連の患者さんも来られなかったのです。その中で歩いて二分の兄夫婦と天変地異が起ろうともぜった

前八時すぎには療所に来ているというK婦長さんの三人だけがいました。

そこへ早朝フェリーで大阪港に着いた高知からの老夫婦が診療所にやって来ました。わたしが紹介した

大腸癌の患者のSさんでした。

この日しか日程がとれないというのでやって来た方で、この日のうちに帰らなければならない。

「また日をあらためて来ます⋯⋯」

🟥

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とガッカリしてたそうです。

も、収穫があったと明るくなって帰ったそうで

め兄をM先生と間違えたそうです。患者の一人、それも肝臓癌の重症な人と

たのです。

「いや、わたしは月曜に来ましてね。横綱級の癌だそうです。あなたは? そう治るかどうか

判りませんが、治るための努力は何んでもしようと思っています。お見受けする限りでは、あ

なたは前頭級ではないでしょうか。横綱級でも闘う気になっているのですからまだまだ⋯⋯あ

と一年と言われたのですか? わたしは今年の桜は見られないだろうと思っていました。今は

絶対に見る、見るぞと思っています。あなたなど時間がたっぷりあるんですから治りますよ。

治して頂けますよ。そのためにはあなたも努力しなくてはいけませんよ」

どうでしょう。まだ二日しかたっていないというのにこの自信はどこから出てきたのでしょ

う。高知のご夫婦は「あと一年、時間がない」と思って暗くつらい気持ちで来た大阪。それに

肝心の先生はいない。途方に暮れたことでしょう。それを救ったのが兄でした。

「わたしたちより後がない人がこんなに元気でいる。こんなに元気になれる、元気にしてもら

える所だということが解っただけでも、今日来た甲斐がありました。出直して来ます」


月曜日に診て頂いて診察と検査のあれこれ。火曜日はとにかく指示に従って大阪市内を歩くこと。

水曜日は治療方法についての説明を受ける。

木曜日は歩く。金曜日は重ねて食事などを含めて細かい指示を受ける。土曜日はH先生からこれからの通院日程などを教えてもらう。

そんなプランをたてて待ちました。

当日は次兄と嫂が東京から。わたしは京都のKBSラジオの生放送を終えてから診療所へ出向きました。


カルチャーショック


1月20日、次兄と家族にとって新しい歴史がはじまります。次兄の息子は「ボクは行きません。信頼してますから⋯⋯。よろしくお願いします」と伝言がありました。

いくら叔父のわたしが三木先生を尊敬し、本も書いているといっても簡単に「お願いします」とはなりません。「樹の会」という中継ぎの仕事をしていてつくづく思います。阿部先生が治ってたくさんの方が診て頂いてよくなっているのだから――と周囲が勧めてもなかなか「ご紹介下さい」とはならないものなのです。「三木先生に診て頂きたい」という

お便りを頂いても、

「……こういう治療法です。こういう食事です。あらかじめ心得て診療をお申し込み下さい」

(別資料参考)とお手紙を出しますと、まず十通中八・九通は返事がきません。頼りたいけれど、

🟥p105の3行目 そこまでの決断、それに大阪くんだりまで、それも小さな診療所、ベッドもない病室もないと

ころに行くのはとビビッてしまうのが本当です。

わたしを信じて「行ってみます、よろしくお願いします」と見ず知らずの方からお返事を頂

えにし

くと、「この方とは縁があった。中継ぎ役をやっていてよかった」と思うのです。

はよろよろしながらも嫂に付き添われて大阪にやってきました。次兄は暮れ

から診療所は慣れています。でも嫂は初めてなのでカルチャーショックを

な病院ってあるのかしら⋯⋯。これが病院なら今までの大学病院は何んだ

驚きの連続がよく判ります。

午後二時すぎ、わたしも診療所に顔を出しました。

階で点滴やってますよ。もうすぐおわって降りてきたら、M先生がCD写真を見ながらお話をしてくれますからね」

とはK婦長さん。


🟥

106

ホンマ生きたい?

「ハイ、お待たせしました。これが写真ね。ハイ、あなた(三番目に診察してもらうKさん、女

性)、これをそこにはめて、違う、反対やがな。そりゃ逆さま、右と左とそうそう。ウー

ン、こりゃよう撮れておるわ。見事な技術やね。これはハッキリしとる。すばらしい写真やで。

ええと、ああ、こらあかんわ。あなた、判りますやろ。みなさんも判りますね。こりゃ大きい。

センチ以上、お日さんみたいな球や。大球や

写真はまさに次兄の肝臓癌の大アップです。

「先生、こない大きなもの、これが癌でっしゃろか」

「ホンマ、大きいなあ」

「これやったらもうすぐ死にますのと違やいますか?」

周囲にいる順番待ちの患者さんがみんなして見て口々に感想を言ってます。

覚悟を決めている次兄。びっくりしている嫂。そりゃそうです。本人はもとより、なるべく

だったら第三者に知られたくないものです。ここにはそんなプライバシーはありません。

「せんせ、これ何んですか。この粒ツブ?」

「ああ、それも癌や。こまいのようけありますやろ。小豆大、大豆大、ゴマ粒大、まあぎょう


🟥

107

さんありますなあ。こりゃもうおわりや」

M先生も他人事のように言っています。

「ホンマやな。これが癌ですか。こない大きいの突然できまっしゃろか?」

「突然はでけへん。でも鵬風と同じや。低気圧が急に発達して風速を増しだしたら止められへ

んのと同じや。こりゃ止められへんな」

「治りませんか?」

「むずかしいなあ。ところで高橋さん。フン、フン、ホウ(他

の写真も何枚か張り替える)、あなたどうします、もっと生きて

いたいですか?」

「⋯⋯⋯⋯⋯?」

「ここらでおわりでのうて、もう少し生命があった方がよろし

いと思ってますか?」

「⋯⋯ハイ。そりゃ。生きたいです」

「そりゃ先生、当りまえですがな。わたしらだってみんな生き

たい。いつかあれもこれも食べてみたい。生きていてよかった

と思いたいからここに来てるんでっせ。なあ」


🟥

108

ホンマや。だれかて先生かて生きていたいと思うんと違い

「わたしは生きていたいと思わなくても生きておるんよ。自然なんよ。病気せんようにしてき

いで。いつも言うとるように身体に合った食べもの食べてきたから生き

気がついたら死んどるというのが正しい生き方や

りゃ判りますけど、この人どないなんです。生きたい言うとります

「何んとかなりませんの?」

とにかくにぎやかです。次兄そっちのけで外野席が自分のことのようにやっています。

「あなた、ホンマに生きたいですか?」

「ハイ、生きていたい、生きたいと思います。生きられるんだったら何んでもします」

「何もせえへんでええのや。やることは一つだけや。あんたのすることは唯一つや。それさえ

すればええ」

「何でしょうか。一つとは⋯⋯」

「⋯⋯⋯・そりゃ血糖値下げることや。わたしの治療法のカギを握ってるのは血糖値や。普通やっ

たら七〇以下まで患者さんが下げてくれればええんやけど、あなたのは大火球、火の球や。こ

りやちっとやそっとでは退治でけへん。血糖値限りなく⋯⋯五〇以下や」

「ええー五〇以下でっか?」



朝からお客様を2人、終えて〜

ま、暇なんでゆっくり飯でも食うか⁉️と

食べ終わったころ…

いきなり来客口笛

見たこと無い方が…

なんと‼️あの有名なアルマダの社長が直々に

ご来訪!びっくり


いやいやぁ〜嬉しいやら

ビックリ🫢やらぁ〜‼️

記念にパシャリラブ


これからもどうぞ宜しくお願い致します

♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪

「ウン、造影剤注入というのは癌になっていないけれどこのままだと癌になってしまう。その拡がりを防ぐために周囲を囲む作業だって。それは100%近く成功したと先生は言ってたよ」

「それならいいんだけど⋯⋯疲れちゃった。本格的な病人だよ。天井見ながら考えてたんだけど来年の

桜は見られるかな、駄目かも知れないな、と思ったら何んとしても桜の時ていたいなあと思っちゃって⋯」

「何を気の弱いことを⋯⋯。まずはひと安心、今日はゆっくり休んでよ、お父さん」と息子は言いました。

バクダン抱えて大阪へ

帰りに三人で相談しました。

「お医者さんはああ言ってくれた。三つの選択肢を考えてみたらと言うが、どういうことになるかな。嫂さんとキミが決定権持っているのだから。お父さんをどうするか⋯⋯」

息子の彼はキッパリと言いました。

「お母さん、抗癌剤を続けても決して元気になることはないわけでしょう。半年が一年に生き延びるかも知れない。でも治るということではまずないと思う。副作用で髪の毛が抜けたり癌細胞もやっつけるが身体の方も大変だと聞きます。だとしたら抗癌剤はやめましょう。

叔父さんのいう大阪の先生に診て頂き、可能性を信じたらどうでしょう」

病院の治療法とちがってるが、それをやるのも選択肢の一つだと先生も言われたし、お父さんにはもう少し長く生きていて欲しいのよね」と嫂。

「⋯⋯それじゃ叔父さん。大阪の先生に連絡取って頂けますか?」


「M診療所でも一〇〇パーセント治るかどうかは判らない。でも抗癌剤注入で今回はうまく抑える事が出来ても二回目以後できるかどうかむずかしいと先生も言っていたよね。大阪は免疫療法といって自分の病気は自分の力で治すというのが原則なんだ。ボクも今日の写真を見るまで甘く考えていた。でもあんなデッカイ癌球なんて! こりゃ無理だと思うんだよね。自信なくなっちゃったよ。バクダン抱えて果して大阪まで行ける体力があるのかどうか、体力が

途中でギブ・アップなんてことになったら、動かさない方がよかったって事になりかねない⋯⋯」

医療は確実前進中

「でも叔父さん。やってみて下さい。現在かかっている病院から他に移すということだけでも

とてもむずかしいと聞きます。でもここは患者にとってよりよい方法と考えたら他院でも良いと言ってくれてました」

「そうなんだよね。NHKのテレビの『ガン治療最前線』という特集でも、それがむずかしい問題といってたもんね。ここはそういう点、開かれた病院だよ」

結論は大阪のM先生に診て頂き、その治療に委ねようということになりました。

とはいうものの12センチ×10センチです。

巨大な癌細胞のかたまり、その他無数の手下⋯⋯⋯。如何に三木先生といえども無理かもしれない。

せっかくの決断であっても任されたわたしは憂鬱になりました。

「あんなデッカイ癌球いきなり見せられてキモをつぶしたなぁ。どうすりやいいんだ。」と判断に困りました。一応三木先生にことの有様を伝え、「わたしには無理だよ」と言われたら考えればいいか、ということになりました。

1月8日、電話で三木先生に相談しました。

「ああ、可能性ありますよ。そりゃむずかしいやろけど、本人が歩いて来る力がまだ今のところやったらあるやろから、来たらええがな」

いつもの通りです。ホッとしました。

望みあり。

となれば次兄には癌、それも横綱級の癌であり、生半可な気持ちや覚悟では途中で挫けてしまう。

P102

むしろそうなったらかえって仇となってしまうかも知れない。

嫂に伝えました。親・子で相談してその方法をとる旨、担当のM医師には伝えました。

「そうですか。免疫療法の方法とりますか。CTの写真や資料、それに現在までの病状、治療データなど必要なものは揃えます。またそちらでの治療の経過などお知らせ頂ければ勉強になります」とのお話でした。

わたしはホッとしました。医療は間違いなく前に進んでいる。どんな形で他の病院へ移すことを伝えたらいいか、どうすれば感情を悪くしないで説明できるか、悩んでいたのがバカみたいでした。

癌という大敵を治す、その可能性があるならば、

そして患者や家族がそれを選択したのならば、その道へ向かわせようという開かれたこの病院のあり方に深く感謝しました。

次兄には息子が「癌であること。それもかなり進んでいる。大阪へ行って診てもらう。」ことを伝えました。次兄は、「やっぱり―そうだと思っていたけど、モヤモヤが消えた。覚悟ができた。死ぬための日にちを数えるより、生きるための日を増やす方の道を選ぶよ。大阪に行くよ」と淡々としていたとのことです。ただし大きな丸球の癌であることは伝えていません。


103

2 生きることは大仕事


治療開始へ

退院日は1月十18日、CT写真など資料を頂けるのがこの日。それを待って1月20日に大阪行きに決定しました。

三木診療所には病室がありません。泊まれるベッドはありません。宿をとってそこから通院するかたちになります。

何が起きるか判りませんので、一応一週間滞在することにしました。

診療所は月・水・金・土の4日間です。

火・木・日はお休みです。

月曜日はM先生お一人。

水曜日は三木先生とI先生、金曜日は三木先生とA先生、土曜日はH先生一人です。

月曜日は新患の方はふつう避けます。

毎日数十人の患者さんが見えます。月曜日はM先生お一人なのでレギュラーの患者さんにしています。但し重い病気で早い診断が必要な場合、月曜日でも受け付けてくれます。この特例を次兄はとって頂けました。

宿泊は診療所から歩いて2分のホテルです。泊りがけの患者さんや家族の方がたくさん利用している気の利いたビジネスホテルです。


2日前の日曜日に兄の家の稲刈りを

手伝って来ましたウインク




3年ぶり⁉️の稲刈りは

さすがに足腰に来ましたね〜

火曜日の今日も軽い筋肉痛です笑

片道1時間40分かけて10時に到着して

夕方の5時過ぎまで飯を食べた15分と

4時ごろに休憩した10分以外ノンストップで

駆け回って…歩く歩く

雨が降りそうなので頑張りましたよ

運良く雨は降らずに済みましたけど…

良い運動になりました爆笑



今日は初めてお客様がご来店❗️爆笑

うれぴ〜ラブ


なんでも、むーさんのblogを読んで

アクセント美容室を知って…のご来店びっくり

より一層力が入りますねプンプン


むーさんとは【むー塩】の生みの親

ゴーリキマリンビレッジの

むーさんの事です音譜

ビフォーは


セルフヘナで脱洗剤もしてあって😅

髪の毛がバサバサです音譜

脱洗剤も色んな方に浸透してますね〜


セルフヘナを恐らく定期的にされてると思うので

カス(残骸)とか残っています♪

カットして

それを落とすシャンプーを2度したら❗️

かなり黒い汁…が出て来ました口笛

仕上がりはサラサラ


⬆️⬆️は残骸を落とすシャンプーの前だから

サラサラ感がまだ解りませんけど…

この後、

メッチャ凄くキレイになりましたニヤリ


ご自宅では脱洗剤で良いのですが

ご来店された時とかは

シャンプーさせて下さいね

凄く綺麗になりますのでニヤリ

●つぐち様ありがとうございましたおねがい