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あちこちから驚きの声があがります。わたしも驚きました。大腸癌の人でも肺
理、とても生還はむずかしいと言われた人でも、七〇〜六〇まで下げれば見
と言われていたのです。それが五〇以下まで下げよというのですから大変です。
「⋯⋯⋯やります。やってみます。ここまで来たのですから、ベッドで死を待つより、進んで生
きる努力をしてみようと思います。大変でもやります」
次兄は決意表明をしました。
「やりますか? あなたはほかのことを考えずひたすら血糖値を下げる食事やって下さい。ぁ
なたはそれをやるだけ。後はわたしがやります。治るためにしっかりやりましょう」
「有難うございます」
「まだお礼を言うのは早すぎますがな。治ってから言いなはれ」
「有難うございます」と言いました。K婦長さんも、「これからが大変で
うほうが楽やったと思う時いくらでもでてきますよ。その時は今日のこと思
ね。生きる方へ歩きだしちゃったんだから、今更死ぬ方へは戻れないんですよ。前に行くだけ
なんだから。とはいっても血糖値五〇以下の食事いうたら、とてもここのメニュー(付属資
料)も参考になりませんよ。ひたすら「青菜のジュース」一本槍ですね。これゃ奥さん、大変
ですよ。イライラして八ツ当りしたり、急にふさぎこんだり⋯⋯。その時はいつでも相談して
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下さいね。それからせっせと歩く。一緒に歩いたりして下さい。自分のベースでいいからズル
しないで必ず一万歩以上歩くことですね。あしたはここ休みだから天王寺さんあたり歩いたら
い。そして水曜日、点滴と注射。せっかく来たんやから木曜日は奈良あた
たら。帰りに鶴橋の駅のマーケット見てこられたらよろしい。まず東京にはお
迷路みたいで、どんな店もありますの
・金曜日、点滴と検診、イタイ注射。そして土曜日日先生。ここでこれか
期で通院したらよろしいか判ると思います。土曜日までの間に奥さん、しっか
事法おぼえて下さい。わたし、しっかり教えますから」
M先生は次つぎと患者さんと対応しています。
ああ、違反しましたね。何、食べた? ごはん? 数値があがってるがな
や。わたしがいいというまで違反したら元に戻ってしまう。生命縮めますが
やな」
・調子がよかったもんで⋯⋯⋯、つい一杯ぐらいはええやろ思いま
「自分で決めてはいけませんがな。よくなったら食べてもええとわたしが言いますがな。これ
やったら注射効きませんがな。困った人やなあ、Kちゃん、ちゃんときびしく言うておいて下
さい。今度違反したら生命落します」
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叱られてしょんぼりする肺癌のSさん(五六歳)。賞められてイキイキとした笑顔を見
アトピー性皮膚炎の丁子さん(二一歳)。
患者はみんな顔見知り、だれがどういう病気かを知っています。叱られる、賞められるみん
な自分のことなのです。
から歩いて二分ほどのところにホテルがあります。小さなビジネスホテ
ル的で設備も充実しています。遠方から来る一泊どまりの患者さんには
曜日はM先生に診て頂いて、土曜日には日先生に今後の治療日程などを
方法をとっています。
横綱級とどう取り組むか
この日、兄夫婦はこのホテルに泊りました。土曜日まで五泊六日とったのです。
体力的にとうかの心配もありました。きょう診て頂いて中一日置いて水曜日に様子を見る。
午前中約一時間の滴(体力をつけ、活力を得るためのもので、病状によってその種類・量が違います。
遠方からの人にはこの方法は効果的です。長旅の疲労をまずこれで癒すわけです)。そして痛い注射による血管の増強と癌に対する攻撃効果。そして木曜日休みで金曜日。ここでほぼ病状と治療の効果の
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形がハッキリします。土曜日に「週一回、何分にもトリブルム級の病状ですから毎週一回、
金・土という予定でしばらく通院してみたら。本人一人で大丈夫でしょう。金曜日まで待てな
い病状の変化がでたらすぐいらっしゃい」ということに⋯⋯。
これは後目の話です。嫂さんは民婦長さんに教えられた近くの市場に青菜類、バター、塩
べに花油の買い出しに行きました。
「どうだね。大変だけどまたどれくらい通院するのか判んないけれどやってみるかね」
とわたしは兄に聞きました。おだやかで大きな声を出したことがない兄は、
、腹をくくったよ。病院のベッドで一人になって天井ながめながら寝ていて
ああまた一日減った⋯⋯。あそこの病室が一人減った、こっちもって⋯⋯。減
じゃなくて死んでいくんだよね。自分もその順番を待っているのだと思うと落ち込んでしまう。
死ぬためにベッドにいるんだな、なんて考えるんだよ。だって歩いては駄目、安静にしてなけ
ればいけない。患者の自分としては何もすることがない。全部お医者さんや看護婦さんまかせ。
頭が痛い、腰が痛いといえばそのつど、それに適応することがやってもらえるわけだよね。生
きているというより生かしてもらってるのは病院のお蔭って感じ。安心な反面、自分の無力感
だけが大きくなってくるんだよ。鏡を見ると日一日病人顔になってくる。立派な正真正銘の病
これが。人間、自分がやる、自分でやる事がなくなってくると生きているのもどう
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でもいいやという気持ちになってくる。正直言ってこっちに来るんだって、癌も癌、横綱級の
痛だとは思っていたが、やっぱり猫か、もうだめだという気持ちでヨレヨレだったね。でも大
勢の患者さんの中で自分のレントゲン写真見ていて不思議な気持ちになった。誰の写真なんだ、
でつかい癌ができていて大変だなあ。不思議発見だね。深刻じゃないんだ。M先生があなたは
血糖値をそれだけをひたすらに下げなさい、それが仕事だと言われた。⋯⋯患者にもやる仕事
がある。これ聞いた時、そうか仕事か、余計なこと考えずに血糖値を下げる、それも前人未到
の六〇〜五〇以下とすればすごい大仕事だと思った。そんな大仕事をまかされて降りることは
ない。そう思ったら気持ちがスーッと楽になった。M先生はさすがに「わたしが治します」と
は言わなかったね。それくらい大変に第一級の病気持ちなんだ。先生もそれに取り組もうと言
われたんだから引き下がるわけにはいかないよ。ちょっと前までは死ぬために一日でもその日
を延ばそうと思っていたマイナスの生き方だったが、今は違うね。生きるために、生きていく
ための毎日プラスの考え方だと思う。始まったばかりだから先の大変さがピンとはこ
ない。血糖値限りなく五〇に近い食事の毎日なんて想像もつかない。苦しいだろうな。イライ
ラするだろうなってことだけは判るけどね、でも、やってみる⋯⋯」
「M先生も言ってたけどね。「あんなでっかい肝臓癌のかたまり初めてだって。まったく見通
しはなく、やってみなくちゃ判んない。お兄さんがどこまでガマン強く、また家族が支えてい
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けるか、その力で医者として持てる力を発揮するだけよ」と言っとったよ。まあ横綱貴乃花級、
最強の癌だろうな。その最強癌の一人天下だった。みんな逃げ出して向うところ敵なし。それ
を迎え撃とうというんだから癌さんも驚くぜきっと。まあ元気が出たのと、痛に負けない対抗
心がでてきたのでうれしい。安心して帰れるよ」
と言ってわたしは大阪をあとにしました。
重い患者さんの星となる
翌日は天王寺周辺を珍しそうに歩いたそうです。
そして水曜日。
この日は大荒れの天気で、大雪になりました。
交通機関はストップ⋯⋯。
M先生も常連の患者さんも来られなかったのです。その中で歩いて二分の兄夫婦と天変地異が起ろうともぜった
前八時すぎには療所に来ているというK婦長さんの三人だけがいました。
そこへ早朝フェリーで大阪港に着いた高知からの老夫婦が診療所にやって来ました。わたしが紹介した
大腸癌の患者のSさんでした。
この日しか日程がとれないというのでやって来た方で、この日のうちに帰らなければならない。
「また日をあらためて来ます⋯⋯」
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とガッカリしてたそうです。
も、収穫があったと明るくなって帰ったそうで
め兄をM先生と間違えたそうです。患者の一人、それも肝臓癌の重症な人と
たのです。
「いや、わたしは月曜に来ましてね。横綱級の癌だそうです。あなたは? そう治るかどうか
判りませんが、治るための努力は何んでもしようと思っています。お見受けする限りでは、あ
なたは前頭級ではないでしょうか。横綱級でも闘う気になっているのですからまだまだ⋯⋯あ
と一年と言われたのですか? わたしは今年の桜は見られないだろうと思っていました。今は
絶対に見る、見るぞと思っています。あなたなど時間がたっぷりあるんですから治りますよ。
治して頂けますよ。そのためにはあなたも努力しなくてはいけませんよ」
どうでしょう。まだ二日しかたっていないというのにこの自信はどこから出てきたのでしょ
う。高知のご夫婦は「あと一年、時間がない」と思って暗くつらい気持ちで来た大阪。それに
肝心の先生はいない。途方に暮れたことでしょう。それを救ったのが兄でした。
「わたしたちより後がない人がこんなに元気でいる。こんなに元気になれる、元気にしてもら
える所だということが解っただけでも、今日来た甲斐がありました。出直して来ます」