5年前の3月11日、何をしていましたか?
※育児日記ですが、忘れてしまう前に記録させて下さい。長文なので読まれる方はご注意下さい。
私はもちろん、仕事中。ICUにいたな…
病院が免震だったので、大阪と距離が離れているのに、クラクラ目眩がするような感じ。
ふらっと医局に戻ったらテレビが付いていて(いつもは付いてない)ちょうど津波に飲み込まれていく所で、「えーー?何!??」って叫んだのを覚えています。
震災から1カ月後に内科医として岩手の山田町に行かせてもらいました。空港からの道中、信号は止まっていて、被災地に近づくにつれて、津波でなぎ倒されたガードレールや流されてきた船が道路にあったり…
本当にすごい光景でした。
津波の被害のすごい所は波が届いていない所は何もなかったようで、くっきりと明暗が分かれている所だと思いました。もちろん、地震で道が断裂していたりも。
うちの病院は1週間毎に交代で、一班に内科医、外科医、看護師、薬剤師、事務で、私たちの班が行く前は瓦礫のせいで喘息が増えていたそうですが、私たちの班の頃にはだいぶ落ち着いていて、糖尿病や高血圧の人の薬処方なんかがメインでした。
(喘息の治療のために紙カップを使って薬の吸入したりしてました!)
小児科医が来るという触れ込みがあったので、健診希望の乳児が何人か来てくれたり、火傷の子診たり…(火傷って、フツウの内科外科の先生は診ないので、まともに診られてなくて、衝撃でした)
大したことは出来なかったけれど、貴重な体験をさせていただきました。普段のカンファレンスって大学であろうとフツウの病院であろうと、なあなあな部分があるんですが、日本全国からその地域に集まった医師たちが毎日報告会も兼ねてのカンファレンス。みんな本当に必死で、医者スゲーって(笑) 捨てたもんじゃないなーって思ったのを覚えています。
1週間お風呂なし生活も、トイレの水を池で汲んできたバケツで流して、ご飯は毎日即席のものだったり色々あったけど、外科の先生もたまたま私の2つ上くらいの知り合いの先生で、医師が一番若いというチームだったからか、いいんだか悪いんだか、ほんわかムードだったな…
子供が出来て、今はもしまた被災地へと言われても行けないけれど、もしまた被災地へ行く要請があったら行けるような人でありたいな。(病院にもよるので、市民病院とかだと行けないだろうけど)
写真どこかにいってしまったのが残念。見つかれば載せるかも?
※育児日記ですが、忘れてしまう前に記録させて下さい。長文なので読まれる方はご注意下さい。
私はもちろん、仕事中。ICUにいたな…
病院が免震だったので、大阪と距離が離れているのに、クラクラ目眩がするような感じ。
ふらっと医局に戻ったらテレビが付いていて(いつもは付いてない)ちょうど津波に飲み込まれていく所で、「えーー?何!??」って叫んだのを覚えています。
震災から1カ月後に内科医として岩手の山田町に行かせてもらいました。空港からの道中、信号は止まっていて、被災地に近づくにつれて、津波でなぎ倒されたガードレールや流されてきた船が道路にあったり…
本当にすごい光景でした。
津波の被害のすごい所は波が届いていない所は何もなかったようで、くっきりと明暗が分かれている所だと思いました。もちろん、地震で道が断裂していたりも。
うちの病院は1週間毎に交代で、一班に内科医、外科医、看護師、薬剤師、事務で、私たちの班が行く前は瓦礫のせいで喘息が増えていたそうですが、私たちの班の頃にはだいぶ落ち着いていて、糖尿病や高血圧の人の薬処方なんかがメインでした。
(喘息の治療のために紙カップを使って薬の吸入したりしてました!)
小児科医が来るという触れ込みがあったので、健診希望の乳児が何人か来てくれたり、火傷の子診たり…(火傷って、フツウの内科外科の先生は診ないので、まともに診られてなくて、衝撃でした)
大したことは出来なかったけれど、貴重な体験をさせていただきました。普段のカンファレンスって大学であろうとフツウの病院であろうと、なあなあな部分があるんですが、日本全国からその地域に集まった医師たちが毎日報告会も兼ねてのカンファレンス。みんな本当に必死で、医者スゲーって(笑) 捨てたもんじゃないなーって思ったのを覚えています。
1週間お風呂なし生活も、トイレの水を池で汲んできたバケツで流して、ご飯は毎日即席のものだったり色々あったけど、外科の先生もたまたま私の2つ上くらいの知り合いの先生で、医師が一番若いというチームだったからか、いいんだか悪いんだか、ほんわかムードだったな…
子供が出来て、今はもしまた被災地へと言われても行けないけれど、もしまた被災地へ行く要請があったら行けるような人でありたいな。(病院にもよるので、市民病院とかだと行けないだろうけど)
写真どこかにいってしまったのが残念。見つかれば載せるかも?