○歴史に学ぶ賢者、体験に学ぶ愚者
×経験に学ぶ賢者、体験に学ぶ愚者


知人に突っ込まれました…

少し前の記事の間違え…宰相ビスマルクの言葉が意味不明な言葉になっていた…


頭の中で単語がこんがらがって…「歴史」がいつの間に「経験」に…タイピングミスというよりかは、思考回路が飛んでいる感じのミス…頭では歴史と書いているつもりで経験と打ち込んでいた…そのせいで文章そのものもおかしくなっていそう。そう言えば、書きながら妙にまとまらない感覚もあった…


いやぁ、作品上じゃなくてよかった…この先作品上でもかなり注意していかないと危ないかも。


ここ最近、USTREAMで作業中継しているおかげで、作業時間が長くなり集中している時間も長くなっていて…寝ていることにも罪悪感がある。おかげで睡眠不足…USTREAMに慣れて、多少ダレが入りまでは、もう少しこの状況は続きそう。



にしても、この言葉で歴史と体験を間違えたら、かなりおバカに…


まぁ、間違えた原因として考えられるのは


歴史に学ぶ賢者、経験に学ぶ愚者
歴史に学ぶ賢者、体験に学ぶ愚者


この二つの翻訳を見て、混同し始めたのだろうなと…やっぱちゃんと寝ようと思う。

誰であれ、大なり小なり己を正当化する為に他人に問題をなすりつける傾向はある。
ここ最近、妙に記事の更新が頻繁なのは自問自答しているから、、、


「自分は自分の問題を他人のせいにしていないか?」


■自分が、問題を他人のせいにしていると仮定する。
この場合、己の問題を他人に押し付けているのだからその他人がいなくなっても状況は好転しない。逆にさらに悪化する可能性も低くはない。


■結果…
ものすごく状況が好転する。その人間がいなくなった瞬間から事態が一気に打開し始める。
実はこれを幾度となく繰り返している。
もしかすると、その人間と一緒にいることでさらによい状況に到達することができたかも知れないが、風の噂を聞く限りではどう想像してもそうなるとは思えない。


自分に、問題を他人のせいにしたい心理がかなり働いていたとしても状況の変化、結果を見る限り、自分の問題点に対する分析と打開策に大きな疑問は生じない。
ちなみに、さらなる悪化を食い止めることが精一杯で好転も悪化もしない状況に陥ることも少なくはない。


なので、自分の分析能力に対する自己評価を大幅に上昇させて自信を持つことにした。そして、幾度となく起こる問題に対する打開策を常時走らせ続けることにする。ようするに…


ぶちまけてやる…
ぶちまけまくってやる!
お前のこと、ぶちまけてやる!!!!!!!!!!!!!


心配は無用!書いて出さなかった文章が山となっていて、タイミングを計りつつ文面に手を加え記事にしているだけなのでさほど時間は使っていない。
いろんな文章を書きまくっているその日常にこそ問題がある気もするが、根本的な目的は常時感情的であり続けること、すなわち創り手である以上自分の感情を押し殺すことは死を意味しかねない事への対策。


作品のタイトルというのは、

狙い定めた客層へのファースアプローチ。
話題性へのアプローチ。
印象、記憶へのアプローチ。


などなどの要素を求めて作るとは思うのだけど


描き手が描くべき作品を描く為の拘束要素としても重要だと思う。
さらに、お勉強しかできず、頭が回転だけはするもののなにも考えれない人々と打ち合わせをするときにその方向性を逸らされない為の道具にもなり得る。


そもそも…マーケティングリサーチがほとんどやれていない環境下では後者の方を優先した方が得策とも思えなくもない。
前者、読者へのアプローチをいかに考えてもまともなリサーチ結果がないのだからまともな計算はたてられる、大部分が当てずっぽうになってしまう。


ちなみに、お勉強しかできない方々はいきなりアイディアから打ち合わせ始めてしまうので、本当にこの人は頭が悪いんだ…ではなく、回転するだけでものを考えれないんだ…と、実感する。


いきなりアイディア出し始めるのは、創作家…最初に作品の魂を作り始める人間の仕事…己がどの立場にいるのか理解できていないのはちょっと残念…
作家といえども、過去の自身が作り出した魂を表現する作業工程においてはいきなりアイディアを出してはいけない場面も数多く存在すると思う。

この一月ほど、今度ちょこっと顔出してみないか?
などと、言われることが連続していていたのでとりあえず結論として…


個人としてであれば交遊を深めることは望むが、仕事以外では群れない。
群れるのは、仕事としてお金を稼ぐ目的と計画の下での作業分担の必要性を共有できる場合のみ。と、決めた…のだが。
そもそも、どうしてここまで連むことに乗り気になれないのか…こんな文章を書いていて自分で気付かないわけがない、群れることを異常に嫌っている。この際なので、いろいろ思い出す努力に少し時間を割いてみた。


思い返す…自分が良くなっているか、悪くなっているかはそもそもわかりづらいが、グループの中にいる他人ならばよく見える…



本当によく見える…怖いほどよく見える。



で、簡単なポイントに気付いた。
成長している人、みんなが成長している群れならば、自ら進んで関わり行く。多少問題があっても成長している人からは離れたくはないと思う。



自分が求めている物とはちょっと違うという結論にしておこうと思う。



何というのか、こういった文章。本来ならばもっといやみったらしく書くのだけど、個人の個人にまつわる要素をいやみったらしく書くと、読み手個人のうち大丈夫な人はわりとどきっとして反省してみようかなという気分になるのだが、群れをバカにされたと思い始めると反省を素通りして一気に敵対心が出てくる。
群れる人間の怖さと愚かさ、団体のまとまりの弊害が如実に出てしまうので、表現が少し難しくなる。



■時代は流れている…
USTREAMで作画を流している人は少なくない。なのでちょっとした合宿気分を味わう事はできる。さらにリアルタイムで流れる作画映像から学ぶべきポイントは大きい。
その人が何を考えて作画しいてるかが読みとれるのが面白い。


描き手は、やはり作品で語る…



ちなみに、カメラの前での挙動から心理が透けて見えるのはちょっとエンターテイメント…


多人数で連むことは、仕事だけと考える事にした。


歴史に学ぶ賢者、体験に学ぶ愚者…
これほど、こんな短い言葉にしていいほど簡単なものは無いかも。
そもそも、自分自身がどこまで体験を体験として認識できているのか…


芸術、アート、エンターテイメント…名前はいろいろあるが、こっちの世界の歴史などと言うものがまともに後世に残っているとも思えない。

ピカソがどんな人でどんな経験をしていたのか…まともな記録が残っているとも思えない。

宮崎駿監督が、どんな人なのか…これだけメディアが発達していて、多くの取材を受けているにもかかわらず未だにその人物像は霧に包まれてしまっている気がする。

歴史に学ぶ賢者、体験に学ぶ愚者…
失敗の歴史を反面教師にすることはできそうだけど。
成功者の経験は、創作の世界に適応できないのではないかと思う。


あえてあるとすれば
作家は偏屈。
孤独なイメージがある。
議論好きだというエピソードが多い気がする。


いや…最近、間口が少々広がったので、多方面からのいろいろ出会いの入り口はあるのだけど自分の経験(体験)は自分に群れることを徹底して拒否させる。
群れてよかったことが今まで一度もないのが理由だろうと想像はできる。
多人数で一つの目的を達成する喜びと意義は知っていても、群れて楽しかった経験は持ってい。


今、人間関係に何を求めるか。いろいろあるのだけど
とりあえず「斉一性の原理」が起きないこと。
創り手に求めることは、個としての強い意志を持って活動をしていること。


嫌いな言葉「総意」
あり得もしない総意なんて言葉が持ち出されるときとは…
…いろいろあるが、もっと考えようと突っ込みたくなる。


求める物…
斉一性の原理と戦う難しさを知っている事と言い換えることもできるかも。
何も考えていないと他人と同じ見解でいたい、価値観を同じにしておきたい気持ちに支配され、さらにものを考えられなくなる。
多人数という圧力を侮ってはいけない。この教訓を共有できる人がいたら頼もしい。


個人で会いに来る人は誰でも歓迎。
そして、多人数で連むことは仕事だけと考える事にしたので、共にお金を儲けようとする計画がないなら全て拒否する事にした。
自分個人としては、共に前に進む為の人間関係を求めていくことにする。


まぁ、だからこそ組織ごっこが大嫌い。

気持ちいいでしょ 人をバカにするのって
人をバカにすることで自分が有能になった気分になれるからね


わかってる 仕方ないと思う あなたを誰も評価してくれないのだから
人をバカにすることで自分がバカじゃないと思えるのであれば
一生懸命あざ笑えばいいと思う それであなたは救われる


救われる人は幸せだと思う うらやましいと思う
他人をあざ笑う事しかできない自分自身を見失うことができるのは
一つの才能だと思う
人をあざ笑うことしかできない惨めな自分に気づけないことほど幸せな人はいないと思う。


でもそれは仕方ない 一つでも他人の才能を認めたら
その人は自分よりも上に行ってしまうのだから
自分自身に存在意義が無くなってしまうのだから


何も作れない 存在の意味のないあなただけど
他人をあざ笑う事で あなただけはあなたの存在を意味ある物にできる
世界の全てがあなたを必要としていないけど
他人をあざ笑う あなただけはあなたを生きる意味がある人だと思える
世界の全てが あなたの生きる意味を無意味と思っても


さぁ がんばってあざ笑いましょう あなたにはそれしかできないのだから
世界はあなたを不必要どころか存在そのものを損害 害悪 汚染としか見ないけど
あなたにとってだけは あなたは価値あるものなのだから


さぁ がんばってあざ笑って下さい
あなたの為だけにあざ笑って下さい
あなたにできるのはあざ笑う事だけ
あなたにできるのは惨めなあなたに見て見ぬふりをすうことだけ
あなたに救えるのはあなただけ


さぁ あざ笑え
そして 死ね

USTREAMは経験を獲得作業中。



自己主張しない人間は、迷惑でしかない。
主張できないのならば、ぐちぐち文句を言うべからず。



政党別の迷い方

選挙で、どこに投票するか迷うことがいいのだけどその迷い方。
現在は


第1グループ
自民党or民主党


第2グループ(第一グループがどうしようもないときに考える)
みんなの党


第3グループ(ほぼ確実に入れない党)
共産党。社民党。


第4グループ(意地で入れたく無い党)
公明党。(よく、個人的に是非入れてくれと頼まれるので快諾してそらしつつ、絶対入れません)



少数政党。


実現不能な政策を掲げる少数政党は無くなって欲しい。
存在意義がまともに説明できない少数政党も無くなって欲しい。
どの党でも連立政権が組める複数政党に政界が再編して欲しい。


共産党、公明党…存在理由が意味不明。サクッと一言で己らの存在意義が説明できていない。ごくごく少数の人間の利益だけを追求するのは悪いとは言わないが、個人のわがままを放置すれば国力の低下を招きかねない。国力を低下させてまで聞けるわがままの範囲ををしっかり見定めるべきだと思う。


社民党…日米安保など外交、安全保障にまで踏み込んでくる割にはまともにホワイトハウスと交渉ができないような政策が無い。外交問題をどうこう言うこと自体が間違っている政党。国内の労働者保護などを目的とした政策だけを掲げるのであればその存在はわからなくもない。


みんなの党以外のその他少数政党。意味不明。存在意義不明。名前覚えていない。


例外。橋下府知事の地域政党。関東人としては他人事なのでどうなるか注目中。


自己主張しない人間と話すのは迷惑。嫌なら何が嫌なのかを話すべきだと思う。

自己主張もせず、ぐちぐち言うべからず。


自分の自己主張。まずは政党支持的に思っていることをサクッと…


どう思うか…


鳩山前総理。
持っている理想はすばらしいと思う。国民が沖縄に注目し基地負担というものを国全体でどう割り振るかを考えるきっかけになったことは功績だともう。ただ、言葉の軽さが総理辞職につながったと考えると総理の資質は無かったのだろうと思う。もっとずるがしこいメディアの使い方があればと思った。


菅総理
まだ、大した情報は知らないので何とも言えないが、行政システムのスリム化に期待することは大きい。


民主党
民主党ならば、前原さんあたりに好感を抱いています。が、そこまで詳しい政治信条は存じていないので言えることはあまりない。


自民党
石場さんに、好感を抱いています。言葉に重みがありそうであると感じるのは鳩山前首相との対比。話を聞いていると、論点がはっきりしていてよい政治をしてくれそうだと感じます。


小泉進次郎さん。小気味いい議論をする人だなと思う。まだ断片的な情報しか見聞きしていないので何とも言えないが、期待することろは大きいです。


橋下大阪府知事
国政でその力を使ってもらいたいと思うが、地方行政と国政に求められる物の差はいかなるものかという不安が少なからずあったり。


核兵器。
不要。使えない核兵器よりも、使える有能は通常兵器。
巡航ミサイル、弾道ミサイルは必要だと思う。


児童ポルノ規制法。
部分的賛成、部分的反対。
とりあえず描き手側としては、規制はあれもダメ、これもダメ、絶対ダメとごねていると完全規制とかになりかねないと思う。ここは少し手を引いて、業界として努力している意思を見せるような範囲で規制は受け入れておくことが業界の為だと思う。



関係ないですが、ブログの右側の映像はうちの作業環境のライブ映像。PC起動中で配信作業を忘れていなければライブ画像が流れていると思います。
それ以外の、アーティスト名などはLast.fmのブログパーツ。
自分が聴いている音楽が片っ端からリストアップされています。

一つ前の記事…ついつい筆が走って話がそれた。


できうる限り、人のせいにはしないようにとは思っているのだけど…


A.モチベーションは作品の商品力に最も影響を及ぼす要素である。
B.モチベーションを上下するもっと大きな要因の一つは人間関係である。


作品のできなどと言うものは、ちょっとしたアイディアが思い浮かぶか浮かばないか。それを描こうと思うか思わないかで決まる気がする。
あくまで、基礎がある程度できていればと言う前提だけど。


自分は、モチベーションを落とす人間を近くに置いてはいけないと心の底から反省している。
人のせいにはしたくないのだけれど、モチベーションが落ちるのはその人のその存在があるからだと言うことも現実。


その人のせいにはしないけど、人間関係を作ったことが失敗だったと自分で反省して付き合いをやめると、やはり人のせいにしていることになるのかもしれない。


正直、モチベーションが落ちるたびに誰かのせいにしておけば気分的にはすごく楽。なのだけど余りの幼稚さに自己嫌悪に陥ってストレスになり、そのままモチベーションが落ちそうな気もする。


この先自分のモチベーションを落とす人間には本当に容赦できない。
だからその前に、自分が商品力を維持する為に最も必要なことは、過去のデータをどう分析してもモチベーションだと言うことを前提として相手に伝えなくてはいけない。
自分は、編集者などを多少傷つけてでもモチベーションが落ちないようにありとあらゆる対処をしなくてはいけない。
しかしそうなってしまえば仕事にならないので、そうならないことの対処をしなくてはいけない。


相手が何かアイディアを出そうとしているときは問題点と要望を見つけているから。
必要なのは、要望。それで伝わっていなかったら問題点を伝えてくれればいい。
アイディアを出されるとイメージが来るってモチベーションが落ちるので出すな。ここは失礼だが命令させて頂く。
アイディアはこちら…自分と角錐組を使って出すので不要。


これが相手に伝われば何も苦労しないのだけど、かなり痛い目見せないと編集者などは何言っているんだこの人になって聞く耳を持たない。


なので、ここで
あまり利口でない人たちは、自分が理解できない事についてはなんでもけなす。(ラ・ロシュフーコー)
阿呆はいつも彼以外のものを阿呆であると信じている。(芥川龍之介)


とか言うと、相手は傷つき始める…仕事が滞る。


これは相手が、人の話を聞けない阿呆だと諦めるしかないのだろうか…

できうる限り、人のせいにはしないようにとは思っているのだけど…


A.モチベーションは作品の商品力に最も影響を及ぼす要素である。
B.モチベーションを上下するもっと大きな要因の一つは人間関係である。


落ちるモチベーションに対して何かしらの対策をする場合、人間関係に関わる部分に手を加えることになる。
モチベーションが落ちるからやめてくれと多少は遠回しに言うのだけど
相手からしてみれば、人のせいにされている…と思うことは少なくないだろうと思う。


特に、相手の人格形成上重要な部分で自分がモチベーションを落としていたりする場合、そこをやめてくれと言われれば何かしら強い感情が相手に芽生えてしまうことも想像に容易い。が、確実に商品力を落とすことになるので対処しないわけにはいかない。


相手を傷つけ、憎しみ、怒り、怯えが混ざって顔が赤くなりながら一切言葉を出せないという表情を向けられる。
自分に向けられる感情で手が震える、唇が震える。見開いた目が充血している、手も足も口すらでなくなるという状況が幾度がある。


ここら辺の反省から自分は事態の対処の為に自己主張するのだけど、相手は口が達者な割に自己主張はできない人である事が多いと気付いた。
なので、相手が何をやりたいかを聞くようにし始めたのだけど。それが火に油を注ぐ。
実は、特に何かやりたいというわけではなく、本能的に群れることで安心しているだけだったりする。要するに、一緒にいてなにかしら共感してもらうことが目的。そして、その共感こそがモチベーション低下の主因。と判明してしまい、自分がその相手の人格の重要な部分を根本的に否定していたりすることが互いに認識できてしまう。結果、人間関係壊滅…


ちなみによくあるパターン。
自分は基本的に批判的な人間。なので、一緒になって批判的な言動する人は近くに現れやすい。
そのうちいくつかの割合で、その批判に対して自分が批判的になる。
自分の批判は、基本的に自分を含めた人類に対しての批判。自分が批判するのは、特定の人間や集団を一方的に批判する立場。


例・鳩山総理を無能と言うが、こんなところで何も行動せず、考えず批判している人間よりは有能だと思う。
とか…


批判は、その人の人間性を覆い隠すことなく表現してしまうのでごまかしがきかない。


ちなみにこの文章で、「相手を傷つけ、憎しみ、怒り、怯えが混ざって…」の一文。
ここで自分の幼稚な心理に気付いた人はどのくらいいるのだろうか。いるのであればじっくり話してみたい。
これはとても悪いことなのだけで、サルの本能だろうと思うのだけど、
相手をこの状況に追い込んだことで自分は勝ったという気分になる。
実際これを書いている自分の心は思い出した勝利に満ちあふれる。
だから勝利宣言の一文をどうしても書きたかった。


この一文を、どうしても書きたかった自分。
相手に精神に深々と傷を負わせてやろうと心の底から望んでいる自分がいること。
ここら辺は、自覚している。
理性では反省できても、本能に反省は無い。
普段なら本能を押さえる自信はあるがトラブルになって感情的になっているときはあまり抑えが効かなくなるだろうと思う。



皆さんと、いろいろ話せれば面白いと思うのですが……


とりあえず、精神に傷を負わせたらごめんなさいと先に謝っておきます。