中日新聞の特集 2015年12月1日の記事から 抜粋
保:保阪正康(ノンフィクション作家) 半:半藤一利(作家)
で、対談形式となっています。
●くたびれた老人 記者:戦時中に育ったお二人にとって、裁判はどんな出来事でしたか?
半:私は裁判を傍聴しているんですよ。一九四八年春、十七歳だった。
A級戦犯被告として裁かれた白鳥敏夫元駐イタリア大使の息子が、私の旧制高校の同級生で、彼に誘われて関係者席に座った。被告席ははっきりは見えなかったが、戦争のリーダーはこんなくたびれた老人ばかりかと驚いた。これじゃ勝てるわけないと。
保:私は小学校低学年であまり実感がないが、判決の「デス・バイ・ハンギング(絞首刑)」という言葉が子供たちの間ではやったね。ラジオで何回も放送された。
半:「コウキ・ヒロタ(広田弘毅元首相)、デス・バイ・ハンギング」と聞いた時、父が「えっ、広田さん絞首刑なのか」と驚いたのを覚えている。軍人じゃないから、まさかと思ったようです。
記者:広田元首相は外交官出身で、軍人ではない唯一の文官。同情論もありますが?
半:自殺した近衛文麿元首相の代わりでしょう。ナチス・ドイツを裁いたニュルンベンルク裁判でも文官が一人絞首刑になっており、戦勝国側はそれを踏襲したと考えられる。
保:
二・二六事件後に首相になり、軍の要求を数多く受け入れてしまった。
城山三郎さんの小説「落日燃ゆ」は、彼を美化しすぎていると感じる。
●何人死なせれば 記者:その対極が東条英機元首相。今年公開された
半蔵さん原作の「日本のいちばん長い日」でも、戦争継続論者として描かれました。 半:終戦直前に東条元首相が書いた手記が近年、明らかになったんです。
「
敵の驚異に脅え簡単に手を挙ぐるがごとき国政指導者及国民の無気魂なり」と、国民まで批判する内容。首相兼陸相兼参謀総長を務め、戦況がどんなにひどいか骨身にしみていたはずなのに、まだこんな事を言っていたのかと思いますね。
保:ずっとこのような認識を持っていた軍人だ。
国民の生命・財産を守る意識がまるでない。 国民を何人死なせれば気が済むんだ、と思う。
今、裁かれるべき戦争 山ほどある 記者:日本の愚かしさの象徴として、検察側が提出しようとした「占領地の土地処分案」とは?
保:ドイツと世界を分割しようという案で、米国アラスカ州や中南米の支配まで想定している。
朝鮮や台湾に置いた総督府を、オーストラリアやインドにも置く内容。初戦の快進撃に有頂天になった参謀たちが、四二年二月に考えた。何を考えていたのかと吹き出すような誇大妄想で、証拠としては却下された。
半:歴史に対する日本人の意識の浅さが浮き彫りになった裁判でもあった。
裁判で不利な証拠になってはいかんと、終戦時に国や軍の資料をバンバン燃やしてしまったね。
記者:裁判での米国の思惑は?
保:何よりもハワイの真珠湾攻撃をだまし討ち、侵略としてさばきたかったが、立証できなかった。
日本が開戦直前に宣戦布告をしようとし、手違いで通告が遅れたことが、裁判で認定されたためです。
米国は日本の暗号を解読して攻撃を予測しており、裁判でそれが議論されるおそれが出てきた。だから、裁判後半ではあまり真珠湾に触れなかったけど。
●残虐行為を問う 記者:日本を裁くために戦勝国が持ち出したのが、侵略戦争の共同謀議という考え方ですね?
保:
ドイツにはヒトラーという絶対的な指導者がいて、ニュルンベンルク裁判ではそれに連座したナチスの指導者が裁かれた。検察側は、日本でも指導者らを「軍閥」で一くくりにし、侵略に合意していたことを立証しようとした。でも
満州事変から終戦までの十五年間、指導者は次々に交代しており、実態に合わない。 半:それがこの裁判の弱いところで、共同謀議は日本では成立しません。
判決を受けた二十五人のうち、二十三人が共同謀議に加わったとされたが無理やりだ。
簡単に言うと、死刑判決の人は、共同謀議より残虐行為が問われたとみていい。判決には「捕虜虐待を防ぐ措置を怠った」などとしか書いていないが、木村兵太郎元陸軍大将なら、泰緬鉄道建設時の多くの死を英国が許さなかったと考えられます。
武藤章元陸軍中将の場合は、
フィリピンで捕虜らが多く死んだ収容所への移送(パターン死の行進)。ただ、着任前の出来事で気の毒ですね。真の責任者が既に処分されていたからだろう。
保:武藤元中将が巣鴨拘置所で書いた日記があります。
判決を受けて自室に戻ったら、隣の部屋から嶋田繁太郎元海相の高笑いが聞こえた、とある。
嶋田元海相は終身禁錮刑で、命は助かった。武藤元中将の日記のこの一行に「なんで俺が死刑になって、あいつがならないんだ」という万感の思いがこもっている。
記者;被告に、
思想家で国家主義を唱えた大川周明がいるのが目を引きますが。
半:侵略戦争の思想的根拠を作ったと目された。
ニュルンベンルク裁判で、思想家ローゼンベルクが裁かれたのにならったのでしょうね。
保:東京裁判では当初、
言論人として徳富蘇峰が被告に擬せられたとされる。
国民に向け戦争をあおった代表格だが、高齢で裁判に耐える体力がないということで外されたのでは。実際には蘇峰は元気そのものだったのですが。
大川は裁判中、前の席にいた東条元首相の頭をたたくなどし、精神疾患があるとされて入院した。結果的に、日本の言論界は裁かれずに終わったと言える。
後編に続く