民主党政権になって色々と話題にことかかないが
予算が通過すると次に問題になるのは外国人参政権である。

本来、こんなに早期に法案提出になる予定ではなかったはずだが
小沢氏の横やりで無理矢理ねじこまれる可能性が残った法案である。

ネット上(まぁ、2chとかw)では特にやり玉にあげられるが
それを推そうとする政治家(特に積極派)も
批判する側も、やや本来の意義からずれてるように思う。

外国人参政権を認めるか否か、それだけの話しか、といえば
実はそうでは無い。

定常的に暮らす外国人に地方自治権を与えるかどうか
とい点については、法学分野ではかなり以前から議論されている。
仮に認めれば地方自治において外国からの移住者に政治的な
発言力を増加させることになり、問題になる可能性がある
という批判は当然そうであるが、学問的にはそのような
ある意味感情論で片付けることはできない。

最近のマスコミの論調でよく「法令遵守」という点を主張するが
日本の近代式法制度は結局のところ欧米の法制度を模倣したものであり
形式論はともかく、その法律の存在意義や施行における基本理念を
十分理解できていないフシがある。

まず第一は、法的加護を受けるには、責任を果たす必要があるということ。
責任を果たさない者に法的加護を受ける資格はない、ということ。
責任を果たさない者には刑事罰が下る。
当然、法的加護を完全に取り上げるのは死刑であるが、
完全に取り上げる、という訳ではない。
日本は最近ようやく受刑者の権利が認められつつあるが
犯した罪の対価として相当の法的権利を制限する、というのが基本である。

この、責任はなにかといえば、例えば「勤労義務」。
ただしこれは「働きなさい」ではない。
「働かざる者食うべからず」である。
あくまで例え、であるが。


日本で普通にこれを言っても、おそらくこの違いが分からないかもしれない。
それは、これら法体系の構築にある風習というか、通念が違うのが大きいと思う。
これが第二の点であり、個々の関係は「契約」で成り立つということである。
契約は「財・サービス」の提供に対する「対価」の関係を示すものである。
国民になる、ということは、「財・サービス」を提供される一方で「対価」が必要になる。
対価は責任・義務である。
対価を支払わない者にサービスを提供する必要はない。
これは逆も同じで、契約を履行する意志を示さない者に対価を払う必要はない。
そう言う事である。

暗黙の了解、つまり「あたりまえ」で物事を実行する日本とは異なり
仕事にしろ、通常生活にしろ、ほとんど全てが契約の積み重ねで成り立っている。
会社対個人であろうが、国家対個人であろうが、契約である。
相手が大きいかどうかなど関係ない。
米国社会を「なんでもかんでも裁判」と揶揄するが
彼らにとって契約こそが基本であり、契約の履行とその調整は日常である。
裁判しないで当事者の示談で終わらせる方が
彼らにとっては「考えられない」ということだろう。

トヨタのリコール問題にしても社会的責任、いわゆる社会的アカウンタビリティーを
単なる説明責任だと取り違えてることから生じた問題に思う。
企業活動が社会で私的な利潤を得ることを「認められている」からには
当然、その対価としての責務がある。
「社会的アカウンタビリティー」はその責任の範囲をまとめたものとも言える。
ただ、勘違いしてはならないのは、単に「説明すること」が責任ではなく
「社会との契約を正しく履行していること」を説明しなさい、という意味である。
このケースでは、顧客に対し、不備のある商品を提供したことは契約違反である。
そうであるなら、その違反状態の解消、もしくは回復措置としてどのような対策を打つのか、
はっきり説明しなさい、ということである。
「今調査している」という回答は「はぐらかした」として
契約履行の意志なしとしてとられても仕方がない。
ついでに言えば、日本人が良く要求する「謝罪」は意味はない。
サービスと対価でいえば、全く価値がない。
謝罪など言う必要はなく、契約違反状態を修復する手段と
今後の対応を言えば良かっただけである。

まぁ、米国で大規模に事業展開している以上、この発言は失態である。
トヨタの社長が議会に証人として呼ばれるようだが
さてどうなることか。

そういえば「説明責任」とマスコミも政治家も連呼しているが、
なぜ「説明責任」かよくわからないで使っている様子。
ただ説明することだけになんの価値があるのか・・・。
価値が無いから何を言っても満足しない訳で
まぁ、マスコミにとってはネタができて嬉しいんだろうけど。


といって大分脱線したので、少し話しを戻す。

日本にしろ、欧米にしろ、現行法体系の限界がいくつかある。
それは法律形成の過程を見れば当然といえるのだが、
社会の発展、国際化が進んだため、対応しきれなくなった
というべき問題である。

そもそも国家の加護として法的加護を定める訳であるが
これは「国民を対象」とすることを意味していた。
国民が対象であるので、必然的に「人間」のみが対象である。
もう一つ保護するものは「国民の財産」である。
財産は有形無形を問わず、「もの」であり、
その他の共有財産としての国土、風土がある。

「人間のみを対象とする」点が法的限界の一つであり、
さらに個々にとって価値がある「財産」しか対象にできないのが
もう一つの限界である。
生き物にしろ自然にしろ、人間にとっての価値、所有物としてしか扱えない
そのため環境保護に対する法的対応は共有財産としての価値を示すしかなく
非常に複雑なものになってしまう。
しかもあいまいなものや、全く手つかずの自然など人間活動の及ばないところほど
価値が無いとして法的保護対象としては無視せざるを得ないということになる。
ムツゴロウの代理裁判もあったが、やはり法の改正をしない限り
難しいと言わざるをえない。
ただ、これについては国内の問題であるのでなんとかなるとは思われる。

一方、法律上、「外国人」は人であろうか?「もの」であろうか?
結論としては「どちらでもない」であろう。
国籍の無い者の活動を想定していないわけではないが
社会活動として外国人就労者が重要な役割を果たす以上、
法制度上、無視していい、という根拠はない。
しかし、「人」扱いも「もの」扱いもできない。
特例にしたとしても、国民との差別化をどうするか
非常に悩ましい問題である。

良く言われるのは、日本に来て活動しているのだから
税金くらいは納めて行け、というもの。
まぁ、それ自体は納得できるものかもしれないが
外国人は国籍が海外であり本国からも国外での収入に課税される
可能性があるということ。そうなると二重取りである。
前に小室哲哉がアメリカで収入の申告をしたのが
脱税とされたことがあり、その後も何人か指摘されている。
しかし、本当に海外活動での収益であったなら
それを日本政府の保護の下での純粋な収入と見なすのは
やはり無理がある。
ではどこで線引きをするか、は非常に難しい、
というか、基本的に国家間の取り決めの問題である。
逆の事は日本の外資系でも同じ問題がよく生じている。

追徴をくらった時点で二重課税になる可能性が非常に大きく
結局裁判を起こしても国内法では限界があるし
国家間の協議を含めて解決を図るしか無い問題である。

その他法的サービス、刑法、民法などなど、あらゆる点で
外国人就労者は本国と就労地双方の法的加護を受ける可能性がある訳で
国家間の協議が必要な問題を法律で一律で決める、というのは
非常に現実性がない話題である。
それを実施するとすれば、外国人にも準国民の地位を与える、ということであり
そもそも法体型の根幹を変更しなければならない。

ただ、地方自治体については少し議論が異なる。
なぜなら、地方自治体の基本的な義務は地域住民に対し
安定的な生活水準を提供することだからである。
国家間の協議はそもそも必要がない、といより「できない」。

外国人就労者が生活基盤に大きく貢献しているのであれば
それを無視して自治活動を行うことはできない。
彼らの地域への貢献度を斟酌して政治を行うには
政治に参加してもらうのが望ましいとは思う。

そこで問題なのは、彼らの地域への貢献度はいかほどだろうか?
という点である。
良い面もあれば悪い面もある。
それは通常の住民も同じだとしても、それをしっかりと見積もり
それに応じた対価としての権利を与えるべきである。

民主党が掲げる外国人参政権問題は、さもすれば温情的な意向が
強いように思う。
法律の文面は温情で記載すべきではない。
温情は運用や裁判で示せば十分である。

また、地方分権の流れも歓迎であるが、そうであれば
この問題はさらに難しさを増すことになろうし
その思想にも反する。
国家として決断するには明らかに時期尚早である。
消費税や安全保障問題と同じく
憲法改正も含めた難しい問題であるのに
なぜこの時期に提出なのか。
まったく理解に苦しむ。

最後に言っておくが、在日韓国人の問題では、基本的にない。
元来、日本国籍をもっていたのであれば
帰化をしようと思えばできるはずである。
許可出来ないとすれば、犯罪歴がある、などであろう。
これを、純粋な国際化の延長問題としての外国人参政権の問題と
混同すべきではないし、他国がやっているからどうこう
などというのは本質を理解していないとしか言いようがない。

そもそも、法案提出しようとしている議員らが
わざと本質をすり替えているだと思うが・・・。

しかし、小沢氏はよくもまぁ、本質をすり替えた大義名分のプランを
思いつくものだ、と思う。
その点は凄いなぁ、と感じる。悪い意味でw
早起きしてたまたまつけたTVで時事放談
というのをやっていたので見てみた。
出演者は細野豪志氏(民主党副幹事長)、 片山善博(前鳥取県知事)

色々な時事ネタにそれぞれコメントを求める
というのを淡々と繰り返すだけなのだが
出演者同士の絡みが無く反論の機会が無いので
コメントにも頭を使うことになる

某誘導尋問バリバリの朝まで討論みたいなのは
見ていて吐き気がするので
ネタフリに意図はあるにしてもこっちの方が好みかな。

しかしまぁ、面白い組み合わせだなぁ、と思った。
片山氏はそんなに新しい政治手法というわけではないが
堅実で的確な発言をされる方だと。
一方、小沢氏の問題でその小沢派(と説明された)にある
副幹事長の細野氏、擁護に回る事は確実。


ちなみに細野氏といえば、山本モ○さんとの路上キスの方である(笑)
副幹事長にまでなっているとはさすがイケメンw
話しをしているところははじめてみたが(記憶にある限り)
頭は切れる様子です。
UFJ総研にいただけあって、話し方はスマートだし
コンサル的な指摘の仕方をする。
一般的には受けがいいんだろう。
ただ、苦肉の発言の仕方はまだまだだとw

まぁ、副幹事長なのだから口下手な方はなれないんだろうが・・・。

気になったのは小沢氏の一連の責任の取り方についてのコメントで
片山氏が「政治家なので保身に気を使うのはわかるしそうなった
(マスコミの対応が上手だった)のは理解するが
大事なのは(小沢氏の対応を)国民がどう思っているかだ」
(※記憶がたよりなので発言は正確ではありません)
といった趣旨の流れを受け

「巨悪事件などといわれていたが、実際には違った訳で・・・」
(※記憶がたよりなので発言は正確ではありません)

とした発言が。
このあたりの発言をしてしまうところが民主党の内情を
よく表していると感じた。
何度も言うが、故意の不実記載は完全なる悪である。
悪人が政治家をやる資格は無い。
ここでそれを言う意図は分かるが、それは
自分が盗人だと白状しているようなものである。
それをわかっているのだろうか・・・・。


その点、片山氏は細野氏のように内部でないという立場の違いもあるだろうが
小沢氏の手法について本質的な問題点を上手に指摘していた。

「参院選命という政治手法はやめた方が良い」
(※記憶がたよりなので発言は正確ではありません/命ではなかったおもう;)

選挙のための政治、まさにそれが小沢氏の政治。
いかに理論・哲学を並べようとうさんくさく感じる原因である。
所詮、自己保身であり、自己保身を図る政治家が国民のために
本気になって身を削ることなどあり得ない。

小沢氏が率いる限り民主党は自己保身を是とする政党で
ありつづけるのだろうなぁ、と思うと残念でならない。

ちなみに、上の片山氏の発言をするとなりで
細野氏はうん、うん、とうなずいていた。
小沢氏がきちんと引責辞任すれば支持率も回復する訳で、心の中では

「さっさと小沢氏は引退して自分に幹事長させてくれ」

くらい思ってたかもしれない。
いや、きっと思ってただろう(笑)
石川議員が離党した。
さすがにあの会見はよろしくなかった。

良心的に解釈するなら
「ゼネコンからの不正献金を隠す意図で、虚偽の記載はしていない」
とは意をくめるが、それはマスコミや野党や国民には通じない。

そもそも、無理なことをなんとか取り繕おうとするから
おかしくなってしまうのである。
※その点、小沢氏はわかっているw 開き直っているのでw

虚偽記載は意図的なものを虚偽という。
ボンミスなら不実記載で、ならば経理ミスで通る。
法的に重要なのは、まず故意かどうか、ということが重要だと
自民党の議員の話しで以前書いたが、石川議員もわかってなかったようだ。
まぁ、小沢氏周辺も同じだが。

故意に法を犯すのは、過失で同じ法を犯すよりはるかに罪が重いのだ
ということを。

過失のとき、反省し、同じ過ちを犯さないように
勤めることがその責任の取り方だとして
故意の場合は法を置かした責任を取らねばならない。
つまり、刑罰を受けねばならない。

刑罰を受けることが軽いというなら
立法を司る政治家をやる資格などない。

ちなみにこの発言を言うとき、他の言では見られない表情、
まばたき、つばのみのような動作をしていた。
それまではきっとそう思っている発言。
このときは演技、もしくは本意ではない発言なのだろう。

そして上げた顔は、ふっきれたようになり
それまでの反省の色は消え
嘘をつくいやらしい政治家のそれになっていた。

そうはいっても、真面目な性格なのだろうとは思う。
支援者や世話になった人々の応援を思えば、
というようなことを鳩山氏も言っていたが、
分かってはいてもそれを裏切るような事はできない
と考えるのもわかる。

だが、彼らにしてみても、過ちを過ちのまま正さずに過ごす事は
彼らのためにならない。

過ちを犯す事は簡単であるが
 その過ちを抱えたまま生き続けるのは辛い道である。
正しい事を行うのは難しいかもしれないが
 すくなくとも後悔することのない気楽な生き方である。

自分はそう思う。

石川氏が、彼にしか出来ないことはまだあるが
まぁ、本人が一番分かっているだろうとは思うので
このくらいにしておきたい。

なによりも、彼の周辺からのプレッシャーと、国民やマスコミからの非難と
その板挟みで彼が潰れてしまう方が心配である。
まじめな人ほどそうなりやすい。
彼の支援者を騙る者達が
彼の本当の支援者でないことに
早く気づいてほしいのであるが・・・。