存在のための存在が交わした束の間の時の記録である。
非情な彫刻と定まらぬ人間とがつながるひとつのコトバがる。
時間のなかで沈黙という確かなる現実の存在が、ただ
存在するためだけに居合わせる。
イヴァン、ジョルジュエたちは、そこにいる。______
彼らとの時に私はひとつの存在であることを知った。
人間であるという事実のその奥で、有でもなく無でもなく
たしかなる「1」であるということを。
 
                      Dec.1993






もう15年前になるというのか。

母校の美術室になかば帰り戻りの状態で
1年間を過ごした。

昔は余程の事がないと人と話をするという
行為を侍しはしなかった。
語る事も語られる事も嫌いであった。


今、ギリシャ関連取材分とともに今までの
一連の作品を日がな1日もくもくとまとめている。
そのなかで、自分がいちばん大切にしている
写真たちが、この彫刻たちの作品であろう。


写真展はひっそりとほとんど宣伝もせぬまま
自分だけの写真展としてさせてもらった。

四角い空間に彼らたちの写真を額なし
マット仕上げのみで並べ,もう一つの
居場所とした。

それは,表現という世界ではなく自分と
彼らたちとの時間そのものであった。


今もこんな風に被写体たちとじっくりと
向き合えたらそれはそれで至福の時、
なのかもしれない。














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