この世には、本当は完璧なものなんてない。

だから、完璧にやりたいという気持ちがでる。
完璧を求める。  
完璧に理論で説明したくなる。

完璧でなくて当たり前な人間。

完全なるものとは
三位一体
存在であり全てを内包するもの。

私達は、肉体が「ある」エゴが「ある」
目の前の人とそれらを見ているものとで完全なるもの
それら見ている存在は、元々「ない」zero

完璧完全でないものが完璧を求めたって無理だった。

人間は、みんな完璧にわからない。

しかし、全てを観て知るという次元を上げて
物事を三位一体から捉える生き方は、完璧である。

それが、本物で

だから、今、偽物、不完全だったーというニュースや情報が一気に吹き出ている。

偽物をたべ
偽物の歴史の勉強をし
偽物のニュースを見て
偽物の報道に
偽物の政治に
偽物が支配する世の中だった

これからは真実の完全なるもの
本物の時代へ移行していく。

今がその移行期間に立ち合ってるのだ。



人間は、高次元の感覚をもっている。

しかし、完璧でないから、理論を学ぶ求める。

感覚派でわかってる自分と
理論で学びたがる自分

感覚で一瞬にして感覚を掴むものが
理論を学ぶ。
そして、感覚がわからなくなりワケワカメに😂

どっちでもなかったんやなー

理論を学びたがる無意識に
感覚だめにしてきたんだなー

そして!!
人間は、大好きが大好き。

大好きなものなのに拒否る。
大好きなものほど嫌いなる。

大好きな親ほど嫌って
大好きな仕事ほど拒否って
大好きなパートナーほど断固拒否る。

大好きと拒否を知っても意味がない。

AでもないBでもない
どっちでもないよーという「存在」を忘れていた。

大好きだから拒否ってたんやなーを知っても相対思考のまんま。

どっちでもなかったんやなーという存在の位置がいる。

大好きが大好きだったわたし。
拒否が嫌いだったわたし。
高次元ではどちらも同質だったんやなー