川内村へ | あぶぐまの里にっき

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阿武隈の地に移り、昔ながらの農とくらし、技の継承を目指していたが、原発事故で自然・社会環境、自分の心も全てが変貌。

 用事で川内村の知人宅へ行ってきました。
 川内村は福島第一原発から20km圏内の警戒区域は立ち入り禁止ですが、役場の位置する30km圏内は先日「緊急時避難準備区域」だったのが解除になったばかりです。

 その方は、原発事故後、会津の体育館や、郡山のビッグパレットなど、避難先を転々とし、今もご家族は郡山の宿泊施設にいるそうです。本人は今は仕事のため川内村の自宅にいらっしゃいました。避難区域が解除されたからと言って急に人が戻ってくるわけでもないそうで、除洗が終わらないと戻ってこないだろうとおっしゃっていました。来年度には小学校も復活を目指しているらしいですが、どうなるでしょうかね? 現在、村に戻ってきているのは、ご高齢のかたが中心のようです。今年は農業もやっていないし、林業もできないので、ここに住んで仕事がある人は限られるのでしょうね。

 避難区域に指定された川内村に比べ、川俣町の避難区域外にいたときは、不安に思う人も多かったですが「大丈夫だ」という風潮が濃かったような気がします。除洗に関しても、避難区域に指定されたところは「除洗してから住みたい」でしょうが、区域外の人は、除洗の必要性の認識が少ないような気がします。空間の放射線量はどちらも大差ないか、あるいは逆に高いのですが(町村内の場所によって差は大きいです。避難区域外の川俣町の旧住まいのほうが、今回の川内村の訪問先よりも放射線量が高いです)。
 ちなみに放射線量だけで比較すると、現在の郡山市の避難先の方が川内村の自宅よりも線量が高いらしいです。川内村でも放射線量が非常に高いところもあるので一概には言えませんが、避難させられるのなら放射線の少ないところにしてほしいですよね。