レディーファースト |   サテアン

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「レディーファースト」 について以前から持っていた持論をまとめてみた






まずレディーファーストに対する賛否についてだが、個人的にはどっちでもいい




西洋においてどのような歴史でこの習慣が生まれたのかはまだ調べていないが



極論から見たときに、(妊婦は命が2人分あるから別として) 1男と1女の命について


「どちらの命が “ファースト” なのか」 などという順位を付ける概念自体が意味不明と考える




障がい者に対するような 「弱者ファースト」 なら理解できるが


果たして、 「女=弱者」 というわけでもなかろう?



もし女性側が 「女=弱者だ」 と言って、故に 「男女不平等でも構わない」 という理屈であるのなら


レディーファーストの存在意義は誠に筋が通ることになるが



「弱者ではない、平等だ!」 と主張しておきながらファーストを求めるとしたら


全く意味がわからない・・・




だから私は、反レディーファースト主義者ではないが


弱者でもない女性を習慣的に特別扱いしなければならないという必要性は否定する



ただそれで女性が喜ぶのなら別にあってもいいというぐらい



はっきり言えばあれは、男性側のサービスみたいなもんだ




タダでそんな意義不明なサービスをしてあげるのだから、一つぐらい条件を付けさせてもらいたい




と、その前にまず、レディーファーストの悲劇と考えられる女の行動の一例をいくつか挙げておく




まだ譲ってもいないのに、「当然私が先だ!」 と言わんばかりにズカズカ割り込む女



通行人の邪魔をしてでも軒先から 「当然私が先だ!」 と言わんばかりにズカズカ飛び出す女



左右確認もせず、 「当然私が先だ!」 と言わんばかりにズカズカ優先道路に飛び出してきて


  交通事故を招きかねない運転をする女



運転で道を譲ってもらったのに 「譲られて当然だ!」 と言わんばかりにズカズカ走り去る女



与えない、譲らない、感謝しない、受けることばかりしか考えられない女



受けたこと、してくれたことに感謝の心を持たず、むしろ不足の部分にばかり目がいって愚痴る女




こうした女は、レディーファースト文化ではない日本よりも比較的イギリスの方で目立って見られた




レディーファーストのあるイギリスでは、男性は男性同士でもよく譲り合う



しかし譲られてばかりの女性たちは、女性同士でも譲らない・・・と女性自らが言っていたほどだ




これがレディーファースト文化が生んだ現実である





そしてこういう現実を見て、一つの考えに達した





それは、レディーファーストは


「『男女間の相互リスペクト』 という基盤の上に成り立たなければならない」 ということ



そうでなければこの習慣は、上のようにただ甘やかされてわがままな女を作り出すだけになる




そしてその相互リスペクトは、男女平等を正しく認識することから始まる




これは、「男女の差別はアカンけど、区別は必要」 ということを意味する




どういうことかと言うと




男女は体の作りが元々違う



できることできないこと、向き不向きには限界があり


それが社会生活に及ぼす影響は避けられない




例えば、(あくまでいい悪いではなく現実的な話として)



(専業主夫を否定はしないが) 子育ては母親がした方が比較的子供にとっても安心感がある



(専業主夫を否定はしないが) 旦那がいつも家にいることは社会的になかなか受け入れられにくい



よって、男には生まれながらにして 「一生働く」 という意識がある



逆に寿退社率は女性の方が高く


  仕事をしないという選択肢や、仕事は結婚するまでの繋ぎとして捉えることも比較的容易



交際費は男の方が面倒をみることが多いが


  それは男の方が平均収入が高いからという理由によるものだとしたらそれも事実



災害時などの救出では女性が優先的に助けられる



徴兵や戦争時、事務所移転等の引越し時には、優先的に男が借り出される




そもそも男女平等とは


「同じ時間で同じ成果を出したという結果そのものに対して正当に評価する」 ということであり



もしなんでもかんでも男女平等だと騒ぐのなら


「ならば男が男だからという理由だけで課せられる負担まで全部するのですか?」 ということになる



だから双方できないこと向いていないことに対して


お互いに敬意を持つことが真の男女平等




男尊女卑の意識が高いせいか、何か勘違いしている人も多いようだが


「男女平等」 という言葉は、あくまで男性にも女性にも平等に与えられた権利であり



女性のためだけにあるのでもなければ、女性の地位を高めるためだけにあるのでもない




あくまで男女平等




だから




「女は男に負けてない!」 とか



「女の方ができる!」 とか



「男なんて子供産めないじゃないか!」 とか




そういう何か競争して男より上に立とうする意識が男女平等でもなければ


女の地位や立場を確立することだけの目的が男女平等でもない




そもそも 「男女平等」 という言葉が女性のためにあるものになっているとしたら


その時点でもはやそれは男女平等とは言えない




生まれつき子供を産む機能を持っていない男に対して


「男なんて子供も産めないくせに」 と言ってしまうのは


生まれつき黒人に対して、「黒人のくせに」 という人種差別と同じである




持って生まれた異なる部分を否定し、競争し、敬意を持たないことが


果たして本当に男女平等と言えるだろうか?




男女平等とは、男女の違いに対する敬意である




まずこうした真の男女平等を理解し、男女間の相互リスペクトが確立された上で


レディーファーストが行われなければならない




これを持たずしてレディーファースト文化に足を突っ込んだ一部の女たちは


レディーファーストを受けると舞い上がって女王様気分になるらしく


男女間の違いを補おうとする男性側の好意に対して敬意や感謝の心がない




つまりレディーファーストの条件として付けたいのは



男女の違いに対する敬意という基盤の上にレディーファーストがあるのなら


される側だけでなく、する側も気持ちがよいということ







本場の人たちはどう捉えているのだろうか?



そのうち尋ねてみたい