書きたいことはたくさんあっても、文字に起こすことができないなーってことが多いです
読んでもらえるような、伝わるような文章って難しいものです
最近、「DJあおい」さんのブログをよく拝見させてもらってます。
主に見てるのは恋愛についてのもの
読者からのメール相談を紹介して、それについてのあおいさんの自論をぶつけていくような。
なんでそんな女々しいの読んでるんだよ男のくせに!って思う人もいると思うんですけど、ちゃんと考えがあって
僕は結局のところ男であり、女の子の考え方というものを自分の中だけで構成し、想像することは難しい。だからある程度、世間の女の子たちから評価されている人の考え方に触れて、少しでも自分に吸収できたなという思いがあります。
とはいってもきっかけは「この人の言ってることすごい共感できるなぁ」ってものでしたけど笑
バッサリとした内容のものも多いですが、気になった方は是非見てみてください
書きたいことはこんなことじゃなくて!!笑笑
本題〜〜〜
ある行動において、その行動の発端が「ただなんとなく」という0であった場合、結果として何かを得られたのならそれは"運命"だと僕は思う。
ある行動において、その行動の発端に明確な意図があった場合、結果として何かを得られたのならそれは"報酬"だと僕は思う。
ふとしたとき、自分の無力や無能を痛感し、嘆きたくなる時はみんなあると思う。
「あ〜、失敗した…何やってもダメだ……」
「うわぁ〜やらかした……なんでこうなってしまったんや……あの時かなぁ……」
前者は結果に引きづられ、後者は過程に引きづられている
またある時、満足する結果を目の前にして喜ぶこともある
「わーい!!ちゃんとできた!!」
「やったー!!こうしたからちゃんとできたんだねきっと!!」
プラスのことほど、ちゃんと意識していないとわからないね
結果しか見えていないうちは、いつまでたっても成長しない。その人のその時点で持てる力しか見えていないから
結果と過程を見れる人は、自分の結果から足りないもの、あるいは足りていたものを把握することができる。
経験値って結果じゃなく過程にあるんだよね
大学生になってよく聞くようになった言葉
「フィードバック」
正直、ついこの間までくだらないって思ってた
でも今になって強く思う。『馬鹿だったな』って。
人よりたくさんのことをしてきた自信はある。
中学で生徒会長やったり、高校で学校行事の実行委員をやったり、大学では海外の大きな企業の研修を受けたり。
その全部、僕は結果しか見てない。
もう過程を省みれるほど、それらは新鮮ではなくなってしまった。
たくさんの「すごい経験」をすべてなかった事にしてきたのは自分だと、その事実を突きつけられた時、自分の""無能""は当然の結果だと感じた。
だからこそ、無能な自分を認め、これから成長していこうって誓った
最初に運命だの報酬だのの話をしたね
「なんでそうしようと思った?」
僕は常に問いただしていきたい。ただなんとなくで手に入るものなんて、この世にはほとんどないのだから。
動機があって、目標を立て、目標に向かって行動する。そして最後に結果が出る。
結果からまた、どうして?を問いただしていく。
そうやって、自分の行動をどんどんつなげていくことで行動に一貫性ができたり、成長していくことができるのかなって思う。
長々と語ったけれど、こんなことは小学校中学校から言われている当たり前のことなんだよね
「この世の不利益は全て当人の能力不足」
無能を突きつける言葉か
そうじゃないよね
無能なら、なぜ無能なのかを考えるべきだ。
常に、「なぜ」を。
自分を成長させるのは自分しかいない
でも、成長を手助けしたり、見守ったりはできるかな
僕もまだまだ無能だけれど、成長しようとする人は応援したい。努力する人は皆輝いているし、尊敬します。
駄文だったな笑笑