別府・鉄輪温泉で見つけた古い地図

~大分県の鉄道史~


大分県が誇る温泉地・別府。そのなかでも湧出量が多く、湯けむりが立ち上る風景が人気な鉄輪というエリアがあります。


温泉街を歩いていた時、ふと気になった観光案内図。



なんか古そうだな、と思って写真だけ撮りましたが、調べてみると相当古いものでした。


この地図、今は存在しない鉄道や、今は名前が変わった駅が沢山書かれています。

これらの路線を紹介しつつ、設置された時期も考えてみます。


①日本鉱業佐賀関鉄道(幸崎~佐賀関)

 1948~1963(旅客鉄道時代)

日本鉱業(今のJX金属)が運営していた鉄道です。もとは軍需輸送のために計画されたものの、終戦を迎え、1946年に日本鉱業専用の鉄道として開業しました。1948年からは一般の鉄道となり、制限なく一般人も使えるようになりました。しかし1963年、僅か17年(旅客化からは15年)の歴史に幕を閉じました。


また、臼杵の西側に「深田石佛」とあるのは、おそらく臼杵石仏のことで、1952年に国指定の特別史跡に、62年には重要文化財に指定されました。



②大分交通国東線(杵築~国東)
 1935~1964(全線があった時代)

当時、陸の孤島と呼ばれた国東半島。1922年に国東鉄道の路線として杵築~杵築町の間が開業。その後、延伸を重ね、1935年に国東まで開業しました。戦時中の1945年に大分交通へ統合されました。

1961年に発生した災害で甚大な被害を受け、1964年に末端区間の廃止。モータリゼーションの進展もあったことから1966年に全線廃止となりました。

また、大分空港はこの当時にはありませんでしたが、全線廃止の一ヶ月後に沿線への移転が決まったそうです。災害さえ無ければ空港へのアクセス鉄道となっていたかもしれませんが、モータリゼーションの影響は凄まじいものですし、いずれかは同じ道を辿っていたと思います。


③大分交通宇佐参宮線(宇佐八幡~豊後高田)

 1916~1965

ローマ字表記がUSA(=アメリカ)になる宇佐から東西に伸びていた線路。豊後高田を起点として、宇佐八幡までの8.8kmを結んでいました。大分交通の路線バスと競合しているという理由から廃止されましたが、国東線と接続して国東半島を1周する計画もあったとか。Wikipediaを見ると、廃止の告示から1週間後の廃止という、現代では絶対できないパワープレイです。

この路線は、開通当時は宇佐参宮鉄道、戦時中に統合されて大分交通になりました。


④大分交通耶馬渓線(中津~守実)
 1924~1971
 ※守実から守実温泉駅に改称した日不明

沿線に観光地が耶馬渓鉄道として開業し、戦時中に大分交通に統合されました。1913年に中津から樋田まで、1914年に柿坂まで、1924年に守実まで開業しました。1971年に大部分の野路~守実温泉までが廃止、1975年に全線が廃止となりました。一部の鉄道施設は有形文化財に指定され、今も残っています。

また、大分県における最後の私鉄路線だったこの路線が廃止されたことで、国鉄(いまのJR)しか走っていない県になりました。


⑤国鉄宮原線(小国延伸前)

 1948~1954

宮原(みやのはる)線は、九重町の恵良駅から伸びていた路線で、1937年に宝泉寺まで開通したものの、戦時中に不要不急線として熊本方面への延伸は中止。レールは兵器を作るための金属供出に使われたそう。戦後の1948年に復活。1954年には熊本県の肥後小国まで延伸されたものの、それ以上路線がのびることはなく、1984年に全線廃止されました。


他にも……

⑥豊後竹田(ぶんごたけた)が「ぶんごたけだ」の読みだった
 1969年以前


⑦佐伯(さいき)が「さえき」の読みだったのは
 1962年以前


⑧阿蘇国立公園

 地図では「阿蘇国立公園九重」となっていますが、1934年指定、1986年に「阿蘇くじゅう国立公園」と改称されるまでの呼び方です。

パッと出てきたのはこれくらい。

もっとよくみれば今は無いものが他にもあるかもしれません。


この地図が設置された年、いつなのでしょうか。
豊州線(豊前善光寺~豊前二日市)が無いから1953年10月よりあと。(ただ、豊州線は1951年から鉄道は休止(経営難でバス代行、その最中に台風で橋梁倒壊)していたそうです。)

そして宮原線が延伸前だから1954年3月15日より前というのも確実です。


つまりは1953年10月から1954年3月までの間に設置されたのだろうと思います。

ただ彦山線(夜明~大行司、1946~1956)(今の日田彦山線BRT)が無いのは謎です。書き忘れ……?


また、臼杵石仏(地図では深田石佛)が書かれていますが、特別史跡になったのは1952年のこと。これからこの石仏を盛り上げていこう、という意気込みが伝わってきます。


偶然見つけたこの古い観光地図。

大分県の昭和期の交通網がよくわかる地図でした。

博物館級のこの地図。ずっと残っていてほしいものです。